取り替わせ申し一札の事
(田辺重順家文書)
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瀬地替え
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自普請
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川敷
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宮田
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百束刈
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一統
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故障
ケ間敷
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埒明け
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総連印
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40間→1間は約180㎝。
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山田甚次郎
現在の様子
釜坂峠から操穴を望む、先方の下寄合集落が見られる 撮影2005.5.13
近くから見た操穴の様子 撮影2010.6.16
この瀬地替えにより、現在の屋号福蔵の下流側にかなりの広さの新田が開発された。渓谷沿いの田であり日当たりはともかく、用水には不足はない地形であった。この田は昭和の中期まで作られたがその後荒田となり現在は原野となっている。
思うに、この瀬地替えにより新田開発の外に共同墓地の東奥に広がる作場に行くための橋が不用となるというメリットがあった。当時は洪水による橋の流失が度々発生して村人を悩ませていたのであった。
※日常の暮らし-その他 道路災害
読み下し文 責大橋寿一郎