精米用箱

 昔は1年中の飯米を秋のうちに白米にしてサシダワラ(〜昭和20年(1945)代)や米タンクの中に入れて保存しておいた。
 そのため、秋に家族の多い家では30俵近い米を精米しなければならなかった。
 大正時代には、まだセンヅキと呼ぶ、臼の中に玄米を入れ、横杵縦杵を使って精米したが昭和のころには発動機の動力による精米機で精米するようになった。
 その後、昭和30年代になると各家に動力モータが取り付けられるようになり動力精米機が各家庭に普及した。
 当時の精米機は数回にわたって繰り返し機械を通す仕組みであったので2個の箱を精米機の米の出口の下に置いて適当な量がたまったところで担ぎあげるようにして上の投入口に入れた。