ハマシギ
暮らしとの関わり
 ハマシギは、山育ちの筆者には今日まで無縁の鳥であったが、「ハマチドリ」の別称(鳥名の由来辞典-柏書房)があるとなると小学生の頃から唱歌を通して親しんだ鳥である。
 先日(2015.3.3)に所用で西港町まで行ったついでに番神まで足をのばして岩礁で群れているハマシギを撮ったのがこれらの写真である。
 その日、運よくハマシギの30羽ほどの群れに出会うことができたが、惜しいかな厚い雲のせいで未だ陽は高いにもかかわらず筆者の眼には、50mほど先の彼らの群れの動きは、まるで陽炎を見ているようであった。ただ、群れで飛翔し時々旋回するおりに見せる白銀色の翼(裏)は、鮮明に見えた。 まさに、唱歌の中の「銀のつばさ」とはこのことであろう。
唱歌「浜ちどり」の歌詞はWEB上で調べると

青い月夜の浜辺には
親を探して鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
濡れた翼の銀の色

夜鳴く鳥の悲しさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀のつばさの浜千鳥

とある。思い出してみると子ども心に、淋しい歌という印象であった。今でも何か物悲しさのようなものを感ずる歌である。
 この歌の作詞者は鹿島鳴秋という人で、大正9年(1919)に発表されたという。なんでも、鹿島が友人の桑山太一を柏崎に尋ね、共に番神海岸を散歩した時に閃いて手帳に書き留めた歌詞であるそうだ。→参考資料
 この時の鳥がハマシギであったどうかは正確には分からない。ハマシギは冬鳥であるので6月には見られないことから他の鳥の可能性が高い。だが桑山氏の文に、作詞家鹿島は「その後何度か柏崎を訪れた後にこの歌を完成した」と記されていることから冬の海岸でハマチドリを見ている可能性もあり、ここで特定の鳥に絞ることも余り意味のない事のように思われる・・・・。つまり、イソシギもハマシギも作者のインスピレーションの元になっているのではないかということだ。
 筆者が野鳥についてご指導をいただいている鳥類研究者のH氏は、浜千鳥の歌の鳥は、渡りの時期と夜に鳴くという点からイソシギ(右下参考写真)であろうと言われている。私も氏の指導を受け納得したが、本ページのハマシギとの感動的出会いの思い出が捨てがたく今までの記述の概略はそのまま残すことにした。

 ところで、本頁写真撮影地は、佐渡島への流罪を赦免された日蓮が着岸した地で、ハマシギを撮影した場所のすぐ上の番神岬には日蓮が三十番神を勧請したといわれる「番神堂」がある。

 ちなみに、角川地名大辞典によれば、柏崎市の悪田村の昔の産物は「鰯と千鳥」とあるが、猟期が11〜12月とあることから、この千鳥とは、シロチドリやハマシギのことであろう。当時は鯖石川河口には広大なアシ原があり、渚は水鳥たちにとって豊かな餌場であったと想われる。「産物」と称するからには捕獲された千鳥の数は半端な数ではなかったと思われる。おそらく数万に及ぶものと思われる。
 現在では、ハマシギは各県のレッドデータで絶滅が危惧される種として記載されるようになっている。

上写真 2015.3.3 番神海岸


          シロチロリ(左)とともに
写真 2015.3.3 番神海岸

          群れで飛翔旋回する様子
写真 2015.3.3 番神海岸

解 説
シギ科
 日本では旅鳥または冬鳥として、全国各地に渡来し、干潟や砂浜、河口、水田など生息する。
 調査により日本に渡って来る種は、大部分がアラスカ北部で繁殖した群れであると推定されている。  
 冬期は日本を通過し、東南アジアまで南下する集団もいるという。
 全長約21p、翼長約12pほどで雌雄同色。冬羽は灰褐色で腹部は白色。夏羽は頭と翼が赤っぽく腹部は黒くなる。嘴は黒くやや下に湾曲している(写真)
 数千、数万羽に及ぶ大群を作る習性もある。
 浜辺に棲むチドリという意味で「ハマチドリ」と呼ばれることもある。
 食性は肉食で貝類、甲殻類、ゴカイ、昆虫類を捕食する。
 鳴き声は「ジューイ」「ジリリリリ」、たまに「ビリーッ」と澄んだ声で鳴くこともある。



 岩礁で餌をついばむ様子


写真 2015.3.3番神海岸

   参考写真-イソシギ
写真2016.5.27 柏崎海岸 長谷川