9 月
峠の地蔵様秋祭り (4日)
峠の地蔵様の秋祭りは、昔から石黒、鵜川のみならず門出や松之山の信仰者も多く参加し7月15日の春祭りとともに参拝者で賑わった。
今日では、7月の春祭りより九月の秋祭りが盛大に行われている。
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地蔵峠の秋祭り |
この地蔵様に願をかける時には、小さな石を神前に供えてお参りをして、家に持ち帰り毎日拝み満願を迎えたら小石を神社に返すと言い伝えられている。
現在のお堂は、昭和24年(1949)に建てられたものといわれる。(堂内に、上棟祭・棟梁高橋昌作と書かれた棟札が現存する)
平成16年、板畑出身、大阪在住の中村恵治さんによる地蔵尊お堂の寄進修復工事が完了した。工事は石黒地区をはじめ鵜川地区などの信者の協力を得て厳しい作業条件の中で進められて来た。
寄進者中村さんは、大阪の自宅から単身で来村され公民館に寝泊りして作業にあたられた。
資料→地蔵峠の秋−地蔵尊と峠道
※中村恵治さんによる改修作業の記録写真集→クリック
秋回檀 (中旬)
秋回檀は、十五夜祭りのころに行われた。春回檀と同様、寺宿で御講が行われ村人が集まって説教を聞いた。
また、秋には豆奉加が行われ、世話人が檀家から大豆を集めて寄進した。
上石黒では、米奉加が行われ、1軒1升が慣例であり、車道開通前には、10人の荷送りが必要であったという。
資料→後生ぞくと御講
資料→寺送り人足並び俵帳
秋祭り
上石黒の黒姫神社の祭礼(1日)
落合の白山神社の祭り(1日)
黒姫神社は、上石黒、下石黒、大野、居谷の四集落にあるが、上石黒の神社は本社と言ってよいであろう。
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上石黒集落の黒姫神社 |
現在の建物は、150年前の安政年間のものといわれ(祭神はミズハノミコト)、豊作祈願、家内安全の神様として、その祭礼は昔から大いににぎわった。
祭礼には、恒例の奉納寄り相撲のほか、綾子舞(当時はタイヨウ舞いと呼ばれた)を折居から招き奉納した。舞人は泊まりがけでやって来て、お礼は米1俵であったという。(補記→宮相撲の由来)
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落合集落の白山神社 |
また、旅芝居がかかる年もあり、境内には出店が軒を並べ賑わった。
午前は鵜川神社の神官が来て村民の安全を祈祷したあと綾子舞の奉納があり、午後から寄り相撲が行われた。
午後の寄り相撲は、若い衆連中が中心になって境内で行われ、遠くは鵜川、浦川原、松代、門出村からも力自慢が参加し力と技を競った。
また、よみや(夜宮→補記)には本村(ホムラ)の人をイリムキに集め、提灯行列が行われた。行列は花木(竹やモミジやブナの木に七夕に似た飾りを付けたもの)を先頭に提灯を持った人々が続いて神社に向かって練り歩いた。
これを「チヨロリレ」(昭和の終わりに花木舞と呼ぶようになった)と呼び「チッチー チャロレ チヤロレロー」のリズムに合わせて三歩進んで一歩退くという足並みで神社まで行進した。行進のねらいには村人を誘い出して神社に集める事もあった。
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上石黒祭礼チヨロリレの行進 |
行列は、天狗のお面をつけ、はっぴにタスキ掛けの人(1人)を先頭に、花木を持つ人(6〜9人)が続き、その後に笛を吹く人(6人)続いて太鼓(大太鼓を二人で担ぎ1人が打つ)、最後に提灯を持った大勢の人が続いて行進した。
イリムキから神社までの道は、中央に飛び石状に四角のタキノフチ石が敷いてあるのみの坂道もあり、雨が降るとぬかるみができ行進も大変であった。
神社に到着すると、境内でもチヨロリレの舞が行われ、宵祭りはクライマックスに達した。
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