クリ
暮らしとの関わり
 石黒では野生のクリは、「ヤマグリ」あるいは「シバグリ」と呼んだ。家で栽培しているクリは大実のクリが多く「オオセグリ」と呼んだ。
 筆者の子どもの頃には現在の下石黒の屋号「西」の家の裏の道沿いに、このオオセグリの大木(根元直径50p程)があり登下校に道に落ちていたものを拾った記憶がある。
 クリは、庭先や小路などに植えておく家が多かった。一抱えもある大木も珍しくなかった。
 子どもの頃、果実の時季になると朝いまだ暗いうちに起きて栗の実を拾った。朝の薄明の中、つややかなクリの実を次々と見つけたときの興奮は今も忘れることは出来ない。
 また、家の周りの木には山笠を被り蓑を着て上り枝を揺すって実を落とした。スゲ笠の上にバタバタとクリの毬が落ちてきた。
 こうして、採った栗の実は、砂の中に入れて冬まで保存した。石黒ではこの保存法を「砂グリ」呼んだ。
 ヤマグリは実が小さかったが味は栽培栗に勝った。しかし、シバグリは子どもが拾うだけで大人は採取するということはほとんどなかった。
 筆者の生家の屋敷つづきのブナ林にも数本のヤマグリがあった。秋になると静かな林の中から栗の落ちる音がしきりに聞こえたものである。これらの殆どはリスや野鼠のエサとなったものであろう。
 春の開花の時期には独特の濃厚な香りが漂い、花にはチョウ、主にヒョウモン類が沢山寄っているのが見られる。→写真 ミツバチも集団でやってきていて木の下に行くと、その羽音に驚くことがある。
 ヤマグリには、しばしば虫こぶを見かけるがクリタマバチの虫えいである。先日(2011.7.1)に、虫えいの中を観察したら脱出寸前の成虫(体長2〜3o)が見られた。(右下写真)
 また、子どもの頃に、この木の葉を食草とするクスサンの幼虫を捕らえて魚釣りのテグスを作ったことも懐かしい。
→子どもの暮らし
 果実の大きな種を求めて、家の回りに育てたが必ず3個の果実のあるイガを探して真ん中の果実(中クリと呼んだ)を地中に埋め込んだものであった。
 子どもの頃に、「クリ一升、米一升」という言葉を祖母から聞いたが、同じ値段で取引されるほどクリは価値があったものであろう。
 安永2年(1773)の石黒村指出明細帳には「栗 これは畑方の内大概七ケ二程仕付申し候、上畑1反に付き栗1斗8升程、中畑に1斗6升程、下畑一反に1斗3・4升ほど取り申し候て作夫喰に仕り候」とある。→本文参照
 クリはクルミと共に今からおよそ1万7000年前の縄文時代から人の大切な食料として重要な役割を果たした樹木である。青森県の三内丸山遺跡では直径1mのクリの柱が6本見つかっていることからも、クリの木が優良な食糧資源として大切に管理、栽培されていたことが分かる。
 また、砂クリといって一定の湿度のある砂の中に保存すると冬季も良好な状態て保存できた。また、実生から育てても「桃栗3年柿8年」のことわざ通り3年ほどで実をつける果樹である。縄文時代の野生クリは今の石黒で「山栗」と呼ぶ野生の栗であったと思われるが前述のとおり小粒であるが味は大型の改良種より優れている。縄文人は家の近くや集落の周りに植えて大木に育てたものであろう。開花期の縄文時代の集落は、むせ返るような栗の花独特の匂いがただよったものであろう。(下写真)参考資料−高柳町の縄文遺跡と位置

 また、当時の野生のクリはリスや野ネズミなどの小動物によって運ばれ自然散布によりブナやナラと混在して自生していたにちがいない。筆者が子どもの頃に秋のブナ林の沢沿いで遊んでいるとあちこちから山栗の落ちる音が頻りに聞えたことを憶えている。
 ちなみに、クリ材は芯材の耐久性は極めて高く昔から杭木として使われていた。
 筆者の世代が小学校で習った童謡「里の秋」にも「栗の実煮てます囲炉裏端」の歌詞がある。→「里の秋について」

 (上写真2006.9.3寄合〔背景は扇ケヤキ〕 右上2005.7.4寄合 2005.9.24上石黒)


                 若葉

写真2014.5.8下石黒

          葉の形と棘状に尖った鋸歯

撮影日2009.7.15下石黒


                    花期

撮影日2004.7.4上石黒

               果実期
写真2014.9.9下石黒

            熟したクリ1

写真2015.5.15新田畑

             熟したクリ2


撮影日2007.10.7大野

      担任の先生クリ拾いに行った思い出
 太平洋戦争で我が国が無条件降伏をした昭和20年(1945)、筆者は国民学校1年生であった。秋晴れのある日、校舎前方のブナ林に受け持ちの女の先生につれられて栗拾いに行った。
 腕白坊主どもは高い栗の木にスルスルと上って枝をゆさぶって実をふるい落とした。女学校を出たばかりで19才の先生はとても心配そうに下から見上げておられた。(
この場所は敗戦直前の2カ月ほど前に先生に連れられて何度か空襲避難した場所であった)
 拾った栗は学校に帰ってから用務員のおばさんに茹でてもらって分けて食べた。その時の栗の美味しかったことは今も忘れることは出来ない。
 敗戦直後で学用品どころか食べ物にも不自由する時代であったが、石黒の自然は春夏秋冬を通じて子どもたちに豊かな恵みを与えてくれた。
 ちなみに、その時の担任、箕輪昭子先生は今も元気でおられる。先生、どうぞいつまでもお元気で。
  〔2009.12.28〕

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解 説
ブナ科
 各地の山地に生え、または栽培される落葉高木。高さ15〜20m、幹の直径60cmに達するものもある。(※クリは縄文時代からクルミとともに良質な食料として重要な役割を果たした樹木である。また、建築材としても優れた耐久性をもち当時の住居に使われたことが遺跡から分かっている。中には直径1mもの栗の柱が出土している)
 葉は柄があって互生。被針形に近い長楕円形。先は尖り、基部は心臓形で左右不同。縁には針状に尖った鋸歯がある。(左下写真)下面はやや白色を帯びる。若い葉には托葉がある。
 落葉時期が遅いため、雪国では早い降雪にあうと枝折れの被害を発生しやすい。
 花期は6月。花は独特の香りを発する。
 雄花の尾状花穂は新枝の葉のつけ根につき、真っ直ぐに伸び長さ15pほど。多数の黄白色の細花をつける。雄花はガクが6個で深裂し雄しべは10本ほどで長く外に出ている〔下写真〕
 雌花の集まりは無柄で雄花の穂の下部につき普通3個が集まって鱗片総包に包まれている〔下写真〕。雌花のガクは6個に深裂し子房は下位で5〜9の細い線形の花柱がある。
 果実(堅果)は、2〜3個が集まってイガ(総包)に包まれていて熟すとイガは、割れて実を落とす。
 材は腐食に強いため土台や杭に利用される〔左写真〕
 名前の由来は黒実・クロミの意味。シバグリはシバ〔雑木〕のクリの意味。


       開花前

写真 2008.6.4 下石黒

     雄花(尾状花穂)

写真2013.6.30上石黒

         雄花

撮影日2009.6.16寄合

   吸蜜するルリシジミ
写真2012.7.9上石黒

        雌花

 撮影日2009.7.3下石黒

   結実後の雄花(茶色)

撮影日2011.7.21下石黒

     未熟の頃

写真2009.8.16上石黒

  果実の成長の様子
写真2005.9.17下石黒

     毬が開く頃

2007.10.5下石黒

  虫えいと中のクリタマバチ


顕微鏡写真 2011.7.2

     クスサン幼虫

 写真 2005.5.3下石黒