後生ぞくと御講
                           田辺雄司
 私たちが子どもの頃には「後生ぞく−ゴショウゾク」といって毎月28日の夜に年寄りの人〔主におばあさんたち〕が宿を輪番にして集まりました。
 集まると仏壇の前でみんなでお経を読み上げるのでした。この時には普通の御講とは違いお寺の坊さんは招かず、声の立つお経の上手な人が先導しながら読経をするのでした。
 私の家が宿となったときに、お経本をもっている人は1人もいないのに、みんながよく長いお経を暗唱できるのに感心したものでした。
 1時間半くらいかかり3種類ほどのお経を唱え終わると、冬などはその後は囲炉裏やコタツで漬け物や煮物を食べながらゆっくりとお茶を飲むのでした。
 楽しそうににぎやかに夜が更けるまで過ごしていたことをおぼえています。
 でも、夏の農作業の忙しいときには、読経が終わるとお茶のみも早く切り上げて家に帰ったものでした。
 夜がふけて帰るときにも信心深いおばあさんたちは「南無阿弥陀仏」を唱えるのでした。
 昔の人はほんとうに心より先祖様の事を尊び、生きている事への感謝を忘れずに1日1日を大切に過ごしていたのではないかと思います。昔の暮らしは今に比べれば不便で貧しかったと思いますが、そこに暮らした人達の心は今より豊かであったとも思われます。
また、御講は、隣村に居住する道場のお坊さんが毎月交替で各家輪番でまわられました。宿となった家では、親類の人を招いて夕飯を食べた後に、御講の宿となり、村人たちが三々五々集まってくるのでした。
 御講の部屋には、昔から「御講仏様」と呼ぶ横1尺5寸〔約45p〕縦3尺〔約90p〕くらいの仏様の掛け軸が正面に下げられ他には仏器と花立てとお茶碗、ロウソク立てがありました。
 御講が始まると、お坊さんを先導にお経を一緒に唱えるのでした。それが終わりますとお坊さんにお茶を差し上げて小休止したあと、お坊さんの説教が30分くらいありました。説教の内容は昔の偉いお坊さんの話などでした。集まった人は話を聞きながらも「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えていました。中には、あくびをしながらも「南無阿弥陀仏」を唱えている人もいました。昼間の農作業で疲れていたのだと思います。
 説教が終わりますと「ああ、有り難い話であった」と口々に感謝しながら、冬ならコタツや囲炉裏の周り、夏であれば座敷の涼しいところに集まり、にぎやかにお茶飲みを始めるのでした。説教の時にはあくびをしていた人も全然違う人のように元気よく喋りながら生き生きして楽しそうでした。
 このような集いはお経や説教が心の支えになったばかりか、山の中の暮らしでは娯楽の一つでもあったのだと思っています。