エノキ
暮らしとの関わり
 石黒にはエノキは自生していないものと思っていたが、先日、上の写真の樹木に出会った。
 葉の形状からひとまずエノキと同定した。果実が見られなかったこと、樹皮が滑らかなのは個体が径10pほどの若木であったためであろうか。ご指導を賜りたい。
 ちなみに、天和3年(1683年)の「石黒村御検地水帳」に田地の地名に「えの木の下」という記載が見られる。場所は今の大野集落内のようだが、上の写真の木も大野地内にあり、昔は大木があったのではないかとも想われる。その大木の生えた場所から少し下ったところの田地の名前であったのではなかろうか。(→越後国刈羽郡石黒村御検地水帳 )
 ウェキペディアによれば、エノキの古名は「エ」であり、漢字の「榎」は夏に日陰を作る樹を意味する和製漢字であるという。
 また、江戸時代には街道の一里塚として植えられたという。五街道の一里塚の樹種の半分以上をを占め、松等をはるかにしのぐという。海風にも強く、広く枝を広げる榎は夏には日景をつくり、旅人がその木陰で一休みしている姿が思い浮かぶ。そういえば、石黒で出会った唯一のエノキも地蔵峠を越える昔の街道沿いであった。
 ちなみに大沢には「榎峠」とよばれる峠がある。(榎峠は全国各地に見られる)
 市街地海岸部には大木が普通に見られる。
 10月27日にママコノシリヌグイの撮影のために米山大橋(青海川)の近くの海岸に行ったおりにエノキを観察したが樹皮は、きめが粗く葉の質感も記載の個体とは異なるように見えた。今後、石黒の個体をよく観察したい。
 柏崎市街地では昔から「ヨロンゴ」と呼ばれ、潮風に強く海岸側に多い。「高田藩主が柏崎から直江津までの海岸地帯に防風林として、また飛砂防止のため植えさせた」という記述が「柏崎の植物」に見られる。今も笠島など海に面した集落には風よけに植えられたエノキが見られる。(下写真)
 今朝(2012.9.13)松波町で撮った大木も見事な銘木である。(下写真)
 チョウ類のオオムラサキ、ヒメジャノメイチモンジセセリシータテハ食樹。
 昨日(2014.11.2)番神で見事に黄葉したエノキに出会った。目を凝らしてみると赤い果実が見えた。→参考画像
 2017.7.2に高柳町でオオムラサキ自然復帰イベントがガルルスキー場で開かれた。現在、高柳では「華麗なオオムラサキの舞う山里に」プレジェクトが行われており、昨年はオオムラサキの食樹であるエノキの苗木400本を町内各所に植樹している。当日は大切に育てたオオムラサキの成虫をスキー場近くのエノキの木々の近くで放蝶したとのこと。


(写真 2007.7.31 大野 丸子山農道下)

             芽吹き前

写真2015.4.4番神
              海岸のエノキ

写真2011.10.27青海川

               果実期
写真2014.6.24裏浜

写真2015.8.15藤元町
        風よけに植えられたエノキ
写真2012.10.8笠島

          見事な枝ぶりのエノキ

写真2012.9.13松波町現在幼稚園・旧荒浜第二小学校跡
写真2012.10.4米山町

                  黄葉

写真2014.11.2番神

               冬の様子
写真2012.2.1鯨波
解 説
ニレ科
本州から九州に分布する雌雄同株落葉高木
 高さ15〜20m。幹は直立してよく枝分けする。
 葉は柄があり互生し左右不同で縁の上部に鋸歯がある。長さは4〜10pで3主脈が目立つ(上写真)
 花は淡黄色で小型。雄花は新枝の下部の花穂につき、雌花は新枝の上部につく。
 果実は球形で径約7o。秋は赤く熟す。樹皮は厚く、灰色か灰黒色できめが粗い。
 用材としては建築用材、家具材、道具材、薪炭などに使われる。木材の質はやや堅いが、強度はそれほど強くない。また、狂いが生じやすい。風合いが似ていることから、ケヤキの代用とされる。
 名前の由来は不明、古名はエ。(漢字の「榎」は夏に日陰を作る樹を意味する和字)。



    エノキ若芽

2016.4.30藤元町

        若葉-1

写真2017.5.11藤元町

       若葉-2

2016.4.30藤元町

      葉の表裏
写真2014.6.21青海川

葉の特徴-葉脈・葉上部の鋸歯
写真2013.6.13鯨波

        果実

写真2012.7.17大崎

 虫えい-エノキハイボフシ

2014.9.29 掘 

   色づき始めた果実


写真2014.8.27笠島

  変わった樹形(要再確認)
写真2012.10.20中浜

      幹切り口
写真2012.5.12笠島

        冬芽
写真2015.1.17春日