アメリカシロヒトリ
暮らしとの関わり
 石黒でアメリカシロヒトリの名前が聞かれるようになったのは、正確なデータはないが、昭和40年(1965)代であったと思われる。日本渡来から20年後くらい過ぎてからであった。
 柏崎市街地では、初めの頃は街路樹や公園樹、校舎の周りに植えられていたプラタナスに被害が見られた。その後、公園などのソメイヨシノなどサクラの被害が問題となった。
 家庭果樹では筆者の場合、今でも被害に悩まされているのがカキである。幼虫が一枚の葉に群れている若齢期の内に発見して駆除しないと厄介なことになる。そのままにしておくと成長した幼虫は木全体に広がり、葉脈まで食べつくしてしまう。
 しかし、アシナガバチや寄生蜂、野鳥など外敵も多くなったせいか、1970〜80年代に比べて現在では減っているようだ。WEB上で見られるあるデータでは約1万個の卵から成虫になるのは10個ほどとの観察結果もある。
 とくに、石黒などではアメリカシロヒトリの深刻な被害は聞かない。それは、周囲の環境がアメリカシロヒトリの外敵たちにとって恵まれていることも大きな原因であろう。
 市街地周辺では今でもしばしば大木の葉がすべてをアメリカシロヒトリに食い尽くされた姿に出会うことがある。→参考画像クリック

写真2007.6.10下石黒


             幼虫とその大きさ

写真2013.9.12松美町

    アメリカヒロヒトリのついた柿の木の葉

写真 2018.7.2早朝 新田畑


解 説
ヒトリガ科
 太平洋戦争敗戦(1945)後に進駐軍の物資についてアメリカから渡来したといわれている。その後1970年頃には日本各地に広がったといわれる。
 成虫は長さ約1p、開帳約3pで全体に白色で前翅に灰黒色の斑点が見られるものと見られないものがある。体は赤味を帯びている。
 成虫はふつう年2回(5〜9月)発生する。
 卵は葉の裏に100〜1000個ほど産み付けられ4齢までは群生しているがその後は分散して葉を食い尽くす。
 その食餌となる植物は実に600種にも及ぶといわれる。食べさせればどんな植物の葉も食べるといってよい。
 越冬は樹木の割れ目や樹皮の隙間、時には家屋または、浅い土の中で蛹となって行う。



        幼虫
写真2013.9.12松美町