堆肥用草刈りと草積み
                            田辺雄司
 7月の土用の頃になると、堆肥にする草刈りがどこの家でも行われました。朝の4時半頃からワッパ飯を中飯に持って行き一日中汗まみれになって大鎌を使って草刈りをするのでした。
 昔は、山仕事を裸足でする人も多く、マムシや蜂に注意しながらやりました。草刈り場は山の傾斜地が多く、一升瓶に飲料水も入れて持っていくのですが、鎌を研ぐときには、水がなくなると、砥石にツバを吐いて研ぐこともありました。
居谷集落棚田
 
 10時半頃になると昼飯を食べに家に帰るために山からおりました。降りるときには鎌と砥石を忘れずに川辺まで持って下りました。
 家に帰ると12時近くなり、お昼を食べて1時半くらいまで昼寝をしたものでした。板の間の広い座敷に寝るのは気持ちのよいものでした。寝際に耳にした蝉時雨が今も耳の奥に聞こえるように思います。
 昼寝起きには、正月に作って保存しておいた干し餅を囲炉裏の灰の中で焼いて茶請けにするのでした。香ばしくて少し塩味がついていて大豆の挽き割りが入っていたので美味しいもでした。
 午後の仕事に出かけるときは、またワッパに中飯用のご飯を詰めて一升瓶に水を詰めたものを2、3本ほどテゴに入れて行きました。
 谷の川辺につくと、鎌を砥石で念入りに研いでから、山の傾斜を登るのでした。真夏の日射しは痛いほど強く、自分の背丈を超えたカヤハギにつかまって登るのも大変でした。
 時々マムシに出会うこともありましたが捕まえて皮をむき胆〔きも〕と呼んでいた青黒い豆粒ほどのものを丸飲みにして、これで精力が出て仕事の能率が上がるなどと信じ込んでいたものでした。事実、その頃、日射病にかかる人などいなかったように思います。
 こうして刈った草は田の近くに積み上げるのでした。積むときには中に馬肥え〔馬屋の敷き藁〕や米ヌカや細かい土をはさんで積むのです。そのため、朝や午後に作場に出かける時には、必ず馬肥えを背負っていったものでした。
 しかし、草刈り場を近くに持たない人は遠くの山で刈ってある程度乾かしてから牛馬の背に付けて運んだものでした。乾かしたものを積む場合は水をかけて積むなど腐れやすいような配慮もしたものです。
 子どもの頃に、土用の最中の草刈りから帰ってきた父親がガンギ〔縁側〕に腰を下ろして、「はっこい水を汲んできてくれや」と言うので近くの冷たいわき水を蓮の葉に汲んできたところ、うまそうに喉を鳴らして飲んでいた様子を草刈りの時期になると思い出します。