モウソウチク
暮らしとの関わり
 石黒には孟宗竹は非常に少ない。多雪が原因であろう。
 現在(2009)では、数十本まとまった竹林は、下石黒、大野、上石黒に4カ所ほどしか確認していない。他には数本見られるところが3ヶ所ある。 
 雪の多い石黒では、それらはいずれも杉林の縁などにあり、杉によって雪害から守られている。また、タケノコが伸びきって枝を広げる前に強くゆすって脆い先の部分を折り落として先を止めて雪害から守る方法も昔から行われている。→上写真
 子どもの頃には学校の校門下の道路沿いのスギ林の縁に上石黒の屋号「いんきょ」の孟宗竹があった。小学生のころに道端近くにタケノコが出て、毎朝通学時に観察したが自分の背丈を数日で超してぐんぐん伸びる成長ぶりに驚いた記憶があ他のる。他の木には先端にしかない成長帯が節々にあることを知らなかった自分には不思議なほどの成長ぶりであった。
 村の古老の話によれば、この上石黒の孟宗竹を分けてもらって移植したという家が多いという。このことから石黒では、それが最も昔からあった孟宗竹林であろう。しかし、現在では数本しか残っていない。
 また、子どもの頃に、生の孟宗竹で竹トンボを作った時ことを忘れない。小刀で削るときの手触りと独特な香りが今も思い出される。孟宗竹の少ない石黒では、竹とんぼの材料である孟宗竹を手に入れるには大変であった。他集落の友達からもらったものを保存しておいて使うこともあったが、乾燥すると堅くなり細工に手間取った。→子どもの遊び
 もちろん、孟宗竹のタケノコも食べたことはなかった。食べたのは、もっぱらネマガリタケのタケノコであった。
 その後、孟宗竹が昭和30年後半のころ数年、ハサづくり材として佐渡産が農協をとおして多く販売され使われたことがあった。

〔写真 上2009.10.31下石黒〔屋号−わかみや〕  右上2008.9.27大野〕


     上石黒屋号「かくえん」脇の孟宗竹

写真 上2009.8.25上石黒

      大野屋号「山下」屋敷跡付近の孟宗竹

写真2011.11.18大野 

        雪害を受ける孟宗竹

写真2007.12.23下石黒  
         雪の少ない所の様子
2014.1128 松波


解 説
イネ科
 中国江南地方から沖縄、鹿児島を経て導入され現在では日本各地に見られる。
 は、長く横をはう地下茎から直立して円筒形で中空で肉厚で直径20p、高さは12mにも達する。
 枝葉を多くつける。表面は滑らかで芽の頃には短く細い毛に覆われている。色は緑色または黄緑色、枝が毎年枝分かれしながら先へ伸びる。
 木での年輪の代わりにこの節数を数えるとその竹の年齢を判定できる。年を経ると枝分かれ数が多くなり、葉が増えた結果、稈の頭が下がる。
 葉は長さ4〜8cm、幅1pほどで、竹の大きさの割には小さい。裏面基部にはわずかに毛がある。春に黄葉して新しい葉に入れ替わる。
 花は数十年に一度といわれ、60〜120年にわたり諸説がある。
 たけのこは食用となり材は器具用。
 名前の由来は、冬に母親のためにたけのこを掘り採ったという孝行な子どもの名前「孟宗」にちなんで名付けられたもの。

※中国の二十四孝の一人で三国時代の呉の人。親孝行の徳に優れ寒中に母の求めるタケノコを採ってきて、供したという説話の人物

(※竹は草や木とあらゆる点で大き く違うので、厳密には木でも草でもなく竹であると言いたいところ。)



      タケノコ 1

写真2009.5.29大野

     タケノコ 2
写真2009.6.10大野

     成長した竹-1

写真2010.8.30大野
    成長した竹-2
写真2009.10.11畔屋