シソ(野菜)
暮らしとのかかわり
 昭和の中頃までは、シソはどこの家でもセンゼ(屋敷続きの畑)の端に数本育てていた。
 それは、葉を梅漬けのときに色付けに使うためであった。石黒では、梅漬けの梅の果実は買い求めなければならなかったので貴重品であったが、シソは、種子が落下し発芽した実生を育てればよかった。そんなわけで当時石黒で作られた梅漬けはシソの葉は多めに入ったものであったと思われる。
 太平洋戦争時には、食糧倹約のため子どもの弁当のオカズには梅干し一つ弁当の真ん中にいれただけの「日の丸弁当」が推奨されたが、梅干しが貴重品であった石黒では子どもの弁当のおかずは大抵が味噌漬けであった。御飯も代用食が奨励されていたので「白地に赤く日の丸染めてああ美しや・・・」の文部省唱歌 「日の丸の旗」のように「白地」というわけにはいかず芋や豆の混ざった茶色がかった御飯であった。
 また、梅漬けには御飯の腐敗を防ぐ効能があるとされ、夏季の弁当や御櫃の御飯の中に梅漬けのシソの葉入れた。
 その他、シソの果実は木綿の袋に入れて味噌漬けにする家が多かった。また、サンショウやキクの葉同様、天ぷらに揚げても香りがあり美味しかったことを憶えている。


写真 2007.10.1 寄合




解 説
シソ科
一年草。縄文時代には中国から伝わったとされる。栽培は奈良時代の頃からで、古名を「イヌエ」(犬荏) といった。(荏胡麻)に似ているが異なるものとの意味であろう。「犬」と呼ばれたことから荏に比べると価値の低いものであったと思われる。荏は昔は年貢の対象となった作物(「」の解説参照)であったことからその訳が分かる。
 茎は四角で直立して高さは50〜70pほどになる。
 葉は対生し長い柄があり広卵形で先は尖り縁には鋭い鋸歯がある。葉の色は紫色で芳香がある。
 花期は6〜7月で薄紫色の花を密に付けた総状花序をだす。花は唇形花で花の下には小型の苞葉がある。花の上唇は3裂し下唇は2裂する。雄しべ4本の内2本は長い。
 4個の分果は球形で永続性のガクの底にある。
 昔から葉を梅漬けに使われたため多くの家で栽培された。