庭訓往来  大橋一成家文書  用語の手引き
  庭訓往来



庭訓





 


貴方



庭訓往来




庭訓往来
春の始めの御喜び、貴方(きほう)に向かい
先ず祝い申し候畢(おわんぬ)、富貴万
福、猶(なお)もって幸甚々々、そもそも歳

 
 
朝拝→古代、元日に天皇が大極殿(だいごくでん)で群臣の祝賀を受けた大礼。朝拝。みかどおがみ

朔日元三→朔日の意味、元三は年・月・日の元の初めの意味 



子の日の遊び→平安時代,正月初めの子の日 に貴族たちが楽しんだ野遊び。松の幼苗を根をつけたたまま取ってきて玄関に飾り長寿を願う)や若菜摘みなどが行われたが, これらは年頭にあたって,松の寿を身につけたり,若菜の羮(あつもの)を食して邪気を 払う行事。



延引き→先に延ばすこと→つい、疎かにすること。


楊弓→遊び用に作られた遊び用の小形の弓


雀小弓→五型の弓(楊弓の一種)
 
の初めの朝拝は、朔日元
三(がんさん)の次をもって急ぎ申す処
人々子の日の遊びに駆け模様さるる間
思い乍ら延引す、谷鶯(うぐいす)


檐(担-のき)の花を忘れ、苑(その)胡蝶日陰に遊ぶに似たり
頗る(すこぶる)本意に背き候畢、将又(はたまた)柳
弓雀の小弓の勝敗をもって笠
懸け小串の会、草鹿
   円物(まるもの)→円形の的



三々九の手手狭小笠原流弓術披露の記述に 三三九手挟式という言葉が見られる。




腐毫→自分の手紙を謙遜した呼ぶ語




曲節→旋律

経営→ここでは、世話や準備をすることであろう
 
円物、三々九手狭、八的
など曲節近日打ち続き、これを
経営す、尋常の射手、馳け
挽(引き)の達者、少々、御

誘引有りて、思し召し立ち給わば本
望なり、心事多しといえども
参会の次を期(き)せんがために委(く)わしく
腐毫(ふごう)に能わず
恐々謹言、正月五日
   吉慶
 
 左衛門尉 藤原知貞
謹上 石見(いわみ)守殿
廻年の吉慶、御意に
任せられ候の條、先ずもって目出度く覚え

候、自他の嘉幸千万々
々、御芳札披見の処、青
陽の遊宴、殊に珍重に候
堅凍早く脱け薄霞忽ち
        (以下略)
   
 
                 庭訓往来について
庭訓往来(ていきんおうらい)は、南北朝時代末期から室町時代前期に書きあらわされたものとされる。著者は南北朝時代の僧玄恵との説が有力であるが確証はない。内容から中層武家の著と推測される。
 衣食住、職業、建築、司法、仏教、武具、療養など、多岐にわたる一般常識につい書かれている。記述は、1年12ヶ月の往信返信各12通と8月13日の1通を加えた25通の構成で、多くの単語と文例が学べるよう工夫されている。
 写本や注釈本、絵入り本など多く存在する。時代を超えて普遍的な社会常識を多く扱ったために江戸時代から明治初年にかけて寺子屋や庶民の家庭教育教科書として盛んに用いられた。古写本で30種、板本では実に200種に達するといわれる。
 ちなみに、庭訓とは、『論語』季子篇の中にある孔子が庭を走る息子を呼び止め詩や礼を学ぶよう諭したという故事に因み、父から子への教訓や家庭教育を意味するとのこと。
(参考文献-国史大辞典・Wikipedia)
 
 
手引き・読み下し文責 大橋寿一郎