門出村御案内帳  石黒村庄屋 田辺重順家文書  用語手引き
      
  

案内帳


百姓代


本田田高
    
   
   天保二卯年

 門出村御案内帳

   七月


    門出村
     庄屋 
       六郎左衛門
     与頭 
       助治衛門
     百姓代
       市郎右衛門
 一、高三百三十石九斗七升五合
  この訳
           本田田高
  百四十一石一斗六升三合
 山高


石盛


※「勝田・下勝田」→田場所の地名
            本田高
 九十八石二斗六升五合 
 一石五升九升  山高
          午新田
 十一石一斗三升三合 
           戌新田
 二十八石一斗九升五合 
           辰新田
 八石四斗二升八合 
           丑新田
 十七石九斗三升二合 


           西新田
 十三石五斗二升六合 田畑成
           丑新田 
 八石七斗五升五合  畑方

 〆て
        上田  十五
 本田石盛   中田  十三
        下田  十一

 勝田本田 石盛   十五
 下勝田本田石盛   十三 
  口米


駄賃米


口留番所
 
 □□本田石盛  十一
 午新田 石盛  十一
 酉新田 石盛  九ツ
 辰新田 石盛  十一
 本畑石盛    六ツ
 丑新田石盛   六ツ
 同新畑石盛   四ツ


  〆
 一口米の儀は御収納米一石に付き
 三升宛て仰せつけられ候

 一駄賃米の儀は先御支配中
 御座無く候

 一当村に口留め番所御座候
   色高


役銀


運上物






※「自分持合」の外の自分持合は人糞や馬糞などの肥料を指すものであろう。

  一当村色高新田高、口留
 番所へ御役銀先年より懸り
 申さず候

 一当村に運上物何にても一切
 御座無く候

 一当村に何にても名産御座無く候

 一田方作り付けの事
  但し 早稲中稲主にて晩稲
    少々宛て作り申し候

 一養(肥しの意味か)の儀は自分持合の外
 油粕、こぬかなど買入作り加え申し候

 一畑方作りの事
  大豆
   自分味噌は自家製味噌。馬大豆は馬の餌(豆の莢殻やクズ豆など)農耕時には飼い葉に豆を混ぜて食べさせた。


稗(ひえ)





※「自分遣い」→自家用


 これは百姓自分味噌、馬大豆
 いたし余分売り払い塩、茶などに
 売り(買?)代替え渡世致し来たり候並びに
 粟、稗(ひえ)黍(きび)小豆、大根、蕪、茄
 子、荏胡麻(えごま)蕎麦、牛蒡、里
 芋、右の品、少々宛て作り
 百姓扶喰自分遣い用に
 仕り、他所へ売り出し候義
          御座無く候

 木綿
  これは少々宛て仕付候得共
  土地柄悪しき故、虫付き致し
  これ格別の助成に相成り
  来たり申さず候
一 田畑稲の外、縮(ちぢみ)少々宛て
  仕り候 
 
   諸調物→調え物で日常品を指す言葉であろう。

※川筋→鯖石川を指す。


※□の嶋は地図上では荻ノ島に当たる。□清水村は「清水村」だけで理解できる。



※「当御領分」は天保2年は、門出、石黒ともに幕領で桑名藩預所であったことに依る。

※「出水相用い」僅かな量の湧き水・地下水に頼る田が多かったこと。

 一穀類売買、並びに百姓農具
  その外、諸調物など大方柏崎
  小千谷より仕り候
 一当村東西南北共川筋は
  西山より東山へ流水に御座候
     東南は□の嶋□清水村
 一村境 北際の谷折居村
     西は当御領分石黒村

 一当村より諸方への道法
  柏崎へ七里、古千谷へ六里
  高田へ十二里

 一当村用水の義、多くは山地に
  候得共出水相用い申し候 
 


竪揚口より田所→取水口から田までの用水路の長さを示している。



丁(町)
※ここでは距離を表わし1丁は約109m。







板橋


土橋
  一、用水堰三か所
  内訳
 字、坪の平   但し  竪(たて)揚口より田所まで
  一か所       三十丁
           幅二尺高さ
           三尺

 字、とつら平ら  但し 竪揚口より田所まで
  一か所       七十丁
           幅高さ右同断

 字、鶴間    但し 竪揚口より田所まで
  一か所       二十五丁 
           幅一尺五寸
           高さ二尺

 一 板橋、土橋共十カ所
    内
 字、後沢
  一か所   但し 長さ八間   
           幅四尺
 字、蟹(かに)沢 但し 長さ一丈
  一か所      幅六尺
 字、□かん沢  但し 長さ八尺
  一か所      幅四尺
 字、有倉    但し 長さ六間半
  一か所      幅三尺    
  
   入会普請


御林



秣場


柴・柴木


「種菜」という言葉は見当たらないが、アブラナのことであろうか。菜種油をとる種。



「干し菜」は石黒では主に大根の葉を藁で編んで戸外に下げて置いて冬季に必要に応じてはずして来て雑炊などに入れて食べた。
  字、ほそば     但し   長さ六間
  一か所         幅 三尺
 字、土橋
  一か所    但し   長さ六尺
             巾五尺
 字、下の坂  但し  長さ 六間
  一か所      幅  三尺五寸
 字、鶴間土橋 但し  長さ六間
                幅 三尺
 字、向橋   但し  長さ二十六間
             幅三尺五寸
 これは石黒門出両村入会普請

一、当村に御林   御座無く候

一、当村の御城跡  御座無く候

一、秣場(まぐさば)刈り、柴木刈りの儀は百姓
  持山にて仕り候

一、種菜、大根菜、蕪(かぶ)干し菜喰い
  申し候 
 





黒姫大明神


神明宮


熊野権現


諏訪大明神は中後集落にあった神社。過疎地振興法による集団移転とともに廃社となった。
  一、宮四ケ所
 一、堂三ケ所
 徐地九瀬十歩
  黒姫大明神  一社
 同断
 神明宮     一社
 同断
 熊野権現    一社
 同断
 諏訪大明神   一社

 境内二畝十二歩
 阿弥陀堂    一ケ所
 境内二畝六歩  
 観音堂     一ケ所
 境内三畝十二歩 
 地蔵堂     一ケ所
  〆
 一、家数 二百五十七軒
  道心 



座頭



「女馬」農耕馬としては大人しい雌馬が多く飼われた。
  人数 千百二十四人
  内
 六百九人  男
 五百十五人 女
 一人    道心
 一人    座頭
    女馬 二十三匹


 右の通り当村御案内帳
 書き上げ仕り候所、相違御座無く候
 門出村     百姓代 市郎右衛門
 卯七月     与頭  助治衛門
         庄屋  六郎左衛門
 御代官所
   「難渋梁・本梁・中梁」の用語は辞典では見当たらないが家屋の造りの評価に係わる言葉であろう。「梁役」という言葉から家屋にかけられた今日の固定資産税のようなものではなかろうか。

詳しい方の御指導を仰ぎたい。


大肝煎
   
   

   別紙申し談じ候
 一、御貴村も拙村同様
  民家多分に御座候得ば
  大方、難渋梁に御座候間
  大肝煎様へ右の段
  御申し立て梁役相除き


  候様、お取計らい下さるべく候
  私義は本梁二十四・五人
  中梁三十人くらい
  その余は難渋梁と
  申し立て大肝煎様へ
  厚くお願い申し上げ(候)間この段
  お知らせ申し入り候 以上
  
            備   考

 江戸時代には、代官所などから、このような村の概要を報告する文書の提出要請が時々あり、石黒村庄屋が門出村にの庄屋に報告文例を参考に求めたものであることが、別紙文面よりうかがうことが出来る。
 当時代は、板畑・居谷集落が石黒村に編入する前であり、門出は高栁では最も大きな村であった。(高330石、人口1124人)
 なお、産物等については、宝暦年間から始まったと伝えらる和紙の生産、あるいは縮布についての記載は極めて控えめであるが、租税の対象となることを配慮したものと思われる。
 また、本文に記されている神社のうち、黒姫神社・諏訪社が門出にあり、寄合に神明社、板畑に熊野社、居谷に黒姫神社昭和40年代に廃村となった中後に諏訪社があった。

  卯七月二十九日 門出村
      庄屋 六郎左衛門

 石黒村
 庄屋 源蔵様  
 
 
 読み下し文・用語の手引・備考文責 大橋寿一郎