民具補説 茅葺き職人と道具 昔から「あまり金のかからない道具を使って日当の良い仕事ができるのは屋根屋職人だ」と言われたものです。 昭和40年代初めまでは屋根にトタンをかぶせる家もなく、ほとんどの家が茅葺きでしたから屋根普請が多く、近隣の村の職人だけでは足りず、遠く大島地区からも職人がやってきて泊まりがけで仕事をしたものでした。 茅葺き屋は長い年月にわたって囲炉裏で火を燃してきたため古いカヤを抜き取りますと黒いススが煙のようにもうもうと立ち上るのでした。職人は顔までススで真っ黒、もちろん手も真っ黒でしたが、休憩の時に手も洗うこともなくそのままの手でお茶を飲んだりタクアンなどの漬け物も口にいれました。職人達は「なあに、ススは毒じゃあない、薬だ」などと真っ黒な顔に白い歯を見せて笑っていたものでした。 屋根普請となると春、雪の降るのが止まったころの晴天の日に村中の家から1人ずつ出てもらい、カヤ場から前年の11月初めに刈り取りカヤマルにして置いたものをくずして屋根普請の家まで午前中かけて運ぶのでした。 また、普請には職人の手伝いとして「ハタ働」と呼んでいましたが毎日交代でこれも村中で手伝いに行くのでした。手伝いの中で仕事に慣れた人は屋根裏の暗いところに上がり「針受け」と呼ぶ役をしました。「針受け」とは、カヤが抜けないように固定するためのナリ(ボイほどの長さの粘りのある低木)にかけた縄を針の先に縄をつけて屋根裏まで通したものを屋根裏の竿にかけて再び針の先にかけて戻すのでした。こうしてナリを固定するとともに足場もこの方法で取り付けて上に進んでいくのでした。 懐中電灯などなかった昔は六角提灯や弓張り提灯などを照明に使って作業をしたものでした。 こうして上まで全部ふき終わると今度は上から順次に屋刈りと言って長い柄のついたハサミでカヤをそろえて刈り仕上げるのでした。 屋根屋職人は長年で身につけたカンで、何シメのカヤででどのくらいの面積の屋根が葺き替えできるのかなど即座に判断出来るのでした。 屋根屋道具とその役割
文・図 田辺雄司(居谷) |