取り替わせ申し一札の事 (田辺重順家文書) 
  瀬地替え

自普請

川敷

宮田

百束刈

一統

故障 ケ間敷

埒明け

総連印


40間→1間は約180㎝。 
    取り替わせ申す一札の事
    寄合村高辻の内
    字名下の坂と申す所
    瀬地替え場所操穴およそ四十間掘り置き
 右は私共通要の道として持(※自)普請に
 仕り候得共未熟の私共故普請い
 たしかね候につき、右川瀬敷操穴共無代金に
 いたし尤も外に畑これ在り候處は少々の御手
 当て下され置き候様、御願い候ところ、早速御聞済まし
 下され置き候段、普請出来に相成候節は
 川敷にて宮田となし反別百束刈、私共へ
 下し置かれ候様、一統有難き仕合せに存じ奉り候
 相定め申し候上は毛頭故障がましき者
 御座無く候、もし何かと妨げ申す者御座候はば
 きっと埒明け御貴殿様へ御損耗相
 かけ申す間敷、念のため総連印仕り候ところ
 よってくだんの如し。
  慶応二丙年
  寅十一月
              刈羽郡
                寄合村 
                 林右衛門
                 長助  
                 久兵衛
             
         
     
   〇山田甚次郎
      (長助→前頁)
     (久兵衛→前頁)
     佐次右衛門
     清次郎
     半右衛門
     次郎兵衛
     市郎左衛門
     政右衛門
     次郎左衛門
     八右衛門
     儀兵衛
     九兵衛
     六蔵
     与衛門
     長左衛門
     平左衛門
     庄五郎
     平作
     源次右衛門
     八右衛門
     猶右衛門
     伊之助
     五郎左衛門
     重左衛門
     友右衛門
     市兵衛

 柏崎町
  山田甚四郎様
 現在の様子
釜坂峠から操穴を望む、先方の下寄合集落が見られる 撮影2005.5.13                       近くから見た操穴の様子  撮影2010.6.16
  この瀬地替えにより、現在の屋号福蔵の下流側にかなりの広さの新田が開発された。渓谷沿いの田であり日当たりはともかく、用水には不足はない地形であった。この田は昭和の中期まで作られたがその後荒田となり現在は原野となっている。  思うに、この瀬地替えにより新田開発の外に共同墓地の東奥に広がる作場に行くための橋が不用となるというメリットがあった。当時は洪水による橋の流失が度々発生して村人を悩ませていたのであった。
※日常の暮らし-その他 道路災害
 
 
 読み下し文 責大橋寿一郎