馬の鈴 
 
   
  上写真の馬の鈴は筆者の家にあったものである。子どもの頃に祖母に何かとたずねると「馬の鈴」だと教えてくれた。
 その祖母が親から聞いた話によると大野集落付近の田畑で作業していると、この鈴の音が「シャンシャン」と聞こえたものだという。
 詳しく聞いて見ると、年貢の米俵を背につけた十数頭の馬が列をなして通ったとのこと。それらは松代方面から石黒を通り地蔵峠を越えて鵜川地区に出て柏崎方面に向かったものであろう。
 また、帰りには塩を詰めたカマスを背に通ったものだという。今でもこの道が「塩の道」と呼ばれている由縁である。
 馬の鈴の役目については、とくに調べたことはないが馬の通行をあらかじめ人に知らせ、とくに急カーブが多く狭い昔の山道では用心を促すためであったと思われる。ちなみにWEB上で調べると、馬の鈴には小型の鈴を束ねものや金属の輪を束ねたものもあったようだ。
 
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 昔は、松代方面から石黒を経て地蔵峠を越えて柏崎に至る整備された街道があった。筆者が小中学生のころ(1950年ころ)にも毎年整備されており、黒姫郷の競技大会や写生大会などの時にはこの道を通って鵜川地区の学校まで徒歩で出かけたものである。(居谷集落の子どもは実に10qもの会場への山道を歩いて陸上競技に出場したことになる)
 道は現在も地藏峠頂上に祀られた地蔵尊の祭礼が毎年行われるため細々と受け継がれている。
 郷土史研究家は、この道を「松之山街道の脇街道」と呼ぶこともあるが、正確には「俗称松之山街道の脇街道」とでも呼ぶべきであろう。俗称松之山街道は「松之山〜岡田〜小清水〜柏崎」にいたる古道を指す。
(※一般に「松之山街道」と称されている街道は、高田(上越市)と三国街道の塩沢宿(塩沢町)を結ぶ道ことである)。
 
手前に大野集落地内の街道、遠くに妙高山を望む
昔は、この「松之山街道の脇街道」を松代方面から柏崎に向かう米俵をつけた馬が列をなして通ったという。
 ちなみに、この馬の帰りの荷はカマスに詰めた塩が主であった。この街道が「塩の路」といわれる由縁である。

 ところで、馬の鈴は古墳時代から使われたと伝えられ、その音色は昔の日本人の心に深くしみこんだ音の一つであろう。環境省の「残したい日本の音風景100選」にも認定されているという。
 漱石の句にも「懐かしむ衾に聞くや馬のすず」がある。
 「りんりん、りんどうは小雨に濡れる。わたしゃ別れの涙で濡れる。りんりん鳴るのは馬の鈴、姉さは峠に消えていく、消えていく」島倉千代子が唄った「りんどう峠」にも馬の鈴が出てくる。
                         〔文責 大橋寿一郎〕