ふるさと石黒、今冬初めての本格的な降雪 2023.12.23
皆様お元気でお過ごしでしょうか。
ふるさと石黒では、昨日22日の夜から23日にかけて、今冬初めての本格的な降雪となりました。23日の積雪は上石黒で110㎝、板畑では140㎝に達しました。ちなみに、今回は風がなかったせいか柏崎市街地でも23日朝の積雪が48㎝でした。
また、22日には、石黒、門出、田代地域に停電が発生し、石黒では午後3時半から午後9時半まで続いたとのこと、寒波の最中の停電で皆様大変であったとのことお察しいたします。
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上石黒-屋号「せんなびろ」付近 |
寄合-屋号「田中」付近 |
板畑-屋号「さえん」の周囲の様子 |
板畑-屋号「さえん」脇から黒姫山方面を望む
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柏崎市街地の様子 |
自宅前の様子。上写真の道路先方は、昨年の同時期に大規模の交通渋滞や立往生が発生した国道8号線区間の一部。今回は降雪量もそれほど多くなく無事でした。 |
天気予報によれば、年末年始のころまでは暖気のようてすが、皆様どうぞお元気で良いお年をお迎えください。
情報提供 田辺朝男 写真 田辺須磨子 中村稔 編集会
ふるさと石黒、12月1日の朝にかけてまとまった降雪で積雪3㎝となる
※コメント広場欄でご覧ください→クリック
鵜川地区の餅粮集落の折居橋完工、供用始まる 2023.11.29
本サイトをご覧くださっている皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
さて、鵜川の餅粮地内の旧折居橋は、鵜川ダム(令和7年完工予定)完成後は水没の位置にあるため2019年より工事が行われてきました。
先日(27日)、石黒方面に行くため通りましたところ、すでに新しい橋が付帯工事の一部を残して完成し供用になっていました。橋の完成により餅粮集落入口からの景観が一転し、素晴らしい眺めですね。
今後、鵜川ダムの完成にともない橋周辺の散歩道、餅粮~拝庭集落の道路沿いのミスバショウ自生地などが生かされた観光スポットとしても整備されることが期待されます。
さらに、綾子舞会館及び綾子舞発表会、鵜川神社、静雅園、鵜川ダム、市野新田ダム、ミツガシワ自生地、谷川新田の八重桜等々を組み合わせた観光コースも考えられますね。
※工事関連本サイト記事←クリック
これからは日々寒さが増すばかりでありますが、皆様どうぞ健康安全に留意されてお元気にてお過ごしください。
情報提供 新潟県柏崎市地域振興局 写真 編集会 大橋寿一郎
秋の道普請が行なわれる-下石黒集落
昨日(11月12日)、下石黒の秋の道普請が行なわれました。
参加者は11人で、市内から7人(集落-3、市街地-5)、市外から3人でした。作業は午前9時からとりかかり11時半ころに終わりました。
数日前から急激に気温が下がり冷雨の中の作業が心配されましたが、幸い作業開始の頃から雨が止み心地よい陽射しの中の作業となりなした。本サイトのバックナンバーによると、昨年も11月12日に行なわれましたが参加者が7人で作業が大変であったとの記載が見られます。実は、筆者も肩の靭帯切断などで昨年以来、役立たずですが来年は何とか作業が出来るようにリハビリに励みたいと思います。
さて、先刻、板畑の中村稔さんより今朝(13日)、黒姫山の初冠雪が見られたとの情報をもらいました。いよいよ冬将軍の到来も間近でしょうか。
(※ちなみに、本文をPCに入力している今、柏崎市街地の自宅の庭が、にわかな霰(あられ)で白くなり驚いています)
本サイトをご覧の皆さま、どうぞ、健康安全にご留意されお元気でお過ごしください。
情報提供 大橋昭作 中村稔 写真 編集会大橋寿一郎
カラムシ街道市₋古民家巡り行なわれる 2023.11.2
下記のカラムシ街道市の御案内時に「炬燵が恋しい陽気」と申し上げましたが、一転して、明日の気温が北陸では29度に達するとの今朝の天気予報に驚いてます。このように気温の変化の激しい中、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
さて、御案内しましたふるさと石黒地区恒例のカラムシ街道市が、10月29日に開かれました。あいにく雨模様の天気でしたが、100名ほどの方々が訪れてくださいました。
参加された方の感想をお聞きすると「久しぶりにみなさんとお話できてよかったです」という声が多かったとのことです。
今年は、11月の日程が込んでいたため例年より早まり紅葉前の開催となり、白菜、大根の販売が出来なかったことも残念でしたが、「嶽のやわ肌ネギ」をはじめ多くの野菜等が出品され、ほぼ完売したとのことです。
裏方の皆さん(会場、準備・出品の皆さん)は、過疎化と高齢化の中、年々大変な事と御察し致します。誠にご苦労様でした。
いりのやけ
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こだ |
にし |
ほりきね |
かねこ |
野菜等販売所
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※各カラムシ街道市スライドショー古民家
「カラムシ街道-よっくら・らっくら市₋古民家巡り」御案内
漸く、夏の猛暑が過ぎ去ったと思いましたら朝晩コタツが恋しいこの頃でありますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
さて、恒例の故郷の行事であります「カラムシ街道-よっくら・らっくら市₋古民家巡り」が下記のとおり行われます。
みなさま、ぜひお出かけいただき、心の原風景ともいうべき古民家でゆっくりとおくつろぎ下さい。
ふるさと石黒、稲刈りが終わり田打ち田かきの最中 10/17
ウェブサイト「石黒の昔の暮らし」をご覧くださっている皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
ふるさと石黒では、稲刈りも漸く終わり、現在、田打ちと田かきの最中です。今年は7月から8月にかけて異常な高温が続いたために、特に、暑さに弱いコシヒカリが例年に比べて等級が下がるという被害がでました。大抵の農家では1等米は少なく、2、3等米が多かったとのことです。とはいえ、石黒では2haの耕作田ですべてが1等米という例もあります。柏崎市内では、石黒地区は1等米の割合は高かったのではないかと思います。
ところが、一方天水田がほとんどの石黒では、水不足による地割れが発生した場所が多く、稲刈りが終わった後も雨が降らず田の表面はいよいよ乾いて地割れが進んでしまったようです。天水田にとって地割れは来年の作付けにも影響しますので、田打ち、田かきの作業をとくに念入りに行なわなければなりません。そんなわけで、今年の田打ち、田かき作業は特に大変な事と思いますが、どうぞ健康安全に留意して作業を進めてください。
さて、下の写真は田辺須磨子さんから送っていただいた写真です。1枚は板畑の嶽での稲刈りの様子です。もう1枚はハサから稲をおろししている写真(田辺久美子さん撮影)です。
このハサは大野と下石黒の間の地名「下原(しもっぱら)」にあり、落合出身の大橋西嗣さんが一番バサに使われた後、田辺さんが使われたとのことです。
お聞きするところによると、この稲は花坂新田の一番奥の田の稲とのことです。その場所は地蔵峠上り口から眺めますと眼下一番手前にあり、棚田の景観には欠かせない位置にあるのですが、急な傾斜にあるため農道に制限があり大型の農機具が使えないという困難があります。
かつては下石黒の大橋和平さんが長らく作っておられましたが、その後大橋勝彦さんが中心となり県外(東京、長野、千葉など)からの有志と地元の8名ほどの方により昔ながらの農法による耕作が10年にわたって行われました。その後中村正和さんが、さらに現在は田辺和幸さんが耕作されています。
大雪の年には田植えの時期になっても、畔の外には山のような残雪が見られることも珍しくありません。(参考写真-2010年)
現在も、大型農機具は使えず苦労されているようですが、先年、花坂が日本棚田百選に再選されたことでもあり、何としてもこの景観を守りたいという熱意をもって田辺和幸さんと中村稔さんで取り組んでおられます。現在、花坂での耕作者はこのお二人のみですが、中村さんは筆者と同級生で85才でおられるので、健康には十分留意されるよう願っております。
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さて、上の写真を拝見して子どもの頃の「稲上げ」のことを思いだしました。当時(1940年代)子どもたちも小学校高学年のころから、農作業の労働力として当てにされた時代でした。とくにこの稲あげ作業では、小学生の子どもにも「猫の手も借りたい」ということわざの意味が体感できる忙しさでした。とくに、空模様が怪しくなり雨が降りそうな時は「ひとそい-1背負い」でも多く家に取り込みたいと必死だったことを憶えています。ハサから家の距離は恵まれた場所で300m、遠山では2kmもあったのでした(各集落の作場までの所要時間)。それも上り下りの坂道がほとんどでしたのでリヤカーなど使えません。日の短い秋のことでもあり本当に、せわしなく過酷な作業でした。とはいえ家族全員が待っていた収穫作業であり、乾燥したイネの甘酸っぱい香りとともに今でも懐かしく思いだしています。
気温差の激しい時期でありますが、皆様、どうそ健康にご留意されてお元気でお過ごしください。(編集会 大橋寿一郎)
情報提供 小林時吉 大橋伊勢治 田辺和幸 田辺須磨子 田辺久美子(写真)
NPО法人石黒邑「さわらび」第16号の紹介
本文は→こちらをクリックしてご覧ください。
下記の地域おこし協力隊員としておいでくださった加藤さんのメッセージも掲載されています。是非ご覧ください。
私たちの故郷、石黒にようこそ!
加藤夕恵さん「石黒地区に地域おこし協力隊員」として着任
本サイトをご覧くださっている皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
さて、この度ふるさと石黒地区に地域おこし協力隊員として、加藤夕恵さん(39)が着任されました。すでに先日(9月4日)の地蔵峠祭りに参加くださいました。(下段の前ページ参照)
さらに、3日には農家民宿「田中」を会場に各集落の区長さんによる歓迎会開かれました。(下写真)
お聞きしたところによると、加藤さんは3人の子どもの成長を機に地方に移住して新しいことに挑戦したいと決断し、地域おこし隊員に志願されました。また、実家は花栽培農家とのこと、植物を育てる仕事は子どもの頃から経験されているとのことです。
石黒では、「NPО法人石黒邑」の「さわらび工房」の糀、味噌、漬物などの製造・販売の推進力となってくださることを願っています。また、農家民宿「田中」についても、加藤さんに寄せる期待は大きいと思われます。
一方、加藤さん本人も耕作放棄田を活用して石黒にないものを育てる事などの夢をお持ちのようですが、こちらも大いに挑戦されることを期待しております。
何といっても、加藤さんの願いと受け入れ側の願いが一致することが何より大切な事と思います。9月4日の柏崎日報の記事「魅力的な地域への意欲・高柳町石黒、協力隊に辞令交付」の最後に見られる、桜井市長の「それぞれの思いが重なり、この出会いは成功だと実感した」という言葉を読み心強く感じました。リンク→柏崎日報記事
明朗活発な加藤さんが新たに村の一員となってくだされば、過疎化が極限まで進んだ故郷石黒にとって、この上ないことと思います。
どうぞ、加藤さんにおかれましても気候風土、生活習慣等が異なる土地での生活は大変なこともあるでしょうが、健康安全に留意されてご活躍くださることを心より願っております。
(編集会 大橋寿一郎)
地蔵尊祭礼行われる 2023.9.6
去る4日、昔から伝わる「峠の祭り」(地蔵峠の地蔵尊祭礼)が行われました。参加者は13人でした。数日前に行われた参道の草刈りには28名の参加者がありましたが、祭礼当日の参加者は少なく意外な事でした。
特に石黒地区からの参加者は一名もなく、かつて一度もない事であり驚きました。(20日の参道の草刈りには石黒から13名参加)
事情を聞いて見ますと今年は高温のため稲の実りが早く、例年になく早々とコシヒカリの刈り取りが始まったことが主な理由のようです。とくに5日から降雨との天気予報もあり、祭り当日は稲刈りを優先せざるを得なかったようです。
有坂宮司さんを始め、鵜川地区、門出、岡野町、市街地の皆さん、また、この度石黒地区の地域おこし協力隊として赴任された加藤さん、そして報道関係の方からも参加いただき無事祭礼が行われたことは、信者の一人として有り難い事であったと思います。(編集会 大橋寿一郎)
情報提供 春口敏栄(写真) 田辺和幸
上石黒、下石黒の黒姫神社祭礼が行なわれる 2023.8.31
ウェブサイト「石黒の昔の暮らし」をご覧くださっている皆様、例年にない猛暑が続きますが、お元気でお過ごしでしょうか。
さて、ふるさと石黒では、去る27日(日)に上石黒、下石黒で恒例の神社祭礼が行われました。岡野町より矢代神主をお迎えして、下石黒は午前9時、上石黒は10時より行なわれました。参詣者は上石黒12人、下石黒は5人とのことです。両集落とも例年の如く神祭終了後、直会(なおらい)で御神酒をいただき、後片付け後に解散となりました。
(下写真-上石黒黒姫神社)
年々参詣者が少なくなるのは淋しいことですね。
筆者の子どもの頃(昭和23~28年ごろ)の黒姫神社の祭礼ついての思い出を少し書いてみたいと思います。
上石黒の祭礼は9月1日で、子どもたちは自分たちの集落の祭礼に劣らず楽しみに待っておりました。それは、多くの出店がでることや恒例の相撲大会が行われるからでした。人出も多く広い境内が大勢の人でにぎわっていたことを憶えています。
また、出店で売られていた子供向きの玩具は、口にくわえて吹くと先がクルクルと伸びて「ビョーン」と音を立てて戻る棒状の玩具、「百連発」と子どもが呼んだテープ状の火薬が巻き送られて連続して撃てる玩具のピストル、笛(ホイッスル)などがあり、それらの音があちこちから入りまじって聞こえ、時たま社殿の方から太鼓の音が聞こえました。当時は過疎化が始まる20年ほど前で、人口も多く高度成長期が始まる頃でした。
ちなみに、当時(昭和25年)石黒校の児童生徒数は378人で石黒村の戸数は280戸、総人口は1,600人ほどでした。(※現在は戸数30戸、総人口65人、小中学校生0人)
また、下石黒の祭礼は9月15、16日でした。下石黒の黒姫神社は、明治32年に上石黒の黒姫神社から分社したものと伝えられています。
筆者が子どもの頃(昭和23~28年)の下石黒の祭礼は、毎年青年団の演芸会が行われました。ドラム、アコーディオン、ギター、バイオリン(カネオさん、テツオさん、サンシさん、タダシさん)などによるかなり本格的な「そよ風楽団」も編成されていました。楽団は、集落の教員住宅におられた石黒校の音楽教師(塩浦先生)の指導を受けたとの話も聞きました。また、筆者が中一のときの担任の佐々木先生が飛び入り出演で、トランペットを吹かれたことも記憶にあります。
出し物は歌謡曲、股旅舞踊、その他タップダンス(ショウキチさん)やジャズダンス(ヨシミさん)などがありました。忙しそうに足を動かすタップダンスやスカート姿で足を高く上げるジャズダンスなど初めて見るアメリカ文化は、つい先年まで国民学校の少国民であった我々には唯々珍しく、あっけにとられて口をあんぐり開けて眺めていました。
盆踊り(ションガイヤと甚句)は、15、16日と2晩にわたって立ちました。16日は仮装踊りで特に賑わいました。狭い境内は踊り手と見物客で混雑しました。
家から神社までの村の夜道は、かしましい虫の音につつまれていたことを今でも憶えております。
さて、聞くところによりますと、現在、ふるさと石黒では酒米「五百万石」の刈り取りは終わり、コシイブキの刈り取りが来月早々始まり、コシヒカリも10日前から始まる予想とのことです。(筆者が子どもの頃は9月15日の祭礼が終わると、「ハサ場なぎ」を始めて9月下旬から始まる稲刈りの準備をしたものでした)。
柏崎市街地では7月21日の梅雨明け以来、雨らしい雨も降らず猛暑が続いております。皆様どうぞ、健康安全にご留意されてお過ごしください。
(編集会)
情報・写真提供 田辺忍 大橋昭作
地蔵峠の地蔵尊参道の草なぎ作業行われる 2023.8.24
去る20日に地蔵峠の地蔵尊参道の草刈りが行われました。
今年は、石黒出身の方、高柳地区でご活躍の地域おこしの方々が大勢参加くださって総勢28名の作業となりました。お陰様で、作業は午後2時に開始して5時少し前に終了することが出来たとのことです。
猛暑の中の作業、大変ご苦労さまでした。
鵜川側の参道も現在、毎年草刈りを行い管理がされていますので、石黒~鵜川の古道は現在も立派に整備されています。中世、鵜川の女谷村の庄屋が兼帯庄屋として石黒村を支配していた頃から、この道は黒姫山を越えて2カ村を結ぶ主要道路でした。丈余の雪の冬の最中でも庄屋文書が鵜川か石黒まで届けられたのでした。
近代(昭和前期)に至ってもこの街道の重要性は続き、筆者が中学生のころも石黒校は黒姫郷に属し体育大会や写生大会などではお互いにこの道を通って行き来したものです。
その後、門出~石黒間の車道が開通すると、この道の通行は急激に減りましたが、峠の頂に祀られた地蔵尊への信仰は、石黒、鵜川、門出地区ともに熱烈な信者が多く、毎年7月と9月に祭礼が行われました。
9月4日の秋祭りのみになったのは過疎化が始まった昭和の中頃かと思われます。そのころは現在のコースとは異なり大野集落の共同墓地を通ってつづら折りに上る昔からの街道(松之山街道脇街道と呼ばれた)を通って上ったのでした。しかし、急傾斜の横道は毎年のように雪と共に崩落して修復に手間がかかりました。年々過疎化も進み、ついに管理が困難となり、やむを得ず現在の胸突き八丁の急な坂道に改修したのでした。
筆者は15年ほど前まで毎年5月に鵜川から地蔵峠越えを30年間してきましたが、大雪の年には必ずと言ってよいほど横道の崩落が見られました。(鵜川側は土質が異なり、このような箇所は見られない)
また、地蔵尊の御堂は1949年(昭和24年)に建てられたもので老朽化が進み倒壊の危険もあったのですが、2004年(平成16年)に板畑出身の中村恵治さん(大阪府在住)
による寄進工事で改修が行われました。参考※資料→年中行事
その後も熱心な信者やボランティアの皆様のご協力により整備が継承され今日に至っております。ちなみに、現在の急峻な坂道に改修するにあたり高齢などで登れない方々のために、上り口に祀神を分祀した塔があります。※祀神についての伝説「身代わり地蔵」←クリック
こちら柏崎市では、連日、熱中症警戒アラートが発令されております。皆様どうぞ、健康安全に留意されてお元気にてお過ごしください。
情報提供 田辺和幸 ブログ-山中記 写真撮影 田辺和幸
石黒地区盆踊り大会行われる 2023.8.15
去る8月15日、ふるさと石黒で恒例の盆踊り大会が行われました。あいにく当夜は台風7号の影響で風が強かったため、やぐら提灯は吊るさず作業用投光器を設置しておこなわれました。音頭取りは小堺宏幸さん、太鼓は大橋国生さんで「しょんがいや」が賑やかに踊られました。
参加者は30名ほどでした。ふるさと在住のみなさんの高齢化が進み足腰が弱り参加できない人も増え、年々、参加者が少なくなるのは実に淋しい事です。
また、10年ほど前までは、少年時代をふるさと石黒で過ごした方々がお子さんや孫さんを連れて帰省され盆踊りに参加されて賑やかでした。 しかし、その子も中高校生になり、親や祖父母にはついてこない年頃に成長されたのではと想っています。→2011年の盆踊りビデオ
とはいえ、父母や祖父母の生まれ育ったふるさと石黒で過ごしたお盆の記憶は、彼らの胸中に生涯のこるものと信じます。願わくば、彼らの世代が自分の子や孫を故郷石黒に連れて訪れて欲しいものですね。
今のところ、この先一週間ほどは猛暑が続くとの天気予報ですが、お互いに健康安全に留意して過ごしたいものですね。皆さんのお便りをお待ちしております。(編集会)
※追伸 石黒では水田の水不足のため稲の立ち枯れが発生しております。恵みの雨が待たれるところです。
情報提供 小林時吉 写真-田辺和幸
ECHIGO棚田サポーターによる花坂新田草刈作業行なわれる
大変ご苦労様でした 2023.7.29
ウェブサイト「石昔の暮らし」をご覧くださっている皆様、お元気でお過ごしでしょうか。沖縄地方にお住まいの皆さま、この度の台風6号による被害は無かったでしょうか。
さて、去る7月29日に、「ECHIGO棚田サポータ-」の皆さんによる大野地区花坂の農道と水路の草刈り作業が行なわれました。この棚田は一昨年、「つなぐ棚田遺産」(全国で271箇所、新潟県36箇所、柏崎市4箇所)で選ばれたものです。
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棚田花坂写真-2021.9.4 撮影 田辺和幸
参加者総勢35名の作業で、農道と水路の草刈りが行なわれました。石黒地区から耕作者の田辺和幸さん、中村稔さんを始め、NPО法人石黒邑から田辺忍さん、小林司さんが参加されて、8時30分から12時までの日程で行なわれました。皆様、猛暑の中大変ご苦労様でした。
参加くださった皆さんの集合写真-2023.7.29
ちなみに、「ECHIGO棚田サポータ-」は、1999年(平成11年)に「日本棚田百選」とともに発足した組織で、故郷の棚田花坂は長きにわたってサポートを受けた歴史があります。
このような、大勢の皆さんの温かいサポートをうけて、ふるさとの棚田花坂が1年でも長く続く事を願っております。
連日、記録的な猛暑が続き、その上、大型台風が九州付近で停滞しておりますが、皆様どうぞ健康安全にご留意されてお過ごしください。
情報提供 田辺和幸 柏崎地域振興局農業振興部 農村整備課
NPО法人石黒邑、トンネル入口の公園の草刈りを行なう |
NPО法人石黒邑は、7月29日の午後、ECHIGO棚田サポーターの花坂の草刈りに引き続き、国道353号線小岩トンネルの石黒側入口の記念公園の草刈り作業を行いました。この作業は一昨年までは石黒地区老人クラブが長く担当してきましたが、高齢化によりNPО法人石黒邑が引き継いで行っています。
猛暑の中、終日の作業、大変ご苦労様でした。
情報提供 田辺和幸
「さわらび15号」をご紹介します 2023.7.11
ウェブサイト「石黒の昔の暮らし」をご覧くださっている皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
このところ、九州地方では記録的な豪雨による被害が発生したとの報道に驚いております。皆様のお住まいの所は大丈夫でしたでしょうか。皆様のご無事を祈っております。
さて、この度、NPО法人石黒邑の会報「さわらび」15号が届きましたのでご紹介いたします。
←画像クリック
本号では、板畑集落(4世帯)に大阪からご両親の生まれ故郷に住みたいと移住された方、故郷・大野集落に週末に訪れて水路や旧道の整備などで貢献されている方の紹介が掲載されております。また、この度石黒邑が募集していました地域協力隊として9月に着任される方が決まったとの事など誠に喜ばしい記事が見られます。
梅雨明けも間近かと思われます。信じがたい高温が更新されていく近年ですが、熱中症などに留意してどうぞお元気にてお過ごしください。
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