意 訳
諸藩の村々の百姓においては、年貢並びに緒掛り物また、村入用などに至るまで細かく帳面に記載し百姓(村人) 立会のもと計算間違いないことを確かめて各自の捺印を得て名主、与頭の奥印(証印)をすべき事を以前より申渡して置いた。
ところが、惣百姓の捺印もなく争論に及び、或いは毎年役所に提出する村入用帳の外に内々の入用帳を作り惣百姓に負担させて、不当な事柄も言いつけられることもあるようだ。
なおまた、支配の御代官の廻村など、そのような折に接待にかかる無駄な出費はしないように通達して来たが以前と変わらずそうした出費が多く村人への負担が減らぬ村々もあると聞く。
これは、全村の役人たちの処置が良くないことであり不手際の極みである。以来、左記の事項を順守すべきである。
訴訟、もめごとその他で村役人が江戸または遠地の陣屋へ出張した時にも、用事が済み次第早々帰村するのは勿論、出立前日に代官所に届けること。
かつ、道中や滞在中の諸雑費は明細に記載して代官所の認印をもらい帰村したら明細書を村人が見れるように村役人の家の前に張り出すこと。
その他、村内で入用の雑費などもその時々に村人へ公開して毎年入用帳に明細に記入し村人全員の連印を取り揃え翌年の正月中に遅れることなく代官所に提出すること。
尤も、右負担割りの分は村人銘々必ず村役人に納めるべきであるが、その外の村内々の費用等が割り当てられても一切支払う必要はない。
右の趣、必ず守ってすべて入用が過重負担にならないよう正しく取り計うべきである。
もし、この上、村役人(庄屋、与頭等)が正当でない内々の入用を村人に負担させていること、または、正当な入用の割り懸けを村人が難渋して納入できない者が発生した場合は必ず取調べの上処罰を行う。
申八月
右の趣、固く守るべきこと。もし、これに違反するものがあれば取調べの上厳しく処罰を行う。 以上
酉 正月
山田左衛門
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感 想
本書に類する内容の「申渡」は地方文書にしばしば見られる。
本文の内容は年貢納入及び村入用帳の精査を以前から勧告しているにもかかわらず不徹底であること、事例として帳簿に惣百姓の捺印がないため争議に及ぶことを挙げている。
次に、毎年代官所に提出する村入用帳の外に「他見無用帳」とも呼ぶべき特別入用帳を作り、その経費も村人に負担させている事は、怪しからんとしている。
その上で、それら正当でない経費の主たる使途である廻村の代官や検見の役人に対する必要以上の接待の廃止を改めて強調している。更に、その責任は村役人の不手際であるとした上で、村人はそのような不当な負担は払う必要はないと断言している。
筆者はこの部分を読んで、昭和27年頃の忘れがたい光景を思い出した。それは、中学生であった筆者の家で行なわれた米の検査員の接待の宴のことである。
当時は村の区長は主立(おもだち)が持ち回りで引き受けていた。未だ、集会場などない頃であるから区長の家で50人余の人が集まる総会も行なわれていた。とくに、昔の入用割付にあたる(「かすう割」と呼んだ)会議は難航し2~4日もかかることもあった。時には感情的な口論になることもあり、延々と深夜まで続くので、隣の部屋にいる筆者に誠に迷惑であった。
さて、米の検査員の接待の宴のことであるが、この時は区長であった我が家の座敷が使われた。仏間と客間仕切りを取り払った20帖ほどの座敷で床の間を背に座った赤ら顔の検査員の横柄な態度を今も忘れることが出来ない。村の主立ち達の平身低頭、追従にも不快を感じたが、彼らにとっては翌日からの検査にかかわる必死の「もてなし」であったのであろう。今にして思うと、このことから、近世の農民が検見取りより定免取りを選んだ理由の一端が理解できる。
また、割付の特権を持った庄屋、与頭など村役人の不正もあったことは江戸中期に農民を代表して監視する百姓代の制度が出来たことからもうかがうことができよう。
(文責 大橋寿一郎)
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