民具補説
              ツバガマ
 私が小学生の頃(1940)までは囲炉裏で鍋(なべ)を使って御飯を炊いていました。いわゆる「鍋飯-なべめし」です。
 当時は、煮炊きのすべてを囲炉裏に頼ったので薪もたくさん必要でした。マキや芝木の外に刈干し草や藁なども燃料としましたので、刈草や藁を燃やすと火の粉となって舞い上がった燃え殻が鍋の蓋のうえに落ちてきて、御飯の中に混じることもありました。
 そのころから何年か後のことですが、ツバガマを隣村の金物屋が、汗を掻きながらヌカガマとともに背負って来た日のことをよく憶えています。金物屋は早速、ミンジョ(台所)にブリキ板を敷き、その上にヌカガマを組み立てて据え付けました。
 そして、ヌカガマの両方の投入口からヌカを入れて火をつけて、ツバガマを載せて御飯を炊くのでした。ツバガマにはケヤキ製の厚くて重い蓋をしました。 
 やがて、御飯が煮立つとツバガマと蓋の隙間から米の汁が噴き出してやがてカマの外側に薄い紙状になって貼り着くのでした。それを取って口に含むと自然と溶けるので子どものころは、面白いものだなあと感じたことを憶えています。
 それから、ツバガマという名前について祖父に聞いてみたところ、学生帽や兵隊さんの帽子に手でもつ部分を「つば」ということから、ツバガマにもそれに似た部分が周りについているのでそう呼ぶのだと教えてくれました。
 また、終戦後に行商の人がジュラルミン製の軽くて白銀色のツバガマを持ってきて売っていきました。しかし、炊きあがった御飯の味は鉄製の今までのツバガマが美味しいとのことでした。
 ヌカガマが使われるようになるとそれまで家の近くの斜面に捨てて火をつけて燃していたヌカが俄然、貴重な燃料と変わりました。
 私の家では、ミンジョ(台所)の二階にムシロや板を張り付け囲ってそこにモミガラを保存しておいて数日分を箱に入れてヌカガマの近くに置くのでした。
 当時、ヌカガマは本当に便利で農家にとっては大変に便利な炊事用具であったと思います。
 現在は、ヌカは捨てられてしまうことが多いようですが、もったない事と思います。

       文・図  田辺雄司 (居谷在住)