御申渡し 写し     用語の手引
   
 













文化8

申渡

博奕

〇諸勝負→
博奕、賽・花札等


領主


地頭


小前

等閑





















   



   文化八 未

   御申渡し写し

          石黒村
   六月       庄屋控え



     申渡し
博奕 諸々の諸勝負は前々より禁制度々
厳重に仰せ出でこれあり追って取り締まり方申し触れ置き
候儀の處兎角心得違いの者これあり哉と相聞こえ甚だ
不心得なる事に候 右は兼ねて廻り役筋より見廻りの上支配
領主地頭へも通達及ばず直領踏み込み召し捕り候都の儀は
小前迄も残らず相弁え有り候筈の儀然り候處前段
の通り不束の成り行きは其の小前は申すに及ばず村役人共
等閑に心得候故と相聞こえ候 畢竟村役人は其の
   














畢竟

〇政→「決」ではないか→
幕府政策の意味であろう


役義 

〇風俗・仕癖→
習慣・習わし

重立

風儀

顕然

取沙汰

右体

往古





















 村方へ取り締まり向き心付け一統政決相届き候様村方
精勤いたし候を役儀第一と相心得申すべき儀
且つ亦小前末々のものは庄屋を始め役義
相勤め候もの又は身元相応なるものの風
俗仕癖を見習い候事故重立候ものに心懸け
は一々小前の手本にも相成り其の身の
慎み宜しからず候得ぱ自ずから一村の風儀も悪しく押し
移り候はば顕然の事にて村々の内何によらず
如何の取沙汰など受けの

勤め向き相立たず筋にて候当支配の儀はいまだ
間もなき事に候□共□前より仰せ出の御仕
置きは同様の儀にて右一体身分の軽き重き
拘わらず銘々往古より相続いたし来たり
候をその身の心得違いにより一時に御仕
置きを蒙り持ち伝え候田畑家業などにも□
達(?)候様相成り候は自然貧とは申すべからず皆我
   



































憚る

愚昧

〇熟し致す→
熟すが正しいとすると成長するの意味か。

就中

〇御趣意


止宿







 
身より仕り成し候貧にこれ有り縦令(たとえ)愚昧の
小前たりとも道理を憚って深く申し□
被免或いは方便を□□□申し諭し
候はば如何様にも熟し致すべくすべて身分
治まり者朝夕の慎みて候条猶一統実
意を□□起き嗜に申すべく就中重立候もの
は御趣意の程厚く相心得末々迄を

励ませ互いに外より洩りを請けず心がけ肝
要に候且つ又何方にても通り懸かりの旅
人など風儀悪しきは勿論出所知れず
ものはみだりに止宿など致させまじく自然
無宿または渡商人体のもの入り込み宜しからず
儀在り早々申し勧め申し威しなどいた
し候はば□□□ものは欺かれ候儀も□
   
































陣屋


元村


遊興



























 これあり候間これ等の儀も先年より□
仰せ出だされこれ有る處中にてゆるがせに致し宿
など致し候ものもこれ有る哉と相聞こえ以って
の外に候間以後は別して厳しく申し合わせ
右体のもの村内へ立ち入らせざる様
致すべくその外諸事の余事に候
とて何に寄らず遊興がましき儀あるいは□
□なく人寄せ夜更かしなど致し

候儀これ無き様致すべく候陣屋元村方
を始め手近の村々仕習わしの處
は遠郡へも□候儀左候へば善悪
共に銘(銘々?)の居村隣村ばかりの儀にこれ無く一体へ
懸かり候事に付きそれほどまで差し含み別して相慎み
精勤致すべく此の度の儀は是までも
厳しく申渡し候上の儀に付き一途に厳
   




































理合



〇御制度


風説


不時


止事を得ず


 重の取り締まり申し渡(書き間違いか)渡し候て□にこれ無く村役人へ始め小前までも後日急度(?)なく衰微
根を絶ちて永続の基を立て候様にと
遂げ理合厚く申し含み候儀候間兼て
仰せ出され候御趣意の重き處猶相考え
有り難く会得いたし御制度行き届き候
様取り計らい申すべく候この上猶又如何風説相聞こえ
早々寄りその筋□より手入れなどこれ無き様にては

当御役に対し捨て置き儀に候間役所
よりも不時に見廻り差出見当たり聞き
当たりそろう節は止事(やんごと)を得ず軽重の差別
なく厳重取計らいに及び申すべく間小前
末々のものまで洩れ落ちなく
□申し諭し相慎ませ村役人共は申し合
時々村内夜廻りなどいたし五人組合
   


























吟味

庄屋処(所)

巨細

奥書

〇七月晦日→
7月31日


廻状


順達



脇野町



 
限りにも相互詮索を遂げ不束の
ものなど達しあらば早速申し出候
様致すべく候若しこの上等閑に相心得候様も
相聞こゆるに於いては吟味の上急度
申し付く儀これ有るべく候
右申し請けの儀その意を得村々に於いて小前残らず庄屋
処へ呼び寄せ巨細に申し聞かせ申渡し書面に相認め
奥書受け印取り揃え来る七月晦日迄に

差出候様致すべくこの廻状村下に受け印
致し早々順達留より追って相返すべく候
 脇野町              以上
 未五月二十六日 御役所 刈羽郡
   西室西渕新田


成沢村


広田村


善根村


石曽根村


門出村


石黒村


市野新田
 
      西室西淵新田
      成沢村
      広田村
      善根村
      石曽根村
      門出村
      石黒村
      市野新田


 御割り付け和紙入用
明和元年甲より
同五子迄    五ケ年分
安永元辰より
同五甲迄    五ケ年分
寛政二戌より
文化五辰迄   十九年分
   
 
 
   
 
 
 外前々の高免の分
 但し 享保以来の分
 
                  備  考
 本書のような文書は、近世においては、幕府や藩主から農民に対して度々出された。特に年貢を課せられた農民は、とくに厳しい統制を受けたことは当然のことであった。
 本申渡は脇野町代官所から発せられたものである。本HPの近世の年表によれば、本書と同年の文化8年に
「甘藷を作るように苗及び芋の斡旋について脇野町役所より触を出す」とある。
 本書では、文頭に博奕を挙げその取り締まりの不徹底を指摘して、村役人に反省を促している。その他、不審者の村への侵入への警戒を怠らないこと、また、遊興的な集まりの禁止、更には居村にこだわらず広い視野のもとに精進して村の永続を図ることを勧めている。後文では五人組の機能を生かすことを促し、庄屋に本申渡しの内容の徹底を命じている。

 なお、本文書は急ぎ写されたためか難読の文字が多い。(筆者の読解力不足もあるが)本文にもある通り、当文書を受け取った庄屋は村人を「庄屋へ呼び集め巨細に申し聞かせ」るのであるから、自分が読み取れればよいという意識もあったものと思われる。
 それにしても、門出村から釜坂峠を越えて石黒まで、石黒村から小岩峠(あるいは地蔵峠)を越えて市野新田まで、更に留村(最終の村)の市野新田は脇野町代官所までの回送はさぞかし大変であったと想われる。夏場はともかく、降雪の冬期などは石黒村からの峠越えは命がけであったに違いない。
 
 
読み下し・言葉の手引文責 大橋寿一郎