童謡「里の秋」の思い出と誕生秘話
思 い 出
 私は、昭和20年の4月に国民学校に入学したが、「里の秋」を指導されたのは2学年の時であったように思う。もちろん下記の誕生秘話など知るわけがなかった。
 指導の先生は20才になられたばかりの箕輪昭子先生であった。児童玄関二階の音楽室でオルガンを上手にひいて教えてくださった。私は教科の音楽には興味がなかったが「里の秋」は「
栗の実煮てます囲炉裏端」など当時の故郷の生活感がこもっていたせいかよく憶えている。
 とくに指導の中で、箕輪先生が「木の実」の読み方を「コノミの方がいいかな」と言われたことが何故か鮮明な記憶として残っている。その訳は「木」という漢字の新たな読み方を知った驚きと喜びであったかもしれない。とにかく今でも先生の穏やかな優しい口調とともにこの言葉を忘れることが出来ない。
 ところで、現在、放送などで聞いていると「きのみ」と歌っているようであるが私は今でもその時に指導してくださった先生の「このみ」の方がこの歌にマッチしているように思われてならない
 
里の秋の誕生まで 
  敗戦後、(題名-里の秋)    戦争中(題名-星月夜)
 敗戦後、戦意高揚の歌詞の一部を削除あるいは改めて作曲し川田正子が歌い大ヒットした童謡  太平洋戦争勃発のころ戦意高揚のために作られたが作曲されずそのまま敗戦を迎えた元歌
静かな静かな 里の秋
 お背戸に木の実の 落ちる夜は
 ああ 母さんとただ二人
 栗の実 煮てます いろりばた

②明るい明るい 星の空
 鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
 ああ 父さんのあの笑顔
 栗の実 食べては 思い出す

③さよならさよなら 椰子(やし)の島
 お舟にゆられて 帰られる
 ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
 今夜も 母さんと 祈ります
 
※敗戦後に、下の③、④番が削除され新たに左の③番が加えられた。

③きれいな きれいな 椰子の島
 しっかり 護って くださいと
 ああ 父さんの ご武運を
 今夜も ひとりで 祈ります 

④大きく大きく なったなら
 兵隊さんだよ うれしいな
 ねえ 母さんよ 僕だって
 必ず お国を 護ります  
 ※1945年(昭和20年)12月24日、JОAK-現在のNHKの「外地引揚同胞激励の午后」の中で発表された童謡  ※1941年(昭和16年)太平洋戦争の最中、東北の田舎を舞台に戦地の父への慰問文として書かれた歌(曲なし) 
 作詞-斎藤信夫、 作曲-海沼實  (歌-₋川田正子-里の秋)  
文責 編集会 大橋寿一郎