追伸と封書(三島宿の行倒れ人久平に関する文書)  用語の手引き
   























行倒人


町方


分郷


○普光寺→※普廣寺(現存する寺)


往来手形


参宮


東海道


島田宿


宿役人


○御状→ここでは宿役人からの九平死亡の通知の手紙


○江戸御屋敷


問屋


年寄
 
 
 
 嘉永二酉年閏四月 町方分前所六右衛門伯父
 二年普広寺往来手形所持参宮に罷り出 東海道
 嶋田宿並木の間病死致し居り候に付き右宿役人の上にて
 御取計らい下され御状送り下され候に付き六右衛門へ申し聞かせ村
 役人より先方宿役人衆へ御禮状 五月十九日遣わされ候
 江戸御屋敷御役人様へ 文を御目に掛け江戸御屋敷へ六右衛門
 兄奉公相勤め居り候に付き同人より嶋田宿へ悉く(ことごとく)は願書品帳にて
                                    京屋
              月十日出 □迄□済夫れより先払い
            北条村禅宗普光寺
            往生手形写し在中
 松平越中守様御領分 東海道嶋田宿
  越後国刈羽郡北条村             問屋
                                孫兵衛
   御役人中                   年寄り
                                新右衛門
 ※関連文書→  ○書簡-三島宿での行倒れ者の処理について ○久平所持の品 往来一通の事  
 読み下し・用語手引き文責 大橋寿一郎