鉄砲うちのこと
                        
 私がこともの頃(昭和の初め)一月遅れの正月が近づいてきますと晴天の日に鉄砲うちの人達が何匹かの犬を連れてカンジキを履いて、山の斜面をゆっくりと歩く姿が見られました。
 イギリマ(雪の斜面などにできる隙間)をのぞいてヤマウサギヤマドリを探しているのでした。時々と「ダーン」という鉄砲の音が聞こえました。
  獲物がたくさんあったときには世話になっているからと私の家の雪だなの先でぶら下げて手際よく皮をはいでおいて行く人もいました。皮は自分で持って帰りきれいになめして売るのでした。
 当時はどこの家でも鶏とウサギは飼育していました。鶏は卵をとるためでしたが、ウサギは冬、おもに正月に食肉とするためでした。村には飼いウサギを絞めて肉にする専門の人がいて手間賃に皮を持って帰りなめして売っている人がいました。当時は太平洋戦争中でしたので軍隊で防寒衣服に獣の毛皮が使われたためによい値段で売れたのでしょう。
 山ウサギの肉は赤味でしたが、飼いウサギの肉はきれいな肌色をしていました。味も山ウサギに比べると比較にならないほど美味しいものでした。
 私が高等科のときに親類の鉄砲うちの人に一緒に鉄砲うちに行かないかと誘われたので着いていくことになりました。それで、朝、その人の家に行ってみるとコデナワで上手に背負い袋が編んであり、その中に大根が1本、竹おろしと醤油と濁り酒が入っていました。それにお茶の入ったヤカンと弁当箱がありますので大根はどうするのか聞いてみますとウサギを一匹とってから聞かすと言われました。
 しばらく、山の尾根を上がり頂上に近いところで鉄砲うちは脅かしの一発を撃ったところ隠れていたウサギがとびだしたので、それにねらいを定めて撃って仕留めました。弾に当たったウサギは雪の中に頭を突っ込むような具合で倒れました。それを見た犬は雪に足を取られながらも一目散に走りより獲物をずるずる引きずって持ち帰るのでした。
 そして、山の頂上で昼食を取ることになりましたが、鉄砲打ちの人は私に「おまえは、ワッパのフタの中に大根を竹おろしで下ろせ」と言いました。私は早速雪で大根をこすってきれいにしてから竹おろしでガリガリとする下ろしました。
 鉄砲打ちはというと、木の枝に山ウサギをぶら下げて手際よく皮をはいでいます。皮をはぐと手足を解体して肉の美味しそうなところをナイフで切り取り大根おろしの中に入れました。そしてその上から醤油をかけて、一口味見をしてから「こりゃ旨いわい、おいおめえも喰え」と言うのでした。鉄砲うちは、濁り酒を旨そう飲みながら「こらなぁ、山かけと言ってな一番旨い山ウサギの食べ方だ」と教えてくれました。
 私も雪山を歩き回ったので腹がへっていましたので早速、その山かけなるものを一口食べてみました。それは本当に美味しいものでした。石黒の冬では珍しい晴天の山頂でよい景色を眺めながら初めて食べた山かけの味は今も忘れられません。
 冬の晴天の日に屋根の雪下ろしなどして雪に覆われた山を眺める時、子どもの頃のこの日のことを懐かしく思い出します。
       田辺雄司 (居谷在住)