スギ
暮らしとの関わり
 昔から、杉は最も利用価値ある木として全国的に植林が行われてきた。石黒でも豪雪地帯にもかかわらず、30年で柱材となると言われ、どこの家でも杉を植えた。杉の実生があると大切に育てて移植した。〔実生→右写真〕
 事実、筆者の子どもの頃は杉の大木を4、5本売れば一年間の生活費となった時代であった。
 しかし、多雪地の石黒では杉の木を育てるには、十数年間木起こし作業が必要であり、育成には想像を超える手間暇がかかった。斜面のスギはすべて根本が曲がり、これを「根曲がりスギ」と呼ぶ。 また、平地でも雪のため幹が湾曲してしまうものも少なくなかった。〔下・右写真〕
 また、昔から石黒に自生していた杉の中には「カブツスギ−株杉」あるいは「クマスギ」と呼ばれてきた樹種ががあった。この木は伐採しても同じ株の木が生長し続け、成長は遅いが雪害には強いといわれた。〔下写真参照〕
 1950年代から石黒でも、森林組合がブナなどの広葉樹林を切り払い大規模なスギの植林を進めてきた。筆者が子どもの頃に比べると現在ではスギ林は何倍にも増えている。〔下写真〕
 今でも忘れられないのは、中学生の時(1952)に刈羽村出身の教師に「石黒の山は雑木ばかりだ」と言われたことが、何か嘲弄されたような気がしていつまでも記憶に残った。
 後年、刈羽村から西山町の山を10年ほど歩いてみて杉林の多いことに驚くと共に幼苗が雪の害をほとんど受けずにすくすく育つ様子を観察して納得するものがあった。
 実に少雪地の育林と多雪地でのそれとでは比較にならないほどの労力の差がある。
 石黒のような豪雪地の植林がいかに手がかかるものかは、中学生の頃から木起こしを手伝わされその後、受け継いで数年にわたって作業を続けてきた筆者にはよく分かる。
 1950年代はロープ1本で腕力頼みで引き起こした。その後、二連滑車が普及して少しは楽になりその後は「木起こし機」と呼ぶ手動のウィンチのような道具が普及して楽になったが、反面、強力で一気に引き起こすため木にはダメージを与えることもあったものであろう。
 ところが、筆者の経験では、これほどの労力と多くの縄を使って毎年、木起こしをして育てた木も十数年たった頃に雪のため総倒れ状態に曲がったり折れたりすることが多く、結局一人前に成長するのは数えるほどしかないというのが実情であった。
 (※ しかし、今日森林組合が植林した杉は、立派に成長している姿を見ると、さすがと思うと同時に、そのポイントとなるものは適度な間伐であるように思われる。筆者の経験では、手間暇をかけているだけに間伐適期にまで育った木を切ることは忍びがたいものがある。その結果、間伐ができず採光条件も悪く、将棋倒状の雪害を発生させてしまった苦い経験がある。)
 現在では外材中心の需要で原木の値段が暴落している。また、人によって杉花粉による被害があり嫌われものとなっている。しかし、全国的に多く植林されて伐採適期を迎えた自国の木を活用する時代の到来も近いと想われる。
 また、昔は、スギの葉が冬の燃料、とくに焚きつけとして利用された。スギの落ち葉は油分を多く含むため、それだけて薪に火が移った。杉林の少ない石黒では、スギの落ち葉を拾うには林の持ち主に断ってから拾うことが常識であった。
 当時は、枝も燃料としたが、はねる〔節の堅い部分の空気が熱せられて破裂し燃えがらを飛ばす〕ので、囲炉裏で燃やす時には注意を要した。〔囲炉裏の傍で冬季を過ごすネコの毛が焦げ痕だらけになるほどであった〕
 それから、木登りの大好きな子どもも杉の木ばかりは敬遠したものだった。杉の皮から出るヤニ〔写真右下〕が衣服に付くと洗濯をしてもなかなか取れなかったからだ。しかし、終戦前後の物資のない時代にはこのヤニをガムの代わりに噛んだこともあった。
 用材としては、主なる建築材であるが、桶や樽材としても使われた。風呂桶などは赤味の心材を使うと長持ちするといわれまた。丸太のままでは電柱として使われたり間伐材はハサ竿や冬囲い材などに使われた。
 その他、割れの良い木であることから、柾目の部分を屋根葺きのコバ材に使った。また皮は腐敗しにくいので筆者の子どもの頃は鶏小屋の屋根材などに使われていた。ちなみに葉は線香の材となるそうだが、蚊取り線香など普及しなかった昔は杉の青葉をいぶして蚊やブトを追い払った記憶がある。
 今年(2012)も、杉花粉症のシーズンになったが、先刻、畔屋地内で採取してきて顕微鏡写真を撮った。左下の拡大写真をみると表面には凹みがあり、その中に花粉症の原因となる小さな突起があることが分かった。(右写真)
 食欲不振解消のため今朝(2015.9.23)明け方、国道8号線の歩道を3kmほど歩いた。家を出た時は東の空が白みかけた頃であった。途中、大型のトラックが通り過ぎた後に懐かしい故郷を連想するような香りがした。振り返って見るとスギの大木を満載したトラックであった。まさに、スギは子どもの頃から慣れ親しんだ樹木と言ってよい。
資料→杉の子起し

(上写真2005.7.4寄合〔スギは門出地内〕 右上下2005.7.13下石黒)


     石黒に多い根元の曲がったスギ

撮影日2009.4.30上石黒

          花粉散布期(右の木)

写真2013.4.4北条

          黒姫山の杉植林

撮影日2005.12.2板畑

            中後地内の植林

撮影日2005.7.11中後

     株杉〔クマスギ〕−いずれも石黒での俗称

撮影日2011.6.25 上石黒

   白味を帯びた辺材と赤味を帯びた心材
撮影2012.4.3平井

     百年以上の年輪を刻んだ杉の大木

 写真 2021.10.19 田塚
解 説
スギ科
 本州・四国・九州に栽培されまた自生する。北限は青森県津軽地方。日本特産の常緑針葉高木
 幹は直立して高さ50m、直径2mに達する。雌雄同株
 花期は3〜4月。雄花は長さ6〜9o、直径3o。米粒大で枝先に多数つきよく目立つ
(上写真)。秋冬には黄緑色をしているが春には黄褐色になり、鱗片葉の間が開き花粉を放散する。雌花は先が尖った緑色の鱗片に覆われ球形をしており(下写真、雄花のついた枝より少し上の枝先につく。雄花とは異なり数が少ない。受粉期を迎えると覆っていた鱗片が開き、その基部の珠孔が開いて受粉滴を分泌し花粉を受け入れて受精する。受精すると鱗片が閉じて緑色の幼球果となる(下写真)球果はビー玉ほどの大きさで秋に褐色に成熟し、種子を散布した後も長い間枝についている。
 材は用途に富むため盛んに植林された。
 変わった利用では杉材の樽に酒を貯蔵する。また、三輪明神の伝承にちなみ今でも酒屋では杉玉を作り軒につり下げる風習がある。〔下写真〕
 寿命も長く2000〜4000年に達するものもあると推定されている。
 名前の由来は幹が直立していること直(すき)木の意味からという。




        スギの幹

撮影日2005.7.16上石黒
     巨木の樹皮
撮影日2015.1.26北条

撮影日2015.2.22軽井川

      スギの実生

    撮影日2008.9.30大野

        雄花

   スギの球果(幼球果)

   撮影2005.10.27居谷地内

   花粉の凹の中の突起物


撮影2012.4.1採取地 畔屋

雪のためにS字型に曲がった杉

写真2005.7.8上石黒

        杉のヤニ

写真2009.10.1下石黒

   50年後も残る切り株

撮影日2011.10.17下石黒

       雪害-1
写真2005.5.8上石黒

      雪害-2
写真2012.4.8鵜川地内

    酒屋の玄関の杉玉

撮影日2012.3.1 岡野町石塚酒造