差し上げ奉り御請書の事   北条村文書  用語の手引き
  宗門改


檀家


切支丹


邪宗門


高尾村


広済寺


西ノ入村(石曽根村の内)


禅宗


安住寺


北条村


浄土真宗


西方寺


菱田村


円重寺


柏崎県
 
   差し上げ奉り御請書の事
 今般宗門御改めに付き拙寺共檀家の内切支丹
 類宗門の者一人も御座なく候 万一脇より如何の風
 聞など申し立て候共□廊拙僧共罷り出で屹度申し披き仕るべく候
 後日のため宗旨御請書差し上げ奉り候處よってくだんのごとし
   明治四年
    辛未 三月
                刈羽郡高尾村
                     禅宗 廣済寺
                同郡西ノ入村
                     禅宗 安住寺
                同郡北条村
                     浄土真宗 西方寺
                頚城郡菱田村
                     浄土真宗 円重寺
   柏崎県
    御役所
 
  

 備 考
 上の文書から明治4年には、未だ切支丹禁制であったことが分かる。(慶応4年-太政官の五榜の掲示) 
 ところが、翌々年(6年)に、明治政府は切支丹禁制の高札を撤去した。これで真に信仰の自由が実現したかというとそうではなかった。政府が高札を撤去したのは、とくにキリスト教禁令に対する諸外国の反発によるものであった。先進国としての認められるためには信仰の自由が必要条件であったのだ。

 そのため、布教活動などに厳しい制限が加えられた
 
が、まがりなりにも、信仰の自由が認められた。
 その後、明治22年に施行された大日本帝国憲法でも「
安寧秩序を妨げず、臣民としての義務に背かない限りにおいて」の条件付きで信仰の自由を認めている。
 しかし、国家としては、神道を保護して3度の戦争の遂行のために宗教を利用した。
 そして、太平洋戦争敗戦後の昭和21年に制定された日本国憲法で、漸く信仰の自由が実現したことは周知の事である。
 
         
  読み下し・用語の手引き・備考文責 大橋寿一郎