● 補 記 1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
当時の養蚕 当時、多くの家で養蚕が行われていたが、蚕の餌となる桑は、田畑の周りなどに植えられてあり、特に桑畑と呼べるものを持った家は少なかった。桑畑は、桑の木の間に刈草を敷きこんで雑草を防ぐとともに肥料とした。蚕には、常に新鮮な桑の葉を与えることが大切であったため、その都度採ってきた桑を与えたが、家によっては、家の裏の土手の横穴に入れて葉がしおれないように保管しておいて与える家も あった。 |
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カンノ 昭和の初期のころには、耕地の少ない石黒では、カンノが、非常に盛んに行われた。そのため、「入山〔共有地〕に行ってもカンノ畑が多くて、牛馬の餌の草を刈る場所もなかった」と語る古老もいる。 カンノで栽培された作物にはソバ、小豆、豆、粟などがあった。大豆蒔きが日照り等でできない年は、小豆を蒔くなど工夫した。大豆はノウサギの被害にあうことが多かったが、小豆はノウサギの被害を受けなかった。ノウサギはようやく生長した大豆の本葉を葉柄のもとから食べてしまうのであった。 |
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カンノ 2 昔から大野集落では特に大々的な焼畑がおこなわれていたという。今に伝わる話に、ある家では、カンノ畑で小豆を十俵も収穫したとか、粟をカンノ畑5ha余も蒔いて、売ったお金で家中で京参りをした等という話もあった。また、その粟の生育がとてもよく、茎を三又にして中身の入ったワッパ弁当をぶら下げても折れることがなかったという話も伝わっている。 |
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各集落の入山〔いりやま→共有地〕
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手でなった縄の種類
→年中行事へ |
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遠山〔家から遠い田畑〕の地名と片道所要時間
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稲ニオ イナニオは、稲束を、内側に穂を向けて円形に積み上げた。上のほうは稲わらで水が入らないように覆った |
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軍馬用の干草供出 太平洋戦争中には、軍馬用の干し草の供出が行われ、干し草刈りが盛んに行われた。しかし、乾燥が天候に左右されるため、カビが発生し使い物にならない物も多かったという。 |
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刈草やクズのつる取りの解禁日 昔はカンノ畑が盛んに行われたため、刈草をする場所もなかったほどだったと語る古老もいる。牛馬の冬期間の餌とする干し草も採取の期間を決めて公平な分配に配慮した。クズのつるも期間を決めて採取し、葉は干し草としツルはハサ縄の縦縄に使ったものだという。 |
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誘蛾灯(ゆうがとう) 昔は光源に石油ランプ,アセチレン,60W電球などを用いた。光で集まる害虫を、水面に油や中性洗剤を落とした水盤に落下昏死させた。主として石黒ではイネのメイガ類に使用した。 昭和の初期から第2次世界大戦直後にかけて、ニカメイガが330〜440nmの紫外線によく誘引されることが分かり、同範囲の光を効率よく出す青色蛍光灯を開発した。その効果は、5ha当り1台ずつの設置で,イネの被害茎の数を半減させるというもので、1952年には全国のメイガ防除用青色蛍光灯は14万台にも及んだという。 しかし、その後にメイガ防除用の特効薬パラチオンが登場し、誘蛾灯の使用は急減した。 →本文へ →資料スジマキへ |
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除草剤 2・4−D、MCPPはそれぞれ昭和25年、29年にから使われるようになり現在も多くの農家で使用されいる。この2・4−Dは我が国の除草剤の草分けであり、その後、除草剤は今日までめざましい発展をとげ、今や我が国の農業にとって、不可欠な存在となっている。 また、2・4−D、MCPPはホルモン作用を有する選択性除草剤で、出穂前30日〜40日(分けつ終止期〜幼穂形成始期)に処理することによって、イネ科以外の一年性広葉雑草及び多年生雑草に対して幅広く優れた除草効果を発揮する。 |
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殺虫剤 BHCは有機塩素系の薬剤で殺虫剤、防疫用薬剤、白蟻駆除剤として利用された。わが国では1949年(昭和24)に神奈川県で稲のウンカ駆除にBHCの効果が認められるやいなや、その使用は瞬く間に全国に広がった。 水田や果樹、野菜の害虫防除とともに、ハエ、カ、ノミなど衛生害虫の防除にも広く大量に使用された。 しかし、土壌、稲わらを通して牛、さらには牛乳、牛肉、それを食べる人間の体内からも検出され、母乳にも見いだされるようになり、人体へ蓄積するおそれを考慮し、1971年より日本では使用が禁止された。 |