駄賃とり 田辺雄司 私たちが小さい頃〔昭和の始め〕は、商店の荷物や米俵などを背に担いで運んだり牛馬を使って運んだりしている姿をよく見かけたものでした。 人が背に担いで運ぶときには、背中が痛くならないようにドンボミノを着て、杖をもって歩き途中で一休みするときには荷物の下につっかい棒のようにその杖を入れて支えて道の真ん中でも休んでいました。一休みの時には腰からズンギリを取り出してキセルタバコをうまそうに吸っていました。
夏は牛を使った駄賃とりをよく見かけました。毎日朝にでかけ夕方に帰るのでした。牛は足が遅いから時間がかかるので、自分の弁当と牛の餌を荷物にとくくりつけておき昼飯を食べるときには牛の荷物を下ろして牛にもゆっくりとさせ、持ってきた籾や豆粕を煮たものを食べさせるのでした。そのあとは自由にしてやり生えている草を食べさせていました。牛の荷物を下ろすときには片方をおろすと鞍がバランスを崩してしまうので持っていた杖で一方の荷物を支えて置いておろしました。 また、学校へ行く途中で足の太いいかにも力のありそうな馬が米俵を2俵つけて晩秋のころに白い鼻息を吐きながら泥道をガポッガポッと歩いているのによく出会ったものでした。米俵を運ぶときにはよほどでないと途中で荷物を下ろして休むということはしなかったということです。〔供出米であったため俵が汚れることを防ぐため〕 牛馬で駄賃とりをしている人は、晩方家につくと、手足はもちろん体全体をブラシでこすったり手足は水で洗ったりしてから馬屋に入れるのだと話していました。 人の背に担ぐ駄賃とりは、夏はともかく冬は大変でした。頭より高く積み重ねた荷物を担いでカンジキを履いて、「てっこう棒」と呼ぶ桐の長い杖の先に雪にもぐらないための藁のタワシ状ものを取り付けたものを持っていました。重い荷物を背負っているのですから余り厚着はしない。モモヒキに袷のようなものを着て、腰にはズンギリ、頭には手拭いでネジリハチマキをして膝から下はスゲやヌイゴであんだハバキをはいてスッペとかオソカケという出で立ちでした。 正月が近づくとどこの家でも品物を買うので2、3人の駄賃とりに出会ったものでした。よく、祖父が私たちに「野郎ども、駄賃とりが来たらお茶を飲んで行けと言えや」と言っていたので、駄賃とりに出会うと「じいちゃんがお茶を飲んで行けって」というと喜んで雪だなの下に荷を下ろしました。そしてスッペを脱ごうとすると祖父が「そのまんま、ふんごんでいいがの」というと駄賃とりは「わりぃのう」と言いながら膝をついて這うようにして来て囲炉裏の中にスッペのまま足を入れました。ヤマノノコを背中にかけて、うまそうにお茶を飲み漬け物をボリボリ食べていろいろな話をした後で「早く行かねぇと暗くなるすけ」といって、また這って土間までいき礼を何度も言ってから、カンジキを履き、背負いハシゴに手を通して「どっこいしょ」と立ち上がり、また「ごっつぉになったったけのう」と何度も礼を言って帰るのでした。 |