HPへのコメントに限らず皆様同士のコメントもどうぞ! 2015.1~ バックナンバー2014へ |
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この度の地蔵尊修理に関しまして、石黒区民の皆様に大変な重労働ご協力を頂きまして誠にありがとうございました。 8月23日、石黒側地蔵峠道普請が行われボランティアで参加された方々(約30名)が作業終了後荷揚げをしてくださいました。若衆も大勢おられ、あの急坂を長尺物を担ぎ上げていただきました。 初日からお手伝いくださった田辺和栄様はじめ荷揚げ2日目、地元有志の方8人(中村重治様、中村稔様、中村昭雄様、大橋昭作様、大橋国生様、大橋春夫様、小野島親子様、又、後日に中村稔様、田辺請繁様)にお願いし大量の資材を上げていただきました。 また、前半の工事には徒歩での登山は大変だろうと四輪駆動のトラックをお貸し下さった中村昭雄、工事後半で足を痛めた時に毎日途中まで送迎してくださった中村重治、また中村富実男様(私が板畑住民出会ったときに隣の方で一緒に青年団活動をして出稼ぎも一緒で同じ釜の飯を食った仲間です)二は御夫婦で5日間も手伝ってもらいました。同じ業界で仕事をされていたので仕事はツーといえばカーで大変手際よく手伝っていただきました。また、私の弟も名古屋から冷やかしの手伝いにやってきました。 また、応援激励に同郷出身者で同級生の中村美佐子さん、中村勝彦(家内の甥)さんに現地まで来てくださりお茶やお菓子の差し入れをしていただきました。 特に板畑地区の方々には収穫感謝祭にお誘いを頂いたり、ゲートボールに参加させ頂いたり、宴会にもお招きいただき、そのうえ御苦労会まで企画して下さり大変御馳走になりました。御婦人方には毎日御馳走を差し入れてくださり大変助かりました。 それから、大橋伊寿・千恵子御夫妻にも同級生ということで近隣の同級生5人で泊まりの御苦労会をしていただきここでもまた大変御馳走になりました。 過疎や高齢化といわれ先が危惧されていますが、石黒の地で生きるという気概を感じ若人もそこそこ居りましたし石黒の元気を感じて帰ってきました。 この場をお借りして感謝申し上げます。大変有難うございました。 最期になってしまいましたが 地蔵峠の会(鈴木渉神主様) 金 10万円 石黒有志の会(田辺請繁様他) 金 16万5千円 大橋伊寿様 金 1万円 櫻沢喜平様(東京都) 金 1万円 以上の方から御寄附を頂いております。 残念ながら今年中の完成には至らなかったことをお詫び申し上げ来年雪解け早々には完成したいと思っておりますのでよろしくお願い致します。 中村恵治 中村恵治さん(高槻市淀の原町62-1 中村工務店) ℡0726-69-1584 2015.12.2受信 本日は、工事記録アルバム「地蔵尊-平成の大修理」をお送り頂き有難うございました。改修工事は場所が場所だけに大変な御苦労があったこととお察し申し上げます。聞くところによると足に細菌が入り大変難儀をされたとの事、蜂窩織炎のようなものかと思いますが御治療専一になされ一日も早く完治されますことを祈っております。 石黒は去る27日に黒姫に初雪が降り、今日の板畑集落は積雪1㎝とのことですが、市街地も今朝は道路が白くなっていましたので同様かと思います。 お送りいただきましたアルバムは、記録としてHP上にも残したいと思い今朝から編集作業に取り組んでおります。 ひとまず頂きましたものを掲載しておき、完工後に田辺様撮影の写真も加え追加補正していただければ幸いと思っております。 取り急ぎ、お礼とお見舞いまで。 HP石黒の昔の暮らし編集会 大橋寿一郎 〇アルバム「黒姫山地蔵尊平成の大修理」←クリック カラムシ街道市、特別企画」のスライドショウー・ビデオ画像を何度も繰り返して観ています。懐かしい光景を思い出しながら・・・・・・・・ これだけの事を再現するのには本当に大勢の皆様のご協力と住民の心の絆あっての事だと思い胸があつくなりました。 日程予告の時点で当日の天候が心配でした。そして・・・当日はこちら(福島)では心配が的中しまして、こんな雨の中ではと…気持ちが落ち着かない一日でした。 掲載された当日の様子は何とも晴れやかで、関係者ご一同と共に誰もが祈ったでありましょう 皆の念が天に届いたのではないかと思い、誰に言うともなく「ありがとう」と手を合わせてしまいました。 *今年の特別企画大成功でしたねぇ・・・・!!! 大橋洋子 福島県在住 2015.11.12受信 お便り有難うございました。カラムシ街道の今年の特別企画「石黒の昔の祝言」は、私たち編集会にとっても真に興味あるものでした。そして、内外からの観客にとっても商業化した現代の結婚式とは一味違うものを感じられたのではないかと思います。 お陰様で、私たち石黒村住民や石黒を故郷とする者にとって、数十年ぶりに目にした花嫁行列が紅葉の村を練り歩く光景は、まさに心の原風景に出会ったような気持ちでありました。 HPには、いつも貴重な石黒の情報をご提示頂き感謝感激しています。 今年も関係者各位のご努力で盛大なお祭りになることでしょう。 道路工事の様子、添付写真とHP掲載版と合わせ拝見させて頂きました。 子供のころバス開通に当たり、ダンプカーが走り回っていた光景が重なります。 陰ながら、石黒地区の益々の発展を願うとともに祈っています。 思いの外、石黒の山並みの紅葉も進んでいるようですね。 帰省は11月10~11日頃を予定しており、どんな秋の装いが観れるかも楽しみにしています。 いろいろご配慮ありがとうございました。 それでは、また。健康にご留意されお励み下さい。 愛知 大橋末治さん (2015.10.31受信) 末治様 お久しぶりです。お元気の御様子何よりと喜んでおります。当方も持病と何とか折り合いをつけながらHPづくりに取り組んでおります。 とくに、今月の始めに念願の石黒村庄屋文書を吉田町にお住みの田辺さんよりお借りすることができ、現在その解読に大半の時間をかけております。肉体にも頭脳にも著しい老化を自覚していますが、何とか、後、2、3数年はHPづくりに取り組み、近世の石黒の歴史年表に石黒の古文書を位置付けてみたいと思っております。、読み下し文と出来れば解読のための簡単な辞典のようなものをつくり、興味ある方が古文書に親しめるようなサイトを作りたいと念じております。 自分のことばかり書いて申し訳ありません。お手紙に依りますと来月ご帰省なされるとのこと、どうぞ道中お気をつけておいで下さい。 国道工事で貴兄の生家からの眺めも一変しつつあり驚かれることと想います。 体調の具合がよければその頃に山小屋の冬囲いに行く予定でありますので拝顔できれば幸いであります。 編集会 大橋寿一郎 ※国道353付帯工事の様子 昭和26年石黒中学校卒業生同級会を行いました 中村幸雄さん(東京都在住)2015.10.1受信 中村様、同級会の様子をお寄せ下さいまして誠にありがとうございました。皆様お元気の御様子で何よりです。ご 編集子は皆さまより少し後輩ですが、もう2・3年は頑張って発信していきたいと思います。皆様もどうぞお元気にてお過ごしください。 編集会 大橋寿一郎 中村恵治様から編集会にお手紙をいただきました
この度は、編集会にお手紙をいただき、感激しております。また、HP石黒の暮らしもご覧くださったとのこと有難うございました。お手紙によりますと、東京在住の松代出身の方が、修復作業に御苦労いただいている中村様、田辺様を訪ねてこられたとのこと、これもまた奇特なことと敬を表しています。 もともと、地蔵峠のお地蔵様に松代方面の信者が多くいられたことは、松代方面から柏崎方面へ至る道が地蔵峠を通っていたことによるものと思われます。 私も近くに居ながら、いまだ参上もできず心苦しく思っております。今週中には何とか訪れたいとは思っているのですが・・・。 何卒、お二人とも健康安全に留意されてお仕事を進めてくださることを願っております。 なお、田辺様に工事の進行状態の撮影をお願いしておりますが、完成後に記録写真として後世に残したいと思っております。 (編集会 大橋寿一郎) 私は、地蔵峠の秋祭りに10年前から毎年参加しています。 年のせいでしょうか膝の調子がいまいちで、折角の年一回の祭りでしたが、今年は参加見合わせのやむなきに至りました。 そんななか、今年はどうだったかと、「石黒の昔の暮らし」をみてビックリしました。 何とお堂の修理されている様子が、映像で出ているでないですか、ビックリしたと同時に何と、今時に珍しい 「いい話」 でないかと感激しました。 遠路大阪からの中村様の修理仕事の寄進、居谷・善根集落の地元の方々のボランテア奉仕と全く感動そのものです。 今年の秋祭りに参加できなかったのは、残念ですが機会を見て改装なったお堂を是非参拝したいものと思います。 峠の地蔵さんは、旧鵜川・石黒を結ぶ大切な道路の峠にあった皆さんにとって想い出深く懐かしいものだと思います。 これで、厳しい冬にも備えが出来安心しました、秋祭りに優しいお顔がまた拝見できます、大変ありがたいことで感謝、感謝です。 お地蔵様のありがたい恵みが皆様にありますよう願わずに居れません、中村様はじめ居谷・善根の皆さんご苦労様でした。 高橋健一(鵜川村出身) 大宮在住 2015.9.6受信 お便り有難うございました。また、先ほどはお電話も頂戴して色々お話を伺い感激しております。 この度の中村様の峠の地蔵様のお堂修復の寄進は本当に有難い事であります。素人の私たちが見ても、このまま放置しておくと何時倒壊してもおかしくない状態でした。 中村様は、たまたま先年、祭りに参加されプロの目でご覧になり、ご決断くださったのであろうと思います。聞くところによりますと、板畑の公民館で自炊をされて峠に通って仕事をされているとの事、ほんとうに頭が下がる思いがいたします。どうか、皆様、安全に留意されて作業を進めて頂きたいと思います。 高橋様におかれましても、どうぞ健康に御留意されて来年のお祭りにはお元気なお顔を見せてください。 編集会-大橋寿一郎 ※スライドショー2015.地蔵尊祭り 峠の地蔵様お堂修復作業、大変御苦労様です 20150905 「峠の地蔵様お堂修復」の石黒通信を見て大変驚きました。 名前を見た時に、もしかして・・・と思ったのですが次の写真にバッチリと本人の姿が現れて、やっぱり・・・・と本当にびっくりでした。(同級生ですので) 峠のお堂も観れば本当に倒壊寸前のおんぼろお堂に風化していたようですから寄進修理は有難いことですねぇ・・・・・・大工の棟梁を生かしての寄進修理は本人も生涯の中で深く心に刻まれるのではないでしょうか・・・・ (ボランティアでお手伝いに来られた板畑出身の善根のご夫婦と - 編集会) お堂の修理が終えるまで、経過を見守りながら、完成を楽しみに、同級生の一人として「中村恵治さん・スタッフの皆さん有難う!ご苦労さまですぅ!!」の気持ちで ここ福島の地よりエールを送りたいと思います。 大橋洋子 福島県在住 2015.8.21受信 中村様と同級生でしたか。中村様にも是非とも洋子様のエールを読んでもらいたいものです。 ところで、一昨日、中後出身の上田尻の中村千恵子さん(s.12年生まれ)が畑で白菜植えをされている所に行き会い、お仕事中、昔の中後の正月についてお話を聞きました。話の中で、親類の板畑の家から善根に嫁がれた方の話が出てきましたが先日、ご夫婦で中村様のお手伝いに行ってくださった奥様のことではないかと思っております。その折には私はまだお堂修復については知りませんでしたので聞き流してしまいました。それぞれの人の話の糸をたぐり寄せると思わぬ発見と出会いが生まれるものですね。中村千恵子さんとの出会いもたまたま、とおりがかりの人に田尻の神社について尋ねたところ中後出身の方と知り、昔の暮らしについてお話を2回お聞きする機会を得ることが出来た次第です。 編集会-大橋寿一郎 「ビデオ「さようなら体育館-石黒地区盆踊り大会」をみて感じたこと 「さようなら体育館」「今年が最後となる体育館での盆踊り」のビデオを懐かしく、寂しく名残惜しみながら、何度も何度も観ました。 時代の移り変わりに伴って、旧石黒小中学校校舎が「爽風苑」に変わっても、我が故郷(石黒)に帰省する機会があれば、「ちょっと一目だけでも・・・」と、つい足が向きました。爽風苑の建物は、心の中では私達の母校そのものでしたから、その慣れ親しんだ建物が解体撤去となることを石黒通信で知った時、何とも言えない淋しさを抱きました。 先日の更新で「さようなら体育館」のビデオを観て、母校の姿が消えた跡地はやっぱりとても寂しく、旧石黒小中学校校舎(後の爽風苑)の存在感を改めて想いました。 幸いな事に「石黒ホームページ」によって石黒の古今を・・・石黒の事なら何でもわかる形で沢山残してもらいました。 石黒の昔暮らしのHPは私達故郷の「宝物」であり、次世代に伝え残せる素晴らしい財産だと思います。何よりもそこに石黒があり、そこで生きた人々の証となることでしょう・・・・・・・ 故郷が、石黒が何時までもいつまでも存続し続けることを心から願うばかりです。 大橋洋子 福島県在住 2015.8.21受信 久しぶりのお便り有難うございました。HP更新に当たってはいつも目を通していただき、加除訂正等の助言を頂き感謝しております。 この度は、旧石黒校体育館での最後の盆踊り大会のビデオの感想を寄せていただきありがとうございます。 お言葉の通り、旧石黒校の校舎・体育館の解体撤去は、誠に淋しい限りで、特に在住の皆様には、過疎化と高齢化が深刻化を増す中で、旧石黒校校舎を活用した「爽風苑」の移転とそれに続く、この度の校舎・体育館の撤去は、心に大きな衝撃を与えたものと思います。 (しかし、こうした現実は日本全国津々浦々に見られ、時代の流れに逆らうことは至難の業であろうと思われます。国も昭和40年の山村振興法に始まる過疎対策に今日まで50年間、莫大な金を投入して来ましたが過疎化の流れ変えることはできませんでした) 聞くところによると農協事務所もすでに廃止となって、農業機械修理部だけはこの秋は今まで通り開設するとのことであり、万一機械部が廃止されるなると岡野町まで行かなければならず、農家にとっては大変不便になることと思われます。 一方、降雪期の高齢者の家周りの重機による除雪援助制度、または、地域医療制度、在宅介護サービス等は年々充実しつつあることは、喜ばしいことであります。 また、道路関係では数年前から行われている釜坂峠の改修工事が進み、国道353号線の上石黒から落合までの改修工事の土地買収が始まっています。このような道路や携帯電話環境の改修整備は過疎地の生活の基盤に関わるものであり歓迎すべきことと思います。 こうした中で、農事組合法人石黒などの生産組合の方々が石黒の棚田を何とか守っていこうと努力を続けられています。 どうか、在住の皆様には健康安全第一に、今日の厳しい激動の時代をしなやかに生きて行っていただきたいと願っております。 洋子様には、今後もHP石黒の昔の暮らしの編集に一段のご協力をお願い申し上げます。 編集会 大橋寿一郎 前略 久しぶりにお便りします。石黒にお住まいの皆様はお元気でいらっしゃるでしょうか。 私たち昭和38年度卒業学年のクラス会を去る7月25~26日に、じょんのび村にて行いました。21人が参加し楽しいひと時を過ごしました。話の中で病気をされている何人かの同級生の話を聞くと、私たちもそろそろ歳なんだなあ-と思います。 二日目には岡野町の石塚酒造を見学し普段はお酒を飲まない私も試飲コーナーで飲み比べをしてしまいました。(上の写真はその時の様子です) いつも、幹事をしてくださる皆様には、この場を借りて心よりお礼申し上げます。 まだまだ、暑い日が続きますが、HP石黒の昔の暮らし編集会の皆様も御身大切にお過ごしください。 名古屋市在住 矢沢しさいさん 2015.8.6受信 この度は同級会のお便り本当にありがとうございました。還暦の前の若い皆様、同級会はさぞ盛り上がったことでしょう。 矢沢様には、今までにも登下校の思い出などの御寄稿文、また寄合分校についての御指導などいただき心から感謝しております。貴方のようなお方のご協力あってのHP石黒の昔の暮らしであります。編集会は、まさに編集役であって、皆様から御寄稿やお便りを戴かないと更新しようもありません。どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。 本当にありがとうございました。 編集会-大橋寿一郎 HP石黒の暮らし編集会様 毎日暑い日が続きますが、お変わりなくお過ごしでしょうか? さて、先般北条西方寺の落慶法要でお会いした折に依頼された『集合写真の一枚もいただけないか』との件につき、ここに若干のメッセージを添えて送付いたします。 私共は、新制石黒中学の第14回の卒業になります(昭和21年4月~22年3月生まれ)ので卒業年度は昭和36年度卒ということで37年の3月に中学を巣立ち、それぞれの将来に向かった仲間です。若い頃はお盆に帰省した折に毎年集まっては居ましたが、成人してからは中々チャンスもなく昭和54年ころ、小学校の恩師をお迎えし柏崎の山梅旅館さんで行い、以降平成8年に伊香保温泉、平成13年にじょんのびで石黒出身の先生方をゲストにお迎えし、地震での中止を挟んで平成18年と21年にじょんのび、平成24年に那須高原、そして今回のじょんのびと続いております。 今回は上越新幹線の浦佐駅に集合し近隣の目黒邸、西福寺、永林寺等の観光をしながら宿に入り旧交を温めながら卒業以来今日までの経過・近況を2分程度の時間に凝縮し話してもらいましたが、嬉しさと、懐かしさが先走り話し手の間に割って入り、話し手が混乱してしまい話がまとまらなかった場面が多々ありました・・・が、それも楽しさがなせる業と思いながら素晴らしい一夜を共に過ごせたことを感謝しています。 以下はその折の写真です。 1枚目の写真は魚沼市須原にある新潟県及び国の重要文化財の指定を受けた目黒邸での集合写真 前列左より 加藤美枝子さん、倉地房子さん、私、田辺文男さん 後列左より 大橋朋子さん、榊フサさん、小山徳一さん、若月文さんの面々 2枚目の写真は解散時 じょんのび前での集合写真 前列左より 田辺文男さん、大橋清以さん、私、布施博正さん、加藤美枝子さん 中列左より 倉地房子さん、後藤章子さん、大橋朋子さん、若月文さん、大橋幸夫さん 後列左より 榊フサさん、小山徳一さん、牧口正和さん、大橋民治さん、田辺幸吉さん メッセージ・写真提供 ブナの芽会代表幹事 大橋和雄さん 大橋和雄様、ブナの芽の会の皆様、この度は、同級会の写真及びメッセージを頂きありがとうございました。編集会では、このところ、ご覧いただいている皆様からのメッセージもなく、淋しく思っておりました折で嬉しい限りであります。もともと、HPはブログと異なり一方通行で発信元は孤独な作業で、とくに心身ともに老化の著しいこの頃は作成意欲の減退を痛感しております。本日、皆様の溌剌とした写真を見せていただき、意欲が湧いてくる思いがしております。HPをたちあげました頃に幸夫様よりコメントを頂戴しとても励みになったことを今も感謝しております。 どうぞ、皆様、これからも石黒の昔の暮らしのHPづくりにご協力くださいますようお願い致します。編集会では微力ながらそれなりに頑張るつもりであります。 どうか、コメント広場、ひとらごと欄、あるいは子どもの頃の思い出文など是非お寄せください。 皆様の、ご健康とご活躍を編集会では心よりお祈り申し上げしております。 編集会大橋寿一郎 ご無沙汰しております。 いつも、故郷の情報をありがとうございます。
同級会、田植え、運動会等の様子を群馬に居ながら感謝しながら拝見しております。住んだことのない故郷ですが、なぜか自分が生まれ育った場所のように感じながら懐かしんでおります。やはり、血筋のせいでしょうか。
今年も早、半年が過ぎようとしております。なかなか、お墓詣りに伺えず申し訳なく毎朝夕に仏前でお詫びしております。
大橋様のお体もだいぶ回復されたご様子に安堵しておりますが、くれぐれもご無理ならなぬようにしてください。今後も「石黒の昔の暮らし」のHPを楽しみにしております。今後もよろしくお願いいたします。
中村 忠雄さん 明石市在住 2015.6.12受信 「 中村様
今日は、お便り有難うございました。
中村様が石黒にお寄せくださるお気持ちに、いつも敬意を表しております。
また、有難いことと感謝しております。
その上、こうしてホームページを御覧いただきお便りをいただくことは、当方にとっては何よりの励みとなります。
貴御書面にもありましたとおり、今年も早や半年が過ぎようとしている今、改めて時の流れの速さに圧倒される思いがいたします。
私たちの故郷、石黒も、時の流れとともに年々、更なる過疎化が進みつつあり、その行く末が案じられます。
今年は、旧石黒校校舎と体育館が解体されるとのこと淋しい事であります。
石黒だよりに掲載しました運動会の集合写真の下に挿入しました「時の振りかざす大鎌をまぬがれるものは何一つない」というシェークスピアの言葉は、あのページを作成中にふと頭に浮かんだものです。少し気障な感じもしましたが、まさに、生きとし生けるものに限らず形あるものは全て変化する運命にあるのだ、という実感が心底から沸き上がりましたので掲載した次第です。
中村様におかれましても、どうぞご健康には十分ご留意され、これからも故郷石黒に温かいお気持ちをお寄せくださいますようお願い致します。
編集会も、石黒便りの発信とサイトの内容充実に出来る限りの努力をする覚悟です。
とくに、今年は、石黒の庄屋文書を田辺家よりお借りして解読作業を始めたいと思っております。
取り急ぎお礼申し上げます。
編集会 大橋寿一郎
2月8日に開催された「石黒の雪祭り」の写真・ビデオを「石黒のホームページ」で拝見させて頂きました。天候にも恵まれ、盛大な祭りとなった様子が良く伝わってきました。子供の頃の雪の中の生活は、いくつになっても忘れ難く、石黒の雪情報を聞く度に懐かしさが込み上がります。今回は「雪祭り」ですから郷愁を誘うのも一入です。「雪祭り」とは良い言葉ですね。背景に「しょんがいな」が流れているのも素晴らしいです。夏の盆踊りとも重なり半世紀以上も前になろうかと思われる石黒村での様々な光景が脳裏を走り、画面に没頭させられてしまいました。この歳になると画面から分かる方々は、ごく少なくなりました。しかし、何故か画面からは五感に響くものがあり、懐かしい限りです。 旧石黒中小学校も今年中には取り壊しとのことですね。時の流れとは言え、実に寂しく残念です。せめて、母校跡地が、石黒在郷の皆様の心のよりどころとなる場にでも生まれ変わることを願っています。 編集会の皆様には、こうしたタイムリーで的確で、かつ感動を与えて下さる石黒情報を提供頂いておりながら、感謝の言葉が足りず、何時も申し訳なく思っています。ご容赦下さい。今年は大雪とのこと、まさに今は厳寒の2月ですね。情報収集も大変なこことお察し致します。どうぞ、ご健康に留意されお励み下さい。在郷の皆様、ホームページ愛読の皆様も、風邪など召されぬよう、どうぞ、お元気でお過ごし下さい。(大橋末治) いつも、御寄稿、コメントを頂戴し有難うございます。この度は石黒地区雪まつりの情報につき過分の御言葉を頂き恐縮しております。石黒地区の雪まつりの撮影は大橋政栄さんにお願いしております。編集とアップロードは私がやっておりますが、もっと編集に創意工夫をと思っていますが、毎度、ワンパターンの編集で皆様には物足りないことと存じます。高機能のビデオ編集ソフトも購入したのですが、正直なところ、操作が難しく活用できないでいるような次第です。そのうえ、喜寿ともなると頭脳が衰えミスが多くなり困っています。この度も、原画ビデオのカットに相当の時間をかけて編集を終わりアップロードしたとろ内容時間が長すぎて2時間余の転送後2度にわたって拒否されて結局一日仕事になってしまいました。今年はビデオ制作の勉強をして編集技術も少し高めたいものと思っております。どうも、この頃は書く文も口説き話が多くなってしまいますが、これも歳のせいとお許しください。 どうか、末治様におかれましても、健康安全に御留意くださって、今後も御寄稿、コメントをお寄せくださいますようお願い申し上げます。 編集会 大橋寿一郎 石黒通信HP管理人様 明けましておめでとうございます。何時も、貴重な情報を見させて頂き感謝しております。 昨年末から石黒方面は大雪となりお住いの皆様は大変な毎日を過ごしておられることが、HPの画面から窺い見えます。 板畑で3メートル25センチの積雪であるとありました。この雪掻きに91歳の大橋清志さんが除雪機を使っておられる写真があり元気を頂きました。 私の住んでいる集合住宅では、毎朝、デーサービスに行く高齢者を迎えにくる送迎車が多く来ます。特に、高齢者の男性が多いように見えます。雪国で鍛えられた体は強靭なのでしょうね。 ”千年の追憶板畑”の動画を見せて頂きました。墓場の所で、画面左側端に写っている 大石を3段に組み、その上に石塔を含め5段の石を積んだのが私の父と父の兄が作った 中村家先祖代々の墓です。昭和12年8月に建てたと墓碑に書いてあったことを思い出しました。今は、大雪を被っていることでしょう。画面に手を合わせました。 後100日もすれば、春の芽吹きの便りを発信して頂きますようお願いします。 私の住む明石市は、雪が降っていませんが、JRの電車が遅れることがあります。この原因は、滋賀県の琵琶湖付近に雪が降り、電車が遅れその電車が姫路まで運転されているためです。電車の屋根に雪を積んで走っているのを時々見ます。 今年もよろしくお願いいたします。 中村 忠雄さん 明石市在住 2015.01.15.受信 中村様いつもお便りを頂戴し有難うございます。何卒今年もよろしくお願い申し上げます。「千年の追憶-板畑」に 中村様の先祖代々のお墓が写っていたこと、うれしく思います。5.6枚撮影したものの中から最も多くの墓がおさまったものを選びました。その画像に中村様が手を合わせられたとのこと、その心に敬を表します。私も見習いたいと思います。 私にとっても板畑は魅力ある集落であり、特に嶽からの眺望は素晴らしく、春夏は必ず訪れることにしています。昨年の秋は2回行きました。今年も残雪の時期に是非訪れるつもりです。 中村様におかれましても、どうぞご健康に留意してお元気にてお過ごしください。またのお便りをお待ちしております。 編集会 大橋寿一郎 いつありがとうございます。 古文書の解読を始められるとのこと、ぜひご無理をなさらずにお願いいたします。私も明治22年の合併で高柳村門出から、居谷と板畑が石黒村に編入された当時の古地図(高柳支所にあるそうです)を見せていただき先祖様がどのあたりに住んでいたのか確認いたしたく考えております。 本日1月9日は私の住む前橋市の初市です。縁起だるまを主に様々な露店が軒をならべ、前橋の三大祭りの一つです。ここ数年高柳町の「じょんのび村」からも出店され、お米やお酒など特産物を販売しておりました。私はお墓詣りの途中に必ず「じょんのび村」に立ち寄り、がんもどきと豆腐をお土産に買って帰っておりました。それが1月9日には前橋に来ていただきそれらを買い求めたり、じょんのび村協会代表の関井さんはじめ皆様方にお会いするのも楽しみでした。 私の家内はその時、上州(群馬県)名物の焼きまんじゅう(ふかし饅頭に甘じょつぱいたれをぬったもの)を差し入れさせていただいておりました。今年も楽しみに訪ねてみたら出店がありません。場所が変わったのかと思い、電話を入れましたら「今年は出店しないとのことでがっかりしました。 寒波が居座り続けており、積雪も多くなると思いますが、皆様お体大切にご活躍ください。 中村清さん 群馬在住 受信2015.1.9 高崎のだるま市についてのお便り有難うございました。高崎のだるま市は話には聞いておりますが、未だ行って見たことはありません。お便りによりますと高柳町のじょんのび村も出店しているとのこと初めて知りました。来年はじょんのび村出店の様子の写真をお送りいただければ嬉しく思います。 またのお便りをお待ちしております。どうぞお元気で。 編集会 大橋寿一郎 平成27年 明けましておめでとうございます。 いつも、古里の現状をお知らせくださりありがとうございます。 昨年12月は例年以上の積雪とのこと、お見舞い申し上げます。新年1月~2月は暖冬予想ということで少しは安心しております。こちら群馬は山沿い(みなかみ町他)を除き、乾燥した毎日で「空っ風」が吹き荒れ寒いですが、古里のことを考えれば幸せなことです。 小生の体調も徐々に回復しつつあります。大橋様の白内障はいかがですか。今年は是非お墓詣りに伺いたく思っております。 「石黒の昔の暮らし」を拝見しつつ、治療に励みます。 本年もよろしくお願い申し上げます。 中村清さん 群馬在住 受信2015.1.5 明けましておめでとうございます。昨年中は度々コメントを頂戴し本当にありがとうございました。頂いたコメントがどれほどHP作りの励みになったことかはかりしれません。 そもそも、ホームページはブログとは異なり一方通行の作業であり、実に孤独な仕事でありましてこの辺で終わりにしたい気持ちになることもあります。 そんな時に、皆様からの一言でも二言でも、 メールでもお手紙でも頂戴すると、がぜんやる気が出てくることは不思議なくらいです。 16年もはまり込んで来て、オタクなどと揶揄されそうですが、歳とともに頭脳が老化して目標めがけて突っ走るオタクの意欲にも衰えを感じます。今年4月は喜寿を迎えますが、物忘れが激しくなかなか植物の名前も浮かんでこないという事にも不安を感じます。 とはいえ、石黒の古文書の解読という私にとって最も難しい仕事が残っております。6年前に古文書自習を始め根を詰め過ぎ、70歳代発症は極く珍しいといわれる慢性大腸潰瘍炎という難病に取りつかれてしまった手前、このままでは引き下がるわけにはいきません。今年は、石黒村庄屋文書を御所蔵の田辺様にお願いして是非読ませてもらいたいと思っております。構想としては石黒の近世年表に時代の出来事と関連付けて掲載できればと思っております。 現在、市図書館で高柳町山中庄屋文書(7千余点)の整理のお手伝いをさせてもらいながら、読解力を少しずつ身に付けつつ構想を練っております。 前文がついつい長くなり恐縮しております。お許しください。 さて、中村様におかれましては体調の方も御回復に向かわれているとのこと何よりのことと存じます。お陰様で私も白内障、緑内障の方は今の處何の不自由もなく、昨年2月痛めた膝の靭帯もようやくほぼ元に戻りましたので喜んでおります。 中村様、どうぞ御養生専一にされ、1日も早く全快されますことを、心からお祈り申上げております。 前半、くだぐだと御聞き苦しいことを書いてしまい申し訳ありません。おゆるしください。失礼いたします。 編集会 大橋寿一郎 追伸 寒々しい仕事場です。こんなところで終日機械に向かっているわけで。 撮影2015.1.5 バックナンバー2014へ |
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