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HPへのコメントに限らず皆様同士のコメントもどうぞ!
2014.1~

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編集会より 
下記9.30受信の大橋末治様への返信で記載しておりますが、先般、姫路市の石黒始様より帝石の第1号井が石黒に掘られたとの記録があるので、その場所を調べてほしいとのご依頼がありました。
 地元の我々も初めて見る資料も集められて送っていただいておりますので、皆様にもご紹介して情報を頂けばと改めて今までのメールを以下に記載いたします。なお、添付送信された資料については関連部分を編集会で拡大したものも紹介したいと思います。



 大橋寿一郎様。
 ご連絡ありがとうございます。

 元々は退職を期に(現63才です)、興味のあった地名としての「石黒」の分布・由来等を調べていたのですが、その経緯の中で「石黒の昔の暮らし」に出会いました。またそれとは別に長岡市広報で石黒の第一号油井の記事を読み、まずはこの七千本近く建設された油井の一号としての石黒油井の場所が、高柳町石黒に相当するのかどうか確かめようとしていたところでした。

 先日、刈羽村立図書館経由で高柳町地域振興課・大島様を通じて石黒の大橋勝彦様(ご先祖がランプ用石油を商っておられたとのこと)を紹介していただきました。  簡単に電話連絡をさせて頂き(九月十一日)農繁期を避けて降雪前の十月中旬に現地をお訪ねしたい旨お願いしました。ただ、大橋勝彦様は養子に来られたとのことで口伝えレベルの事はご存知ですが、保管されている文書などの歴史的背景・経緯などはご存じないかもしれません。

 長岡市立図書館で調べて頂いた日本石油「日本石油史」大正三年・石黒油田沿革/刈羽方面を添付します。

 石油に関する石黒村内の生々しい状況が書かれており、今日まで糸を引いていなければよいのですが。

 大橋勝彦様との日程詳細は摺合せの結果で決めることにしていますが、可能であれば石黒地区を熟知されている大橋寿一郎様もご同行願えれば話が深まるかとも思います。

 お忙しいことと存じ上げ、まことに勝手ですがご検討方よろしくお願いします。

 資料

刈羽方面

既に現はれたる西山方面を別とし、刈羽郡内の他方面に於では、石黒村に同村菅井栄太郎氏等共同の上、手堀を開堀することとした。同村にては二百余年前より、石油の存在を知り、地下二三尺を掘りで、滲出油を採り之を燈火用に供し来たが、嘉永安政の頃、刈羽郡油田村の幸左衛門といふもの、同村に於で五六十の手堀井を開坑し、深度四十一二間より四十五六間にて出油し、中には日産二三石づつ、五六年間継続したるもあり。此出油は樽詰めとなし、人肩によりて、柏崎に搬出し、彼の妙法寺原油と並び称せられたのであるが、同村民中二三の幸左衛門に快からざる者あり。一夜渓流を出油井に導き、水をそそぎたる爲、幸左衛門の事業は中絶し、同村民亦掘削を試みることなく以て此年に至ったのである。この他刈羽郡における新方面試掘としては、柏崎茂木製油所にて、今熊に試掘したが、前記の石黒とともに好果を見るに至らなかった。

日本石油「日本石油史」大正三年・石黒油田沿革/刈羽方面
(資料提供石黒始さん)


 大橋寿一郎様。お世話になります。姫路の石黒です。
 油井調査の件、お忙しいところ御手数をかけますがよろしくお願いします。
 今回は石黒地名の分布に関して今までの収集資料と越後の黒姫地名の関連など
先学の資料を交えてメモにしたもの(あくまでもメモレベルです)を送付します。
恐縮ですが、ご一読いただき大橋様のご意見を頂けないでしょうか。
また関連資料等紹介いただければ有難く思います。
よろしくお願いします。
 尚、外字を使用しておりますので、文字化けを避けるためPDFで送付いたします。
また新潟県黒姫・石黒分布図は本文中の物が見にくいので同じ物を添付しました

頂いた資料に現在の石黒の現地と旧道(赤線)地名、家屋の屋号等を記入した地図
地図拡大←クリック                 地図作成責任者-大橋寿一郎

手掘りの跡を指さす石黒氏 下石黒屋号「若宮」西寄り-2014.10

大橋寿一郎様。
早速ですが、先日ご連絡しました国会図書館から油井配置図(添付図)を入手しましたので送付します。
コピーのコピーなので多少見づらくなったかもしれません
「大日本帝国油田第六区地質及地形説明書 明治39年9月」の刈羽郡石黒産油地の項の第三版第四図
です。同書末に記載されている油井リストの番号に対応した図示があるものです。またA-B断面
に記載された油井番号も確認できるようです。
先日お送りした第一版図面と多少様相が異なるので、合わせての検討が必要かと思います。
お忙しい事と存じますがよろしくお願いします。
 



大橋寿一郎様

 ご多忙の中、各位に対するご丁寧な返信文、恐縮しています。

 「帝石の七千余本の石油掘削の第一号井が明治三年の石黒地内で掘られたとの記録がある」とのこと、しかも、実に具体的なのには驚きですね。ひとつ変わっていたら、石黒も大都会に変身していたか、と思うと夢のようです。

 地名「よしぐい」、「ひがしむろ」「どうしんだ」「しもっぱら」「元屋敷」屋号「かいじ」そして危険物の捨て場所など忘れていた言葉が並んでおり、我が家にも関係するところが多く、忘れていた記憶を思い出しています。

 高校生の頃、人文地理の先生(名前は思い出せません)が石黒の地質に興味を持っておられ、調査されていたのを思い出しました。オオノッパラの地蔵さんの近くで常時ガスが噴出していたのを生徒に紹介されていました。当時はバス代がなく帰省しないように努めていましたが、もっと機会を活用し故郷のことを知っておくべきでしたね。情けない価値観を悔やんでいます。

 歴史をひも解くことは並大抵のことではなく、寿一郎様の緻密な攻めに感服しています。私には、とても出来ないことですが、良い歴史資料に出会えることを陰ながら祈っています。
<蛇足>

 1.石黒の動植物紹介は大変な努力・労力とお察ししますが、石黒を里にする私どもには、その都度、新しい発見があり良い学習になり感謝しています。今回の植物紹介の中で「ガマズミ」の中に「”ボイ”の”ネジキ”にしたり・・・」とあり、読んでいて辞書の助けを借りずに分り「まだ、自分は石黒弁を忘れていないな」とほくそ笑んでいます。

 2.城山の「城跡」なども石黒HPで紹介されるまで、近くにいてもその存在を知りませんでした。「なぜ城山と呼ぶのかな」くらいの疑問でした。城跡の盛衰が分かると面白い小説にも発展できるのではと、つまらぬ空想もしています。
それでは、お元気で。(大橋末治)

メールありがとうござました。ところで、帝石の第一号井の位置はなかなか特定できないでおります。その油井の掘られた明治2~3年といえば、冷害のため天保以来の大凶作で石黒村から飢人救穀米、年貢延期願いなどが出された年です。廃藩置県の直前でもあり、地権者や村との契約書などが残っている可能性は低いのではないかとも思っております。もう少し聞き取りもしてみたい思います。
第1号井についての近況を兼ねお礼まで。
編集会 大橋寿一郎





石黒通信HP編集者様
 
7月にパソコンをWindows8.1にしてから、なかなか馴れず、時々パソコンが
フリーズするトラブルもあり、使いにくくありました。やっと最近馴れてきて、久し振りに石黒通信を見ました。黒姫山山麓で育ったお米は美味しいでし
ょうね。さて、「晴天続き稲刈り最盛期を迎える20140923」を見ましたら
中村トクノさん(沢)の写真が載っておりました。父の遠縁の人で、私が板畑に行くとご馳走をして迎えてくれる方です。お元気でおられることを写真で見
て安心しました。ありがとうございました。雪の季節の到来の前に、息子さんの住む大阪に行かれるのでしょう。
私の住んでいる所から、自転車で20分程北方向に行ったところは、稲美町
というところです。万葉集では「印南・インナミ」という地名ですが、町が出来た時に稲が美しく育つように、稲美町と名付けた町です。
ここは、播州平野の中心で、広い田圃があり石黒の山地と違い平地です。
彼岸花が咲く9/21、写真を撮りに出かけました。丁度稲刈りの作業中でし
たので、収穫の写真も撮りました。此方の稲刈り風景を見て下さい。


 
兵庫県明石市在住  中村 忠雄さん  2014.10.10受信

 メール有難く拝見いたしました。お元気の様子何よりです。
 Windows8.1は確かに使い勝手が良くないと思います。とくに、スタート機能が我々世代にとっては前バージョンより退化したと断言できます。この機能を含めて近々、改良版Windows10を発表するとの事でありますが期待しています。いずれにしても、高齢世代のユーザーが多くなるのですから、その点を重視した改良を希望したいもの。最近買い替えたプリンターなど電源が白地に薄い灰色で小さく表示されているため、目をよほど近づけないと見つけられないくらいです。
 さて、この度は、御地の稲刈りの写真をお送りいただきありがとうございました。稲美町という名前どおりいい所ですね。写真もお送りくださり有難うございます。ヒガンバナがアクセントとなり素晴らしい写真と感心して拝見しております。
 ところで、私か゛今まで使っていたカメラのレンズに小さな傷がつき、一昨日夕方、兵庫県加古川市の通販店に注文したところ翌日の午前10時に現品が届き便利な時代と改めて痛感しております。、今日は使い方実習を兼ねて写真をとりにこれからでかけるところです。
 中村様におかれましても何卒、健康安全に御留意され、お元気にてお過ごしください。
 HP作成にも何卒今後もご支援をくださいますようお願いします。
 まずは、取り急ぎお礼まで。
  編集会 大橋寿一郎





大橋寿一郎様、大橋政栄様
ご無沙汰で申し訳ございません。
石黒HP編者の皆様には、今年も季節に応じた沢山の素晴らしい石黒の情報を発信頂いていますこと、感謝に堪えません。
村の方々が季節の移り変わりと上手に係わっていかれる様子が、とても良く分かり郷愁を覚えます。
道普請、運動会、各種祭礼そして稲刈りなどそのやり方は昔と異なっていても画像から伝わる石黒の生活情景は的確に伝わっています。
最近の話題では、縄文時代の生活文化の素晴らしさが見直されてきている(環境問題など多くの問題が多発している現代社会の生活や文化の見直しのため)と聞いています。
しかも、昭和30年代までは縄文人の生活文化が生き続けていたとのこと、きっと、石黒には多くの貴重な縄文人の生活文化が現在も引き継がれているのでは、などと勝手に想像しながら編集者からの情報発信を大いに楽しませて頂いています。
それに、毎度のことですが、高齢者の方々の想像を超えたご活躍には驚き感服しています。
取材者の方々もご高齢の由、特に山間部の取材は何かと大変なことばかりとお察し致します。
殊に、寿一郎様・政栄様はじめ関係者の皆様のご努力には、頭が下がりっぱなしです。
勝手ながら、お二人様にはご健康に留意され、一日でも長く続けて頂き恒久的なHPに育てて頂きたいものと願っています。

どうぞ、もよろしくお願い致します。
季節の変わり目になりました。石黒HPの編集関係および読者のみなさま、お元気で。
                
愛知 大橋末治さん (2014.9.30受信)

 ご丁重なるメールありがとうございました。先日、政栄さんと稲刈りの動画撮影に行きましたところ、大橋富治さん(98)お会いし昔の石油掘削について話を伺っている所に末治様のお兄様でいらっしゃる清志様(90)がコンバインに乗って通られ一寸お話をさせていただきました。本当に、石黒の方々は歳をとられても心身ともに健康で驚くばかりであります。

 石油掘削についての聞き取りは、先般、兵庫県姫路市の方から帝石の七千余本の石油掘削の第一号井が明治三年の石黒地内で掘られたとの記録があるが、それについての詳しい資料がほしいとの依頼があったからでした。
 正直なところ、こちらも初めて聞く話でありまして、資料を見て驚いたような訳で、その場所については「石黒、大野」とありますがなかなか特定できないでおります。資料によりますと明治3年の井戸は深さ132尺で日産8斗(後2斗)などとの記録が見られます。この資料によりますと、松之山村の大荒戸では日産50石の出油の記録もみえますので、石黒は油量はそれほど多くなかったにせよ掘削された油井の本数はかなり多いことは確かです。

 古文書では安政11年に刈羽村油田の業者と庄屋との間で取り交わされた採油の諸規定書が残っています。
 また、慶応元年に石黒村の「よしいろ」という所で草生水が少し出たとの記録もあるようです。この「よしいろ」という地名は、現在の「よしぐい」ではないかと思い富治様に下石黒地番図を見せてもらったのでした。よく調べてはないのですが、地層分布から見ても、下石黒の「こさ川」あたりから作場の地名で「よしぐい」、「ひがしむろ」「どうしんだ」「しもっぱら」「元屋敷」から末治様の隣の屋号「かいじ」のうらあたりまで同じ地層が連続しているように思われます。屋号「かいじ」の近くの廃井戸は、小生が中学生のころに村の危険物の捨て場所であり、神社下に備えてあった危険物入れの中のガラス破片などを捨てに行った記憶があります。
 この機会に石黒村本庄屋の文書も依頼して実物を読みたいと思って近々、お願いの手紙を出したいと考えております。(現在巻町に居住)
 今後も、HPをご覧いただきお気づきの点は忌憚なく御指導をお願いします。
 冗漫な文となり申し訳ありません。
     編集会 大橋寿一郎





大橋寿一郎様・編集会の皆様

 このたびは、稲刈りの様子をアップしていただきありがとうございます。
 何度も再生し、故郷への思いを馳せております。今朝方は35年まえに亡くなった祖母が夢のなかに出てきてくれました。また、私に故郷を教えてくれた叔母と一緒でした。気持ち良い朝を迎えることができました。

 住んだことのない板畑ですが、こうして身近に感じられるのは、「石黒の昔の暮らし」のHPのお陰様です。本当にありがとうございます。

 先日、10月にお墓詣りに伺うとメールいたしましたが、ドクターから、一時間以上の車の運転は今しばらく控えるよう指導を受けてしまいました。4月に起きた「めまい」は5月以降問題なく生活できたのですが、退職後、気が緩んだのか、疲れが出たのか、加齢のせいなのか脳への血流に問題があり断念せざるえを得ない状況になってしまい残念でなりません。しばらく静養し体調の回復に努めます。

 皆様方のご努力に感謝し、石黒通信を楽しみにしばらくのんびりいたします。

 どうぞ、お体ご自愛いただきご活躍ください

中村清さん  群馬在住 受信2014.9.27


 お便り有難うございました。中村様の、ご自身は住んだことのない先祖の故郷板畑への想いには深く敬意を表します。
 石黒地内ではありませんが、植物撮影中に低木と草にすっかり埋もれ倒れかかった墓に何度か出会ったことがあります。その時は見知らぬ家の墓とはいえ,、思わず手を合わしています。それなりの事情があってのことでしょうが心の痛む光景です。

 中村様におかれましては、体調がすぐれないとのこと、何卒、ご無理をなされずにご養生され御快癒されることをお祈りしております。

 加齢につれての体力の衰えと肉体各部の故障の発生は、私も痛感しております。PCを一日中続けても疲れを感じない唯一つの自慢の眼も先日眼鏡の買い替えでメガネ店で検査したところ、病院へとの指示を受け眼科医院で受診したところ、両目が中度の白内障と右目は緑内障とのことで、今日は緑内障の精密検査です。

 今年は、残暑らしい日のほとんどなく、最近、快適な天気がつづきますが、中村様におかれましても、どうぞ、お体を大切にされお元気にてお過ごしくださって、これからもHP石黒の昔の暮らしをご覧意いただければ、何よりの喜びであります。

取り急ぎ、お礼まて。下は、嶽のソバ畑の写真です。




石黒の昔編集会
   
 ご無沙汰しております。今年は、猛暑に大雨による自然災害、デング熱等大変なことが次々と起こりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
〔中略〕
 8月31日で会社を退職し自由人になりました。先祖様にお礼を兼ねて10月中旬に板畑にお伺いする予定です。
 「石黒の盆踊り」の様子を楽しく拝見いたしました。ありがとうございました。
 今後ともよろしくお願いいたします。


   中村清さん  群馬在住 受信2014.9.8

 この度は、おたよりを頂戴し有難うございました。近頃は皆様からのお便りも絶えてなく5月から初めていただいたお便りで、ほんとうにうれしく拝見しました。
 実のところ、私も、この頃は体調もすぐれず、呆けも進行し植物の名前がなかなか出てこないような次第で、ホームページの制作もそろそろ限界ではないかという不安が募っていたところでした。
 数日前にアップしました地蔵峠のビデオ資料も政栄さんから写真をいただいた、その日の午後から取り掛かり動画と写真の両方を使ったせいか制作途中でとん挫をきたし丸一日以上かかって翌日の夕方までかかるというという恥ずかしい 状態です。ぶっ続けに終日、パソコンとにらめっこで翌日は体調をくずし午後は寝て過ごしたというようなザマであります〔長時間のパソコン作業は医師に固く禁じられているのです〕。普通、アップ前まで3時間前後で終えていた仕事に10時間もかかりショックでありました。
 この度、貴兄のお便りに接し、もう少し頑張ってみるか、という気持ちが湧いたような気がします。真に有難うございました。何とかあと、1・2年は頑張りたいものですが・・・・。
 お便りによりますと、定年退職をされたとのこと、長い間大変御苦労様でありました。また、10月には板畑の 御先祖の墓参りに御帰省されるとのこと敬を表します。私も、近々、政栄さんと板畑に稲刈り風景を撮影に出かける予定です。
 嶽も春以来の訪れで楽しみにしています。膝の靭帯損傷の後遺症があり以前のように自由に動き回るわけにはいきませんが、美しい背景の植物の撮影ができれば、と願っております。
 中村様におかれましても、何卒ご健康に留意されて充実した第二の人生をお過ごしくださいますようお祈りいたします。
 取り急ぎ、お礼まで
 編集会 大橋寿一郎



               田辺雄司さんを偲んで・・・

 田辺雄司さんの訃報には私も驚きと悲しみと同時に、感謝と残念さが一気に押し寄せました。生前に沢山寄せられた雄司さんからの寄稿文の感想は、大橋様(寿一郎さま・末治さま)のお二方がすでに書いてくださいました。
 特に晩年は「おれが又、書くのがはちゃ、楽しいんだんがのぉ~」と言いながら、石黒HPへ投稿するのが真に雄司さんの生き甲斐となっておりました。
 便箋に書かれた原文を寄稿する度に、掲載文に編集仕上げしたものを寿一郎さまがその都度、雄司さんの手元へ郵送されていたそうで、ファイルケースに4冊も溜まって、それを松代の人が持って行って皆で回し読みをしていて最後の一冊がまだ戻って来ないがんだ!と嬉しそうに話していたのが今脳裏によみがえります。
 さらに昨年は原文を1枚たりとも紛失しないように保存をして掲載文とは別個に数冊に綴じて、雄司さんに届けられたことを知り、心がとても熱くなりました。大変貴重で素敵な遺品となったのではないでしょうか・・・・
 雄司さんは勿論、家族の方達もさぞお喜びの事と思います。
 縁戚の一人として心からお礼を申し上げます。又、この場を借りて生前の
 田辺雄司さんを偲んでいただきましたことを重ねて厚く感謝を申し上げます。

    大橋洋子  福島県在住・大野集落出身 2014.5.30受信




  HP石黒の昔編集会
    大橋寿一郎様

 ご無沙汰で申し訳ございません。

田辺雄司様ご逝去についてのお知らせありがとうございました。田辺雄司様には直接お会いしたことはありませんが、「HP石黒の昔の暮らし」を介しての友人の一人として、下記弔文を打電させて頂きます(HPへの取扱いはご一任致したく)。

HPを拝読させて頂き、連日の取材、調査研究等で大変な毎日とお察し致します。どうぞ、ご健康に気を付けてお励み下さい。 

田辺雄司様のご逝去の訃報に接し、驚きと悲しみに暮れています。ご家族・ご親族の皆様には、さぞご心痛のこととお察し致します。
 遅ればせながら「HP石黒の昔の暮らし」を介しての友人の一人として、田辺雄司様のご冥福をお祈りしたいと思っております。
 田辺雄司様のご寄稿文は、大橋寿一郎様のご案内の通り、石黒での実生活者の生の含蓄ある声として、毎回感服しながら拝読させて頂きました。ありがとうございました。

田辺雄司様のご冥福を、心からお祈りいたします。合掌

愛知 大橋末治さん (2014.5.28受信)




         田辺雄司様ご逝去について皆様への知らせ
 いつも、HP石黒の昔の暮らしをご覧いただきありがとうございます。
 さて、本ホームページに沢山の御寄稿文をいただいてきました田辺雄司様が先日お亡くなりになりました。
 田辺様には冊子「石黒の昔の暮らし」の編集時から特別協力委員として、昔の暮らしについてご指導を頂き、HPの編集では数多くの御寄稿をいただきました。
 田辺様の記憶力は抜群であり、且つ絵図なども大変分かりやすく正確に描いてくださいました。
 また、本HPへの御寄稿は田辺様にも晩年の生きがいとして頂き、私たちもこの上ない貴重な資料を頂戴することができ誠に有難いことでありました。人生における出会いいの意義の大きさを改めて痛感するところであります。

 ここに、皆様とともに心から感謝し、故人の御冥福をお祈りしたいと思います。

※なお、御寄稿文は、便箋に書かれた原文を、掲載文のファイル冊子とは別に昨年の秋、数冊に綴じて田辺さんにお届けしまた。とても喜んでくださいました。
 また、掲載できなかったもの、または私が主題にそって手を加えた掲載文より価値ある内容が書かれているもの多いと思い一枚も紛失しないように保存してきた甲斐がありました。

皆様もどうぞ、健康安全に十分御留され、お元気にてお過ごしください。

     HP石黒の昔の暮らし編集会 大橋寿一郎  




大橋寿一郎様・中村忠雄様
 
 大橋様 いつもお世話様になっております。
 お怪我もだいぶ回復されたご様子に安堵しております。ご無理なさらずご活躍ください。
 
 中村忠雄様
 この度、叔父様がご逝去されたとのこと、お悔み申し上げます。
 また、貴重な情報をいただきありがとうございました。
 
 小生、4月14日にお墓参りに伺う予定でしたが、当日未明に今まで経験したことのない激しいめまいに襲われ、救急搬送されました。MRIを始め精密検査を受けましたが、原因は、過労とストレスからくる「発作性頭位めまい症」とのことで、大事に至りませんでしたが、その後も毎日、就寝時に発作が起きておりました。ここ2日間、やっとおさまってきました。
 そんなことで、14日にはお参りできませんでした。残念でありましたが、車を運転中でなく良かったと思っております。その間パソコンを開くこともなく、お礼が遅くなったことをお詫び申し上げます。
 
 今後もよろしくお願い申し上げます。
 
 メール拝見いたしました。4月14日に突然の激しい目まい大変でしたね。本当に車運転中などで大事に至らず不幸中の幸いでした。以前に女子サッカーの澤選手が罹ったという報道に接したことがあります。全快まで3か月はかかるとのこと、中村様もどうぞご養生ください。取り急ぎお見舞い申し上げます。
追伸
 昨日、板畑に行ってきました。田植えの写真を撮りに政栄さんと行ったのですが、板畑ではまだ始まっていないようでした。嶽の途中まで上り植物写真を撮ってきましたが雲が厚く遠い山ははっきり見えず残念でした。
板畑の神社の写真です。  板畑集落 熊野社 撮影日2014.5.17

 
 中村清さん  群馬在住 受信2014.5.17




石黒通信HP殿
3/31に、岡野町に住んでいた叔父(母の弟)が小千谷総合病院に入院治療中に
亡くなったという従兄弟からの連絡で驚きました。お見舞いに行かねばと思っていた
矢先でした。4/1お通夜、4/2告別式は柏崎市内執り行われました。
享年97歳で長寿の人でした。葬儀が終わってから、従兄弟と岡野町の奥様(従兄
弟の母)に挨拶に行きました。
鯖石川に沿っての道、岡田付近から日陰となる所に50cm程の深さの雪たまりが
あちこちにありました。
両日共に晴天であり、暖かい日でした。柏崎から米山、黒姫山が雪に輝いてとても
綺麗でした。写真を撮りました。添付します。岡野町の雪の状態の写真も添付しま
す。今日は4/12ですからもう10日も経っていることから、融けてしまっているのではな
いかと思いますが。
コメント広場に 群馬県にお住まいの 中村 清様が私のことを親戚関係ではないかと
書かれておられます。そうかもしれません。父が住んでいた所は、「ほしば」という屋号
です。昔の板畑の地図(※備考欄)に書きいれましたので参考にしてください。添付します。
岡野町から中後、板畑への黒姫山の古道を歩いてみたいと思っております。
よろしく。

追伸

石黒通信HP殿
追伸お願いします。
群馬県にお住まいの中村 清さんが4/14にお墓参り行かれるとあります。
板畑の墓地(分校の脇)に、父の兄(中村源次)が昭和12年8月に中村家先祖代々の墓を作りました。中村 清様がお墓参りに行かれた時に、親戚関係を調べる手がかりになるのではと思い「ほしば」と「中村家先祖代々の墓」の写真を添付します。
よろしく。
写真→クリック



中村 忠雄さん   明石市在住  受信2014.4.12.

いつも、お便りをいただきありがとうございます。
この度は、叔父様の御逝去謹んでお悔やみ申し上げます。男性で97歳とは本当に稀な長寿であると思います。
御葬儀当日の写真と集落図に屋号「ほしば」についての情報を頂きありがとうございました。写真は別載し下記にリンク設定、集落図についての情報は集落図の備考欄に記載しましたのでご確認ください。なお、上記墓写真と別載の写真説明(土蔵、2009.6月の写真)をお知らせくだされば幸いです。
これからも何卒、よろしくお願い申し上げます。
  HP編集会 大橋寿一郎



HP編集会 大橋様
 
 いつもお世話様になっております。
石黒通信にて、大橋様が膝を怪我されたとことを拝見し、お見舞い申し上げます。
 精力的に取材をなされる大橋様には歯がゆい日々をお送りのこととお察し申し上げます。日頃お疲れの体を少し休めなさいという神様からの思し召しと考えゆっくりなさってください。
 4月14日(月)にお墓参りに板畑にお伺いする予定です。
 石黒通信に投稿されました、明石市在住の中村忠雄様の祖先様は板畑ですか、そうであれば私どもと親戚関係であろうと考えます。その時は情報交換したいと存じます。よろしくお願いいたします。

お便り有難うございました。14日には板畑にお墓参りに板畑に来られるとのこと、ご苦労様です。板畑の積雪は今確認しましたところ(8日)80㎝との情報ですので14日頃にはほぼ平地も消えているのではないかと思います。
ブナの若葉が開き始める頃で早春の景観をご覧いただけると思います。時間があれば神社の上の嶽へ通じる山道を少し行ったところに遠くの山々が広く眺望できる場所がありますので参考までにお知らせしておきます。
御心配いただきました小生の膝の靭帯も少しずつ回復しておりますが、未だ、石黒に写真撮影には行かれない状態で、五月の連休の頃には何とか・・と思っております。

なお、ちなみに、板畑の墓地から東方に、板畑城のあった城館山が見えますのでご覧ください。板畑城については、HPの「石黒の歴史」に城館山の写真も掲載されていますので予めご覧いただいておいてくだされば幸いです。
お便り、ほんとうにありがとうございました。では、どうぞ道中お気をつけくださいますよう。
取り急ぎ、お礼まで。
編集会 大橋寿一郎

中村清さん  群馬在住 受信2014.4.8



石黒通信 殿

先般メールでご披露しました、旅行で同宿した加古川市に住むH氏から昨日メールが届きました。
お彼岸でお墓参りに見附市に帰省され、帰り道に「じょんのび村」に寄ってきたとあり、黒姫山の写真(下写真)が添付されていました。H氏のメール本文を下記に記しました。
「お彼岸で帰省しました。
帰り道すがら、高柳・じょんのび村に来ました。
久しぶりに雪国を堪能しました。良いところを教えて下さり有り難うございました。」

                写真中央に見える建物が、じょんのび村
私は、雪が解け暖かくなったら岡野町の叔父が入院している小千谷市の病院へお見舞いに行こうと思っております。
よろしく。

中村 忠雄さん  (明石市在住) (受信2014.3.23)

中村さん、お便り有難うございます。貴方様のご紹介で、H様が高柳町のじょんのび村を訪れてくださったとの事、有難いことであります。高栁町も去年に比べて残雪は少なく間もなく春らしい景観となることと想います。
私も、山へ動植物の撮影にでかけたいところですが、高柳雪まつりの帰路途中で撮影中に転び膝をいため現在専らデスクワークで過ごしています。五月の半ばの下石黒の道普請までには何とか回復したものと思っています。
お手紙によりますと叔父様がご入院されているとのこと、すでにご高齢でいらっしゃることと想像しますが御心配ですね。
病院のある小千谷市は、御存じのように、昔は小千谷縮・越後上布の集散地として有名で高柳村や石黒村からも多くの布が仲買人をとおして集められたところとして有名です。とくに、石黒のように田畑の少ないところでは、女衆の冬仕事として盛んであったことが古文書などからも分かります。
→参照HP 縮織
中村様もどうぞ、ご健康に御留してお過ごしください。また、お便りをお待ちしております。
取り急ぎ、お礼まで。

編集会 大橋寿一郎




石黒通信殿
何時もHPを見せて頂いております。今年は高柳雪祭りが盛況に開催されている様子を見せてもらいました。
 私事ですが、3/1~3にかけて、東京、水戸、いわきの旅行に行きました。
この旅行は、妻がフラダンス教室に行っており、その教室の先生が企画した映画「フラガール」で有名になったステージでフラダンスをやろうというものでした。
女性32名に男2名でした。私はカメラ記録を担当をしました。 同室した男性H氏は私より2歳年上で昭和15年生まれ、長岡市の北の見附市生まれ、青年までいた人でした。奥さんも同じ見附市の生まれ、育ちで、結婚後神戸市、加古川市で暮らしたが、6年前に他界されて、お墓は見附市にあり毎年お墓参りに帰郷しているという。
新潟と聞き私の両親は、母が岡野町、父が板畑で、黒姫山の裾野に私のルーツがあるという自己紹介から始まりました。それから話がとんとんと進み楽しい旅が持てました。新潟県がとりもつ形となりました。
 H氏は、加古川市で一人暮らしをしており、このままでは人生先が見えない。何か自分を変えようと、近くのジムでやっているフラダンス教室でフラダンスを見て、今年の1月から始めたということでした。とても勇気がいることにびっくりしました。
 加古川市に新潟県人会があり、黒姫山のことを楽しく話しをしている人がいるということを聞きました。H氏から県人会に参加を促されています。
H氏にHPURLを伝えてましたのできっと見てくれると思います。
よろしく。

中村 忠雄さん  明石市在住  (2014.3.9受信)

中村さんいつもコメントを頂きありがとうございます。高栁雪まつりのビデオを見てくださって有難うございました。
今年は、全体の記録のために、開会の挨拶から割愛せずにすべてを入れて編集したので三部に分かれすべてご覧いただくには長すぎた感もありますが、ご容赦ください。
フラダンスクラブで旅行をされ、とても楽しい旅行となったとのことよかったですね。見附市生まれの方と意気投合されたご様子、同郷が取り持つ縁の出会い、素晴らしいことと存じます。小生の妻も見附生まれなので見附市はよく知っております。
その方にHP石黒の暮らしをご紹介くださったとの事有難うございました。
編集部も後期高齢者となりましたが、なんとか頑張ってHPの制作に努力してまいりたいと思っております。
なお、こうして、コメントを頂戴することが何よりの励みとなります。これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
(編集会-大橋寿一郎)




大橋寿一郎様、編集委員の皆様へ
 節分、立春が過ぎ梅の花がふっくらと膨らみ始めました。
石黒では「雪まつり」が盛大に挙行されたとのこと、ホームページのスライドで楽し
ませて頂きました。
懐かしい言葉や顔ぶれが随所に映し出されており、現場で一緒に楽しませて頂いた気分です。
 コメントにありましたが、現在は全住民が100人ほどとのこと、開催・維持にあたり
関係者のご苦労は並大抵のことではなかったこととご苦労のほどお察し致します。
 当方(東海地方)でも、少し前には3月下旬の陽気であったのに、ここ数日は今冬
最低気温の上、昨日は数年来の大雪となり交通はじめ日常生活が大いに乱されています。積雪3mの石黒の住民には笑われてしまいそうですが! お陰で久しぶりに、ゆっくりと「石黒のホームページ」のスライドショーを中心に再鑑賞させて頂きまし
た。季節に呼応した近況情報から村人の生活状況、動植物の自然観察、特に、クロマツの種子の回転のしくみ等もあり盛り沢山の上、素晴らしい力作ぞろいで、短期間に更なる充実したホームページが完成していたのに大いに感服させられました。

 また、いつも素晴らしいときめきを頂く編集委員の皆様のご奮闘にも、大いに感謝感
激しています。大橋寿一郎様のとりまとめを始め、編集委員の皆様(田辺請繁、中村
昭雄 中村稔、大橋政栄、大橋洋子様など)のご協力ご活躍の雄姿が随所に伺われます。私と年齢的にも比較的近い方々が多く、自分の励みにもさせて頂いています。今後とも、よろしくお願い致します。

 老夫婦の除雪作業のスライドも観ました。雪国の厳しい冬の生活状況が痛いほど頭の中を駆け巡ります。2月は寒暖の差が激しく、健康上、最も厳しい月と言われているようです。編集委員の皆様、「石黒のホームページ」愛読者の皆様、どうぞ、ご健
康に留意されお励み下さい。

愛知 大橋末治さん (2014.2.16受信)


 大橋末治様
 お便り有難く拝見いたしました。お元気で何よりです。
 今朝、WEV上のニュースを見ましたが関東甲信の降雪は、まさに異常気象と言ってよいほどですね。御地も想わぬ大雪に大変なこととお見舞い申し上げます。
 新潟の方は便りでもお知らせしましたように近年に比べて今のところ少ない積雪で喜んでおります。2週間後には山のマンサクの花がほころび始めるのではないかと思います。
 私も3日前に石黒の畑の小屋の雪下ろしに行ってきましたが、山小屋(横手の屋敷)の積雪計はちょうど2mでした。
 75歳を過ぎたら急に足腰が弱ってきまして、あと何年動植物の写真撮影に山を歩かれるのかと自信を無くしておりましたところ その日(3日前)に、村山の和平様ご夫妻(86歳)と貴殿のご令兄(90歳)がお元気で除雪をされている御様子をに接し力を頂いて来ました。
 何とか、あと10年ほどは皆様に故郷石黒の様子をお知らせしたいものと思っております。
 寒暖の差が大きな頃となりますが何卒、お元気にてお過ごしください。
 お暇を見て、ひとらごと欄に御寄稿をいただければ幸いです。

  編集会 大橋寿一郎




大橋様
 先日は、石黒の昔の暮らしHPにアップしていただきありがとうございました。
たいへん拙い物で恥ずかしい限りですが、「中村家の歴史」「家系図」を添付させていただきます。ご一読いただければ幸いです。
 また、板畑庄屋文書なる古文書がおありのようで興味を感じます。もし、複製等ありましたら、読んでみたいです。
 先日のメールの時、雪がほとんど降らないと書きましたが、昨日未明から本日未明まで雪が降り続き、16年ぶりに積雪31センチを記録しました。鉄道、高速道はほとんどストップし大混乱しております。
 雪深いふるさとの皆様には笑われてしまいそうですが、ほんとに大騒ぎです。
今後ともよろしくお願いいたします。


中村清さん  群馬在住 受信2014.2.9

中村様
 この度は、貴家の家系図及び労作「中村家の歴史」を拝見し、祖先に対する敬愛の気持ちが感じられ感動いたしました。私は、未だ自家の家系に興味を持たない者で、多く学ぶものがあり感謝しております。
 なお、板畑の村庄屋の古文書は未だ実物は見せてもらってはおらず、群馬におられる
中村治平様がお持ちであります。ただ、目録はHPの「石黒の古文書」に掲載されていますのでご覧ください。私も板畑の古文書は実物なり写真なりで解読してみたいと思っておりますがその機会に恵まれません。

そちらも、未曽有の大雪とのこと、31㎝とは柏崎市と同じくらいの積雪ですね。さぞ、皆様
も大変でしたでしょう。
こちらも、今のところ、近年に比べると小雪と言ってよいのでないかと思っております。
では、寒暖の激しい折からご健康に留意されお元気にてお過ごしください。
失礼いたします。
編集会 大橋寿一郎



いつも石黒の情報をありがとうございます。
約一年ぶりにお便りさせていただきます、群馬県在住の中村 清です。
 立春を過ぎたとはいえ寒さはこれからが本番だと思います。最新のスライドショーを拝見し、改めてご苦労が偲ばれます。
こちらは、寒さと、空っ風はありますが、雪はほとんど降りません。
 先祖様の情報は相変わらずあの時のままですが、「安住寺」様に調べていただいた、現時点で最も古いご先祖様(文政6年・1823年亡)をはじめ約15名のご先祖様のお戒名を過去帳に載せることができました。毎朝、毎晩、感謝の気持ちで手を合わせております。
 また、昨年6月には、「中村家の歴史」第一号として、現在解明していること及び曽祖父から父までの人柄等を33ページにわたり編集することができました。本当にありがとうございました。
 今年も3月下旬か4月上旬にお墓詣りと役場の高柳事務所を訪れる予定です。
 大橋様、スタッフの皆様、石黒の昔の暮らしをご覧の皆様のご健康をお祈りいたしております。

中村清さん  群馬在住 受信2014.2.5

お久しぶりです。メールうれしく拝見いたしました。
お元気でご活躍の様子なりよりです。
貴方様におかれましては、御先祖を大切にされていろいろ努力されているご様子に敬を表します。
なお、此の度「中村家の歴史」が完成したとのこと、差支えなければ拝見したいものですが・・・・
当方も、76歳となり細かい仕事が手間取り、もたもたしております。漸く古文書の村文書は何とか読めるようになりつつありますので、板畑庄屋文書(群馬在住)も直に読んでみたいのですが、いまだ実現できずにおります。
HPも後、何年続けられるかわかりませんが、何卒今後もHP石黒の昔の暮らしをご覧いただき感想など聞かせていただきたくお願いいたします。
取り急ぎ、お礼まで。
編集会 大橋寿一郎



初めてメール致します。東京都福生市の大橋勝と申します。
父が石黒出身ということで、HP を拝見させて頂き、家族全員で昔話をしながら楽しみました。
このようなサイトがあったことに驚きましたが、大変感謝致します。

     大橋勝さん  東京在住 受信2014.1.27


大橋様
メールありがとうございました。
HP石黒の昔の暮らしをご覧くださっているとの事うれしく思います。
お父上の出身集落がどこかわかりませんが、今、石黒は極限まで過疎化が進み、深刻な状態です。人口減少は、止めようもありませんが今の耕作地を後5年、10年と維持できることを願っております。
私も76歳になり、ホームページ作りの細かい仕事が手間取るようになりましたが、できるだけ長く皆様に石黒の様子をお知らせしていくつもりです。
どうぞ、これからもご覧いただき感想などお寄せいただければ何よりの励みとなります。
よろしくお願い申し上げます。
取り急ぎお礼まで。
   編集会 大橋寿一郎
※折り返しメールをいただきましたところ、下石黒ご出身の大橋勝春様のご子息でおられました。



雪が降りましたので気温の低い日が続きますが、今のところはドカ雪が降らず有難いですね。

今月の中越農業共済組合の広報誌に、農事組合法人の「石黒を受け継ぐ米づくり」と大橋さんの「しめ縄」作りの紹介が載りましたので、お知らせ(添付)させていただきました。

それでは、失礼いたします。

      市内 中村隆さん 受信2014.1.19


  
 貴重な情報をいただきありがとうございました。昨年のカラムシ街道まつりで高柳中学校の生徒さんに作り方を指導されている様子を拝見しました。
今年の早春には、チエ子さんのお宅を訪ねてのつくり方の概要をビデオ撮影をして来たいと思っております。
 HP石黒の昔の暮らし編集会 大橋寿一郎




明けましておめでとうございます。
穏やかなお正月でありがたいことです。
石黒通信も、お正月らしく暖かなとても素敵な年頭のご挨拶を発信して頂き有難うございました。
それから新潟新聞からの抜粋記事の伊寿さんご夫妻の件は早速ネットでも見させてもらいました。
ハウス栽培も本当に昔の感覚だと考えられない事ですけど、気力ってすごいパワーですねぇ・・・昔~~の雪おろしの苦労を心と体が知っていてずーっと今でも覚えているから出来ることなのかも知れませんね。?
「かぐら○○○」の商品は「じょんのび村」にも陳列されていますので以前同級会に出席した時にお土産に買って来て食べた事がありますので味はわかります。辛いけど味わい深い甘味がとても美味しかったです。
同級会の帰りに伊寿さんが、「これそぅ!酒のつまみにも合うがんどぅ」って言うので、前日の夕食のお膳に出た「どぶろく」が美味しかったのでお土産にどぶろくも買って来たっけ!!
確かにどちらもとても美味しかったです。
昨年は私も何とか一年元気で散歩を続けられました。今年も継続できればと思っている所です。
 皆様、お互いに無理をしないように気を付けながら、健康維持を心掛けて、共に前向きに参りましょう・・・!

  大橋洋子  福島県在住・大野集落出身 2014.1.1受信