行  商
                        田辺雄司
 「ここんしょ、いたかえ」とトマグチ〔土間口〕から、雪がとけ始める3月のころに松代の金物売りがやってきたものでした。毎年来る人は決まっていて、顔なじみになっていました。商品を広げて、この鎌は切れるとか、この鍬は使いやすいとか、口上手なものでした。
 農家では鎌や木型に金属の歯をはめたヘッタグワ〔平鍬〕、台所用品の包丁などを買うのでした。
 また、反物売りとか古着屋などが入れ替わり来るのでしたが、よほどでないと反物などは買うことはありませんでした。そのかわり、古着などを安く買うのでした。また、時々、ザルカゴドオシなどの竹製品を背負った商人も時々やってきました。ミなどを買うと小さな柄杓をサービスにくれたりしたものです。
 当時〔昭和のはじめ〕は、食べ物の商人はほとんど来ませんでした。食べ物はすべて自給自足と言ってよかったと思います。ただ、時々、朝鮮の人たちがポンポコポンポコと小さな太鼓を叩きながら白くて伸びるアメを売りにくるくらいのものでした。
 しかし、ゴゼ、ホウ〔虚無僧〕、乞食などは良くやってきました。ホウは深編み笠をかぶって来るので子どもの頃は怖くて隠れたものでした。
 行商人は泊まる宿が決まっていて来ると一晩泊まって商売をして行きました。それらの行商の人達もその後、松代町などで立派な店舗を構えた人が多くいます。しかし、その後、過疎となり店にやってくるお客は年々すくなくなり、現在では午後からはシャッターを下ろして再び車で行商に出かける人もあるとのことです。