アワ(栽培種)
暮らしとの関わり
 粟は石黒では昔から栽培されて来た。筆者が子どもの頃(1945年頃)には、粟飯(あわめし)や粟餅が日常食べられた。粟飯は不味くはないが、パサパサした食感が特徴であった。
 それに比べ粟餅は、色が黄色を帯び食感も味も良かったように記憶している。石黒では粟餅のことを「うぐいす餅」などと呼んだ。
 粟は比較的短い期間で育ち収穫できるが、粒が細かいだけに刈り取りから乾燥、脱穀、餞別、精白に手間がかかった。とくに唐箕の普及しなかった時代はを使って両手で煽るようにして選別するには技術は言うに及ばず根気を要する仕事であった。

写真2007.10.1下石黒 右上写真2007.10.12下石黒

資料-古文書「丑より卯迄三年季質入申山畑之事



解 説
イネ科
 日本にはイネより早く渡来し縄文時代には栽培されていたとみられる。ヒエ、ムギ、豆、イネと日本古来の五穀の一つである。
 高さは1〜1.5m。茎は枝分かれせず直立する。
 葉は互生し下に葉鞘を持ち披針形で先端は次第に細くなり尖る。質はやや硬く縁には細かい鋸歯がある。
 花期は7〜9月頃。エノコログサに似た形の大きな花穂をつける。花穂の長さは 15〜20pほど。花穂は小枝を分け無数の小花を塊状につける。雄しべと雌しべがある。
 頴果は小球状で色は黄色。
「もち粟」と「うるち粟」がある。
 名前の由来は五穀の中では味が淡いことに起源があるとか、朝鮮音「あほ」と同源等の説がある。