縄ない
                         田辺雄司
 冬仕事になった縄も用途によって色々ある。
 いちばん細い縄は「スベナワ」と呼び、ミノとか、スッペイ、オソカケ、ワラグツなど細かく編む時に使った。スベナワは直径が1.5oほどでヌイゴ〔稲の穂茎〕をよく叩いてなった。
 次は、「コデナワ」で、これはムシロカマスなどを織るときや、ちょっとした品物を結んだり縛ったりするときに使った。直径は5oほどで囲炉裏端でなったものだった。
 次は「スベナワ」で、この縄は使い捨てに使用することが多いため、ある程度は粗雑な綯〔な〕い方でもよかった。畑の野菜のシバ(支柱)や冬囲いなど用途は広かった。
 また、俵をしばる縄は、3分5厘〔1p〕ほどの太さで1尺〔約30p〕の間にねじりが18〜19と決められていた。そして、一番太い縄はハサ縄で直径は1.5pほどでかなりの太さであった。
昔は、これらの縄をすべて手でなった。
父は、スベナワとかハサナワなどの太い縄をない、母は余り力の要らない細いコデナワをなっていた。冬の夜は冷えるので囲炉裏の周りで縄ないをしていた。父母の尻の後ろに、なった縄が徐々にうずたかく溜まる様子を今も憶えている。
 子どもの頃、両親が藁叩きの手伝いをさせられたものだった。叩き手の親は体が温かくなり山ノノコの片肌ぬいでやっていたが、回し手の子どもの方は寒いばかりで時々こたつや囲炉裏で温まって来るのだった。藁叩きは午前中やってもせいぜい10把くらいなものでした。

 石黒では縄わない機が普及したのは敗戦〔1945〕後のことであり、それまでは藁を叩くこともなうこともすべて手作業であった。昭和25年頃になって漸く、足踏み縄ない機が普及した。その後しばらくしてモータによる藁たたき機も普及しだした。
足踏み縄ない機
 機械化されてからは重さ3貫目〔約11s〕の玉を10個ほどなうことができるようになった。このように藁たたきも縄ないも機械化されると作業をしていても寒いくらいに楽だった。最も太いハサ縄など朝からなうと1日に14〜15個はなえたものであった。
 残る手作業は藁すぐり〔ワラの苞を取り去る作業〕だ。大天井からワラを運んで、ワラスグリ具で3把をすぐってまとめて1把にして山積みにしておいた。それを機械の藁たたきで叩く、丈夫な縄をなうにはよく叩き柔らかくしなければならなかった。
こうして、綯った縄をつかって一冬中藁製品をつくった。私が当時一冬でつくり最も店に多く売ったのはワラゾウリ600束と玉縄120個だった。
 いまでも、ワラの香りは、ハサ稲の香りと共に忘れることの出来ないなつかしい香だ。

 (居谷在住)