カキ | |
暮らしとの関わり カキは子どもの頃から最も親しみをもった木といってよいであろう。どこの家も家の周りか、作場などに必ずといってよいほどカキの木が植えてあった。 多雪の石黒では枝下は4〜5mほどあるのが普通で、小正月〔月遅れで2月15日〕のカキの木ぜめの傷跡は雪が消えてから見ると3m余の上方にあった。 甘がきは熟した晩秋のころに、家族総出で柿もぎをした。ウチダケの先に鉤状に木を縛り付けて木に上って採った。しかし、地上にまともに落ちると傷ついてしまうのでそれなりの工夫が必要であった。とはいえ、石黒ではカキの木の下は低木やススキなどの草薮であったことと、カキは果実の柄が丈夫なので枝先が折れて2〜3個ついた小枝が数枚の葉をつけて落ちてくるので意外と傷むものは少なかったように記憶する。 ところで筆者の家は石黒川の上に枝を伸ばした柿の木があり、その下が小さな淵のようになっていたので無傷でカキの収穫ができた。そのカキの木は、川向うの高い場所にあったのでカキの枝から川の水面までは20m余もあったため、カキは大きな水音をたてて川面に落ちた。そして淵の浅瀬までゆっくりと流れて来たカキは急流に入ると勢いよく流れ下るのでそこで待ち構えて拾うので人数が必要であった。小学校6年の頃であったと思うが数人の同級生を頼んではしゃぎながらカキ拾いをしたことがあった。秋の快晴の日であったが、今もカキが淵の水面に落ちる大きな音とともに楽しい思い出として忘れることができない。 収穫したカキはカマス〔叺〕のなかに入れて置いて、毎日、おやつに食べた。だんだん、柔らかくなるがその頃が一番味が良かったように記憶する。 また、渋柿は干し柿の外に、囲炉裏のホドに近い灰の中で時間をかけて焼くとあぶくとともに渋が抜け、独特の香りと甘い味となったが、これも忘れがたい。 そのほか、12月のころになると木に残った完熟して渋が抜けた渋柿が通学路の周囲の雪の中に落ちている。丸い穴に肩にちかいほど手を入れ軟なカキをつかみ出して、食べると冷たくてとろりとした舌触りのなんとも言えない美味しさであったことも憶えている。当時の役場の下の道でよく拾って食べた記憶がある。 また、渋柿を材料にした柿アンボも美味しいものであったといわれるが筆者は食べた経験はない。〔資料-柿んぼの作り方参照〕 渋柿といえば、筆者が子どもの頃、座敷の板の間の艶をだすために、渋柿を臼の中にいれて杵で細かく潰したものを布袋にいれて、それで床板を磨いた経験がある。姉と二人で親に言いつけられてやったのであったが、その効果についての記憶はない。試しにWEB上で調べてみると防腐剤としての効果はあるようだが艶出しの効果についての情報はみあたらない。 今でも、カキはそれほど好きな果物ではないが、秋になり色づき始めたカキを目にすると何故か待っていたものに出会ったようなうれしい気持ちになる。カキの実の香りに出会ったときにも同様である。 ちなみに、現在の品種改良されたカキは落葉病などの病気に侵されやすいが、昔の木は極めて丈夫のようだ。筆者の生家にあるカキの木は親から聞いた話によれば、百年余にもなるが今も昔と同じくらいに毎年結実している。渋のあがりもいまいちであり美味しいカキとはいえないが子どもの頃、小正月には柿木責めをした思い出のカキの木である。 写真2007.6.16大野元屋敷 初冬のカキ 写真2010.12.1鵜川 (背景は黒姫山) 写真2009.11.25 嶺 作場に植えられたカキの木 写真2008.12.4上石黒 写真2014.11.15大野 |
解 説 カキノキ科 日本の西南部の山中に自生するが、ほとんどは植栽された落葉高木。雌雄同株。 高さ3〜10mとなり幹は直立し多く枝分かれし若枝には細かい毛が生えている。 葉は晩秋には紅葉し美しい。 花期は6月頃、葉の脇に黄緑色の短い花柄をもった花を開く。雄花は集散花序に数個ついて小さく、雌花は葉の脇に一個ついて大きい。ガクは緑色で4裂する。 花冠は壺状となり先端は4裂する。雄花には16個の雄しべがあり雌花には1個のめしべと退化した8本の雄しべがある。 果実は、多肉の液果となり熟すと黄赤色となる。果実の形は品種により様々である。 種子は、1個の果実に8個あるがそのうちの数個は成熟しないことが多い。 甘柿と渋柿があるが、国内でも気候区分により甘柿の品種でも渋が上がらないことがある。 材は堅く器具を作るときに使われる。 原種のヤマガキは、葉、果実とも小型で子房に毛がある。 雄花 写真2010.6.16大野丸小山 色づき始めたころ 写真2009.10.11大野 完熟した果実 写真2012.11.19畔屋 果実期 写真2013.10.16中山峠 冬芽 写真2014.1.18松美町 |