ユキツバキ
暮らしとの関わり
 石黒では、ブナ林の中〔下写真〕や山腹の低木群の中に多く見られる。ブナ林の林床では、ヒメアオキエゾユズリハハイイヌガヤなどと混生するがユキツバキが最も多い。花のつきは、林の中の木よりも林縁の木の方がよいようだ。
 ユキツバキはヤブツバキと異なり幹が太くはならない。(左上写真)私の生家の近くのユキツバキは、私が子どもの頃の70年前と幹の太さはほとんど変わらない。這った茎から不定根を出して世代交代を何度かしているのであろうが、何か不思議な光景を目にしているように思う。
 地に伏して雪に覆われて冬を越すことは、多雪地帯に生きるユキツバキが身につけた戦略的な知恵とも言えよう。牧野植物図鑑には「ハイツバキ」の別名が記載されている。
 ユキツバキは、春、最も早く開花する樹木のひとつである。
 子どもの頃に3月半ば、山に行くと、まだ数メートルある残雪のハフ(崖の縁などの雪の割れ目)などでユキツバキの赤い蕾を見つけ、春の到来を感じて、わくわくしたものだった。
 また、しなやかなユキツバキは、ハリキのネジ木(束ね木)としても使われた。冬、囲炉裏にボイ(芝木)を焚くと、ネジキのユキツバキの葉がパチパチとけたたましい音をたて燃えたことを覚えている人もいるだろう。
 子どもたちは、身近にある、ユキツバキの葉を筒状に巻きホッパ(草笛)を作ってよく遊んだ(右下写真)。葉を巻く太さで高低の音を選ぶことが出来た。チマキザサの葉をラッパ状に巻くと共鳴して良い音が出た。→右下画像クリック
 大勢の子どもたちが吹くユキツバキのホッパの音が聞こえた村風景は、小中学生が一人もいない今(2016)では遠い昔語りになってしまった。
 ※村田徳雄著「高柳町昭和史」には、昭和38年(1973)に石黒のブナ林のツバキが林弥栄理学博士によりユキツバキと命名(同定?)された記されている。
 先日(2014.9.28)、「こしじ水と緑の会」会報29号に本サイトの蝶と蛾についてご指導を頂いた荻野誠作さんの寄稿文「丸山忠次郎先生と和名ユキツバキの名称の経緯について」が掲載されていた。
 寄稿文によると、1906年に丸山さんが麒麟山のツバキの鑑定依頼を牧野富太郎博士に依頼したところ、牧野がかつて立山下から採取したツバキと同種であることが分かり、「ユキツバキ」の和名をつけてもらったことが記述されている。その時の鑑定依頼の書簡は高知県の牧野植物園・牧野文庫に現存しているという。
 その後1947年に本田正次という研究者が岩手県の猿岩で発見したサルイワツバキ(ユキツバキと同種)を新種のツバキとして論文を発表して学名が「カメリア-ルスチカーナ-ホンダ」と決まったとのことである。つまり、その時には、すでに40年前に和名「ユキツバキ」は丸山さんにより牧野博士から命名してもらってあったというのがユキツバキの名称の経緯であるらしい。
 柏崎市街地では海岸部ではヤブツバキであるが、平井地区などの山にあるものはユキツバキである。→参考写真
 しかし、その中間種のような個体も見かけるので今後、注意して観察したい。
 また、石黒のような多雪地帯では庭木の冬囲いは大変であるが、ユキツバキやユキグニミツバツツジ、ヒメアオキなどを利用すれば冬囲いは不要である。
 ユキツバキは、昭和41年に県の木に選ばれた。

(上写真2005.5.8下石黒 右下2005.1.6下石黒)


         ブナ林の中のユキツバキ

写真2015.5.16下石黒

              花  期

 写真 1983.5.3 下石黒

           初冬のユキツバキ

写真2004.12.4 下石黒 城山

        ユキツバキとキブシ(背景)

写真2011.5.23 下石黒

         果実期のユキツバキ

撮影日2005.8.4下石黒

     斜面に這ってす雪の冬を越すユキツバキ

撮影日2012.4.21下石黒

       残雪を推し上げて立上がるユキツバキ
撮影日2018.4.23下石黒

                  幹の様子

写真2011.11.29下石黒

  ハンマーの柄に利用されたユキツバキの木

撮影2010.4.21落合
※5000年前の縄文時代の遺跡からツバキ材の石斧の柄が発見された記録もある。
 堅さと粘りを併せ持ったユキツバキの木は強い衝撃力を加える用具の柄には最適で石黒では昔から使われてきた。

     庭木の利用されたユキツバキ

写真2015.5.10下石黒
  写真2019.4.23下石黒
解 説
ツバキ科
 岩手県から石川県までの主とし多雪地帯の日本海側に生える常緑低木
 高さ1〜2メートル。幹の下の方から多く枝分かれする。木は、生長がきわめて緩慢、しなやかで数メートルの雪の下になっても耐えることができる。〔参考文献→ユキを利用するユキツバキ〕
 葉は、縁に鋭い鋸歯がある。葉脈は透明度が高い(下写真)
 花は濃紅色で枝先につく。雄しべは短く、花糸は黄色でヤブツバキに比べ基のに近い部分から広がる(下比較写真)。散るときに花弁の基部が連結したまま、ガクを残して落ちるので縁起のよくない木とされることもある。
 果実は、熟すと3つに割れて2、3個の種子を落とす。
 名前の由来は雪の多い地方に生えることによる。



 この程度にしか太くならない幹


写真2011.6.13下石黒

   透明度の高い葉脈

   撮影日2010.12.1居谷

        つぼみ

 写真2006.4.23下石黒

 
  
    つぼみ

写真2016.4.23下石黒

       つぼみ-2
  写真2016.4.23下石黒




   花弁が落ちた後のガク

写真2012.4.25下石黒

  ユキツバキの果実
   撮影日2007.8.4下石黒

    初冬のユキツバキ

 写真 2011.12.9下石黒

比較画像−ユキツバキ


写真2010.5.12下石黒

比較画像−ヤブツバキ


写真2010.3.12鯨波

  比較画像−ユキバタツバキ
写真2016.4.2畔屋

        種子
撮影日2008.10.24下石黒

ホッパ→画像クリック→動画音声

  撮影日2009.8.6 撮影 洋子
        追 補
 石黒に自生しているツバキはユキツバキ一種のみであり、子どものころからツバキと言えばユキツバキのことであった。また、屋敷内に園芸種の八重椿を植えておく家もあり、ブナ林などにヤブをなして見られるユキツバキを「やぶつばき」と呼ぶ人もあった。この呼び名には若干の見下げた評価も含まれていたように思う。このように園芸種に比べ見劣りのするユキツバキは石黒ではごく地味な存在であった。
 そんな中、1987年に小林幸子の「雪椿」がヒットした時のことであるが上越市に住む7歳うえの姉から電話があった。内容は「小林幸子の歌に出てくる「雪椿」の苗を買い求めて来てほしい」という依頼であった。「花は越後の、花は越後の雪椿」の歌詞にふれ、急に欲しくなったと見える。
 姉の依頼の電話を受け筆者がユキツバキとは自分たちの石黒の生家の周りのブナ林に自生していた種であることを説明すると姉は驚いていたが失望した様子も感じられた。その時の姉の「なんだ、あんつぇなツバキか」という吐き捨てるような言葉は、子ども時代に親しんだユキツバキには少し申し訳ないように思ったことを忘れない。
 WEB上の情報によれぱ「シロバンダイ」と呼ぶ上越市産の美しいユキツバキの園芸種もあるそうだ。一重で花弁には光沢があり整った花形を長期間保つとのこと、今にして思えばもう少し親身な対応もあったかと悔やまれる。



        投  稿
 ユキツバキの木を柄に利用したハンマーの写真を見て、古文書に接した時のような気持になりました。悠久の時の流れを越えて、村のご先祖さんと出会ったような・・・
 ゆるいカーブの原木と先のしゃくれたハンマー・・・自然と共に生きた先人の知恵と温もりが感じられますね。
〔2010.4.22受信 福島大橋洋子さん〕