与板御引渡し後より諸事御用留  山中村文書-柏崎図書館所蔵  用語の手引
 
   
〇与板引き渡し後→幕領(脇の町代官所支配)から
与板藩への引き渡


〇御作法諸向き→与板藩の政治向きの事柄や慣例ことを指すのであろう。

振合

〇諸事御用留

〇当御領地=「
当」とあるので御料地ではなく藩領、つまり、ここでは領地替えとなった与板藩を指すものと思われる。

御料所

引付

〇其の下

〇村方難渋の筋→
「村人が困ってい様子、状況」ほどの意味であろう。

差越

〇取米


 
 

  恐れながら書付を以って願い上げ奉り候
  刈羽三嶋両郡私共村々の義はこの度当御領地に
  仰せ付けられ御引き渡し相済み申し候 然る処御作法諸向き
  御振り合い等の義恐れながら存じ奉らず候得共 御上納方並びに
  御用勤向き其の外すべて是迄御料所御定例仕来り
  御引付け等其の下村方難渋筋等の訳差し越し候筋
  合にて恐れ入り奉り候得共左のとおり御歎願い上げ奉り候

一 御年貢米納め方の儀是迄総て御取米の内三分の一は  




    与板御引渡後より所事御用留
 
 



代永


上納
  

江戸御廻米


石代金納


願い石代


〇上米撰立→
江戸時代中ごろには唐箕(とうみ)が中国から伝わり次第に普及し穀物の選別に使われた。籾はともかく、米の選別にも唐箕より優れた農具である千石も元禄の頃に日本で発明され使われ出したといわれている。
 いずれにしても当時の米の選別は大変な作業であったと想われる。



〇百姓夫喰米


〇下値→したね・げじき
小千谷 長岡 出雲崎 椎谷 柏崎五ケ所十月米
相場御平均の上御値段仰せ付けられ代永は十月十一月
十二月三ケ月に上納仕り残り三分二の内作四分
通りくらいの積りを以って御吟味の上江戸御廻米に仰せ
付けられ残り六分位は石代金納に仰せ付けられ翌年
四月五月六月三ケ月に上納仕来り候右三分の一御
値段の義は三嶋刈羽両郡村々米相場
売り払い高下これ無き積りを以って五ケ所相場御平均
にて仰せ付けら置き候義に御座候 三分二の内御廻米引き残り
願い石代の儀は雪国にてその上極深山悪米不
定地の村柄稀出来方により青米死米
砕け米等の内上米撰び立て御廻米に仕り候残り百姓
作夫喰に買い請け仰せ付けられ 尤も御値段の義は不熟
下値段にて三分の一御値段よりは格別下値に仰せ付けられ
候義もこれあり一体願石代の儀は御救い御手当
  
   





〇御趣意


作夫喰


〇御定例

〇皆米納→古文書字典には見られないが「年貢のすべてを米で納める」という意味であろう。

願石代の御停止

三分の一金納

然る方
さるかた

小前

飢渇

江戸御廻米

分郷蔵所

  の御趣意にて有り難く存じ奉り其の外百姓作夫喰に
  致し是まで連々取続き罷り在り候間御憐憫を以って
  是まで御定例の通り仰せつけ下し置かれ候様願い上げ
  奉り候自然皆米納仰せ付けらられれ候又は願い石代
  等御停止仰せ付けられ候ては百姓作夫喰差支え殊に
  極山中にて然る方より買い入れ等これ無く外に致し方御座なく
  候村方にて永続仕り来り定例の通り
  五ケ所相場を以って三分の一金納並びに願い石代など等是迄
  の通り仰せつけられ下し置かれ候はば小前飢渇の難 相
  遁れ有り難く相続仕るべく存じ奉り候
一 御年貢米納め方の儀前書三分の一米引きの
  残り江戸御廻米の分郷蔵所へ納め来たり候間
  右仕来りの通り仰せつけられ下し置かれ候様願い上げ候勿論
  極山中分は九月下旬より雪降り人馬通行も
 
 




















〇御蔵所→蔵所の役所であろう


引高


〇定式→一般的なやり方。ここでは今までのやり方を指すものと思われる


定金納


〇五ケ所→前出用語-小千谷、長岡他

田方


小分


村柄


皆金納

  容易ならず御年貢持ち出し時節は雪深き通路
  差支え候事故村の御蔵所の仰せ付けられ敷地は
  御引き高に成し下され村方もこれあり百姓に致し来たり
  村方も御座候間定式の通り仰せつけ下され
  候においては昼夜番人付け置き火盗の難など
  御大切に相守り申すべく候間仕来りの通りお聞き済まし
  下され置き候様願い上げ奉り候
一 荏胡麻大豆の儀すべて定金納にて荏胡麻
  の儀は定式御値段これ有り大豆の義は五ケ所
  平均相場を以って定金納仰せ付けられ置き候間定例
  の通り仰せつけ下し置かれ候様願い上げ奉り候
一 刈羽郡山中村は年貢米の儀は極山中田方
  小高にて夫喰差支え極々難儀の村柄外
  方より買い入れなど相成らず候故往古より皆金納に仰せ 
 














   

〇同直段→5ケ所相場の平均値。


定例


〇御用勤方→
村政にかかわる事務処理のことであろう。


御用筋


〇御作法筋→
与板藩の政治向きの事柄や慣例ことを指すのであろう。


〇愚味の者共→
謙譲語として使われている。



  仰せ付けられ三分一同直段を以って代金上納仕り来たり村方
  相続仕り候間御定例の通り仰せつけられ下し置かれ候様
  願いあげ奉り候
一 御用勤方の義 是まで私共村々の義は郡中
  一同御用の分は惣代のもの罷り出で一村に拘わり
  候御用の義もその組惣代相応の御用筋は
  取り計らい惣代にてその村の儀不分明の存じ
  知らず義はその村庄屋罷り出で所持御用差
  支え無く相勤め来たり候間右仕来り通りに仰せつけ下し置かれ
  候様願い上げ奉り候恐れながら御作法筋並びに勤め向きの
  儀は存じ奉らず候得共惣代並びに庄屋罷り出で
  御指図を得奉り相勤め申し候わば愚昧の者共自然と
  御作法並びに勤め向き共恐れながら承知仕り御用御
  差支え無く相勤め申すべく損じ奉り候勿論是までの仕来り

 
   
惣代

女谷村

岡野町村

山室村

三嶋郡

〇組合惣代→鯖石組などの組合の代表であろう。→
※郷蔵組

齟齬

弁利

〇雑用失脚→
諸用の処理の不手際。

下知

料所

〇御作法→
与板藩の慣例や仕来りを指すのであろう。

万端

〇万端取り計らい→
すべての事柄の処理。

〇御儀→
「事」の敬語→御事
         
 
 惣代には刈羽郡私共村々にては女谷村徳兵衛
 岡野町村藤右衛門 山室村与三郎 三島郡
 村々にても組合惣代を以って相勤め来り候間
 恐れながら右仕来り通り仰せつけられ下し置かれ候はば
 一村は申すに及ばず郡内も取り締まり齟齬仕らず
 諸向き弁理に相成り村方相続方宜しく
 雑用失脚も自然と薄く相成り候間
 御憐憫を以って惣代並びに庄屋直様御役所へ御
 伺いお願いなど御下知を得候様御料所引□の通り
 仰せつけ下し置かれ候はば二、三ケ年の内には恐れながら御
 作法など自然と見聞きに及び万端取り計らい方も
 呑み込み候わば諸向き便利仕るべくと恐れながら存じ奉り候
 間御憐憫を以って一先ず御仕来りの通り通り仰せつけ付け
 下し置かれ候はば有り難き御儀と存じ奉り候
  久田(くった)、小竹(こだけ)、円蔵寺、若野浦、村田、は何れも与板領の村名。(町だより-よいたS58-8月号「私の城下町」に依れば)

御直御支配


自普請

郷蔵

〇松平越後之守様御領中より→高田藩領であった頃よりの意味。

不定地

一体










一 三嶋郡内円蔵寺若野浦両村の義はこの度
  御直御支配より相渡り候久田小竹村田三ケ村と
  五ケ村組合候て村々自普請に仰せつけ下し置かれ度
  願い上げ奉り候 且つ郷蔵の義は先年松平越後守様
  御領中より百五十年来中村地内へ引き
  取り候様願い上げ奉り候 右願いの通り仰せ付けられ下し置かれ候はば
  御米お払い等は久田村地内に建て置き候はば弁利
  に相成り申すべくと存じ奉り候間御差支え筋も御座候て
  久田村に仰せ付け下し置かれ候様願い上げ奉り候
  右の通り願い上げ奉り候 当村の儀は極山中並びに里方
  不定地の村柄一体辺地にて連々困窮
  仕り刈羽郡村々は極山中辺地村柄にて殊に
  去る十八年以前天明元丑年越後国御料所
  
   

















切添


切開


地押


出高


見取米


高入れ


切替畑


高請


人別


田方


少分


山稼


水腐場


辺地


願石代
 
 一同切り添え切り開き田畑地押し御検地仰せ付けられ過分
 出高相成り勿論去る寅年までは(以下五字消線で削除)
 見取米仰せ付けられ候處同年御高入りに相成り御年貢
 米諸役等上納仕り候全体谷合地端切り起こし
 切り替え畑等まで残らず御見地御高請け仰せ付けられ
 極難儀に候儀仕り候 尤も田畑作毛等鳥獣食い荒らし
 五分喰い等の極難これあり人別と引き合い候ては
 田方格別少分にて外に助成此れなく山稼ぎ
 薪等相稼ぎ柏崎まで五六里余の場所持ち出し
 塩噌夫喰など買い調え漸く渡世仕り罷りあり候
 三嶋郡村々の義は大水腐場並びに山谷郷
 辺地にて至って米不足村々故山稼ぎ仕り薪木
 与板出雲崎持ち出し売り払い代金を以って前條
 御願い申し上げ候 三分の一願石代金上納仕り漸く
   
















〇前書→ここでは前述した文章を指す。


〇御聞召訳させられ→被為 聞召訳

定例


齟齬


寛政10年


〇与板御役所→与板藩の役所

高尾村

山中村

嶺村

折居村


清水谷村

女谷村

山室村



大沢村


岡野町




  それまで取続け来り申し候間 恐れながら差し含み下し置かれ
  度願い上げ奉り候御慈悲の御憐憫を以って前書通り
  上げ奉り候趣御聞き召し訳なされ御定例仕来りにて
  仰せつけ下し置かれ候はば諸事齟齬仕らず貧窮
  の百姓永続仕り候様小前までも偏に御慈悲を有難く
  幸せに存じ奉りぺく候 以上
    寛政十午年八月
 与板御役所


  高尾村        折居村     山室村
   百姓代 与三兵衛   又兵衛     百姓代 治左衛門
   与頭  伊左衛門   市左衛門    与頭  喜衛門 
   庄屋  仁左衛門   代平      庄屋  与三衛門
  山中村        清水谷     大沢村
   百姓代 久五衛門   四郎兵衛    百姓代 与五衛門 
   与頭  久衛門    六左衛門    与頭  藤四郎
   庄屋  徳兵衛    徳兵衛     庄屋  小右衛門
  嶺村         女谷村     岡野町  
   善右衛門       五郎兵衛    百姓代 吉衛門
   七兵衛        庄兵衛     与頭  海左衛門
   与左衛門       徳兵衛     々   小左衛門
                      庄屋  藤衛門        

           
 
 
   
 
 
 
  花田村        三嶋郡     円蔵寺
   治郎左衛門     
  二田村        庄屋 利衛門
   百姓代 吉左エ門          若野輔
   与頭  九郎衛門  下村                 
   庄屋  四郎衛門
  油田村         庄や 儀兵衛
   百姓代 権十郎
   与頭  四郎兵衛  中永    
   々   勘衛門
   庄屋  善左衛門    
   


花田村


二田村


油田村


三嶋郡


〇下村


〇中永
読み下し・ 用語の手引文責 大橋寿一郎