位置と地勢 

  石黒は、新潟県のほぼ中央部(東経138度34分、北緯37度11分)にあり、柏崎市高柳町の南西部に位置する。資料→クリック 
 男山(585m)、黒姫山(889m)、地蔵峠(645m)、鷲の巣山(623m)を結ぶ山系に囲まれた起伏の激しい地形に7つの集落が点在する。
資料→石黒地区航空写真
資料→明治時代の石黒付近の地図
資料→明治時代34年合併後の刈羽郡町村地図

 また、上記の山系は鯖石川と鵜川の分水嶺であり、石黒の集落の多くは、鯖石川の支流である石黒川、落合川、居谷川沿いに散在し、これらの3つの支流は中之坪ダムで合流して鯖石川となり、柏崎海岸の河口に至る。
資料→ビデオ 鯖石川河口(YouTube)
資料→写真 鯖石川河口
資料→鯖石川について
ビデオ資料→刈羽三山&鯖石川
資料→石黒川の支流地図
資料→黒姫山の生成について
資料→鯖石川河口堆積砂撤去作業の様子

 石黒川は鵜川に比べると、河床を含めて流域が粘土や砂であるため少量の雨でも泥水となり、長年にわたって流水が土砂を削り取り深い渓谷をなした。
資料-石黒川の思い出
補記−刈羽郡案内「鯖石川」

 
   石黒川   寄合集落2007.11.3

 石黒川沿いには上石黒下石黒寄合がある。落合川沿いには落合、居谷川沿いには居谷集落がある。
 地形が険しい川沿いの集落、特に上石黒、下石黒集落は、南向き斜面に貼り付くように家屋が建てられ、その高低差は100mにも達す。(※上石黒にあった石黒小中学校は標高約200m)

 大野集落は、標高300メートルほどで、石黒で唯一平坦な場所にある。
 板畑は、黒姫山のほぼ中腹、標高370メートルほどにあり、南向きの斜面に家屋が点在する。

資料→石黒方面一帯  鳥瞰画像
資料→石黒方面一帯  鳥瞰画像
資料→大野地区からのパノラマ画像
資料→石黒の地形図
資料→石黒地名地図
資料ビデオ→米山、黒姫山、八石山-刈羽三山YouTube
資料-石黒村地図-昭和16年
資料-高柳地区地名地図
 このような険しい地勢にあるため、車道が開通したのは1951年(昭和26)であり、それまでは、まさに陸の孤島に等しい交通不便な地域であった。

 
   353号線小岩トンネル石黒側入り口

 その後1992年(平成4)に国道353号線の(柏崎〜渋川)小岩トンネルが開通し、昔は半日かかった柏崎への塩の道〔俗称松之山街道の脇街道〕は、30分に短縮された。
→小岩トンネル経由上石黒〜女谷までの所要時間-ビデオ
資料→小岩峠
資料→黒姫山と昔の石黒の暮らし
参照→本サイト「国道353号線



      地 質

 石黒地域の地質は、新第三紀層と第四紀層からなりたち、褶曲構造が発達している。〔※新潟県の地質年表〕下位層から、石黒層(寺泊層相当層)〔石黒層資料〕地蔵峠層(椎谷層相当層)〔地蔵峠層資料〕黒姫層(西山層相当層)〔黒姫層資料〕板畑層(西山層相当層)〔板畑層資料〕によって成り立つ。
資料→柏崎・黒姫地域の地質層序表
 黒姫層以外は、いずれも泥岩層と砂岩層を主体とした地層で、水持ちがよく良質な土質ではあるが、地滑りを起こしやすい。

 
      黒姫山頂付近の黒姫層の露頭   撮影2005.7.29

 また、安山岩質の火山さいせつ岩(砕屑岩)を主体とした黒姫層は、黒姫山から地蔵峠、小岩峠、鷲巣山へと連続して尾根筋を形成している。
参照→露頭写真
参照→黒姫層露頭「岩屋」へ上る(YouTube

 
    黒姫山に連なる通称岩屋の黒姫層露頭

石黒の伝説に登場する上石黒の「蛇岩」も黒姫層の露頭である。
 石黒層と西山層は、ともに泥岩層と砂岩層との互層をなすところが多く地滑りを起こしやすい。
 このような状況から、地滑り防止法が制定された翌年の1958年には石黒地区は県内6番目の地滑り防止区域に指定された。

 
錆色の泥岩層 2005.8.25寄合地内

 法律で指定された地滑り地帯は、新潟県が全国の20パーセントを占めるといわれる。ことに石黒地区は、国土交通省、林野庁、農林振興局、それぞれの地滑り防止区域を合わせると、集落のほとんどが地すべり防止区域に入る。
 現在までにこれらの多くの場所では、既に横ボーリング工事や暗渠工事などが行われており、1983年以降は大規模な地滑りは発生していない。
資料→クリック  指定の地滑り防止区域
資料→クリック 県の地すべり対策工事について
 昭和時代にも、居谷、上石黒、 寄合、板畑でかなり大規模な地滑りが何度か発生している。 参照→ 昭和の年表→クリック
 地名にも「オオクズレ」、「オオヌゲ」などがあることから、昔から地滑りによる災害は繰り返し発生してきたものと思われる。

 
  崩れやいす泥岩層 大野地内 撮影2005.8.25

 とくに大野集落周辺では、昔から大きな地滑りが発生した。午前中に農作業を終えて、午後に行ってみたら一反歩余の田が谷底に滑り落ち、跡形もなかったという信じられないような話も伝わっている。
 また、今も土木工事で地面を掘ると、深さ10mほどの地中から半ば炭化したブナの大木が、枝葉もそのままの形で現れることがあるという。これらは、おそらく地滑りによって地中に埋まったものであろう。
 石黒に限らず高柳の多くの村で昔から地すべりが多く発生したことは、各村の古文書が物語っている。石黒村では御損地御改書上帳など数点がのこされている。この他、寛政、文政、弘化年間にも同様の文書が見られる。
資料→昭和40年の居谷地すべり

※参考資料→高蜥ャ史 序編 地勢地質

※参考資料→柏崎市史資料集 地質編 「新潟県刈羽郡・黒姫山の地質」 歌代勤著

※参考資料→柏崎市史資料集 地質編 「黒姫山の研究−とくに地盤の運動と鮮新世の火山活動について」−新潟短大付属高校地学部
※古文書資料−刈羽郡石黒村御本田御損地書上帳
※古文書資料−山中村−山崩御損地書上帳



      気 候

 石黒は、新潟県でも最も積雪の多い地域のひとつである。
 1951年(昭和26)から1999年(平成11)までの「石黒の降雪量及び積雪量の記録」資料→クリック降雪量・積雪量の記録をもとにすると、年平均の降雪量は、824cmで、積雪量は281cmである。このデータの観測地点は標高200mの上石黒であり、大野、板畑など標高300mを超える地区での降雪量、積雪量は、遙かにこれを上回る。

 
 冬のようす  2012.1.28撮影

 おそらく、3mの積雪は「当たり前」というのが、石黒で暮らす人々の生活感覚であろう。
 今日でこそ豪雪の冬も車道が確保されているが、昭和27年(1952)の車道開通後も積雪期の半年ほどの間は、下寄合のはずれからカンジキをかけて釜坂峠を越え門出村に出なければならない「陸の孤島」と言われた時代が続いた。
 ようやく、中之坪地内にスノーシェードが完成し冬期も無雪道路となったのは、昭和49年(1974)であった。
 また、家屋の除雪は、冬季の主な仕事であり、年によっては十数回も屋根の除雪をすることも珍しくなかった。
資料→雪堀り
資料→豪雪の冬(昭和43年)

      動植物
 石黒地域には、ブナが最も多く、次いでコナラミズナラホウノキイタヤハリギリなどの落葉広葉樹を主とする冷温帯林が発達している。林床には日本海側型気候とくに多雪地に適応したユキツバキマルバマンサクチャボガヤハイイヌツゲヤブコウジなどが多くみられる。
 また、林床をおおう野草としては、オオイワカガミトキワイカリソウシシガシラサイハイランコシノカンアオイツルアリドオシショウジョウバカマイチヤクソウチゴユリなどがある。

 黒姫山の山頂付近の斜面に積雪による自然低木群落が見られ、その尾根筋にはブナ・ミズナラ群落が発達している。
 石黒の植生は、ブナが比較的低い標高からも出現する日本海型植生と言えよう。

 
     上石黒嶺坂付近のブナ林 撮影日2005.12.2 撮影地点板畑嶽 
 
 居谷集落付近のブナ林 撮影日2010.4.30 撮影地点莇平地内

 このように広葉樹林の多い石黒は、昆虫などの生息地としても恵まれた環境にあるといえる。
(※参考資料→石黒の動植物)
資料→高柳町の植生
資料→高柳町の昆虫相
※「第3回自然環境保全基礎調査〔1979〕の現存植生図によると石黒〔高柳町〕の植生は、ブナクラス域代償植生のカスミザクラコナラ群落が広い範囲を占め、ブナクラス域自然植生のチシマザサブナ群落が散在的に残されている。これはブナを薪炭林として伐採利用したことによる遷移と考えられる。」〔HP子ども自然王国より抜粋〕
参照−本HPサイト→石黒の動植物