五か年季連印形借用申す金子証文の事 (石黒-居谷文書₋資料館所蔵)  言葉の手引き
   







引宛

本田

高辻

〇三百刈
→約3反

違作

夫食米

心宛→宛てにする。頼みとする。

開作夫食米

一統

御勘





 
  五か年季連印形借用申す金子証文の事
 一金 十両也 無利足
     この引き宛てに
     刈羽郡居谷村本田高辻の内
     田 三百刈り
 右は当村田畑当巳年格別遺作に付き当年中
 夫食米心宛て相貯え申し候得共来午年春中
 開作夫食米手当これ無く当惑仕り候依って
 村方一統打寄り相談仕り夫食相談仕り夫食米当て
 弐拾俵ばかり買い求め置き一同安堵致し農事
 相励み申し度候得共難渋の村方儀右価
 壱両も手当致し方御座なく候間必至と
 差支え申し候に付き またまた相談の上我が郷(我々)
 貴殿へお頼み申し入れ右書面の金子お願い申し候處
 御勘弁の御心下され御取り替え下され忝く存じ候 依って
 右金子を以って夫食米買い求め囲み忝く候處
               紛れ御座なく候
   






〇連々→続けてだんだんと


〇高帳→
石高の示された帳面のことであろう。


〇切り出し→石高諜から写し転記することは。


異乱


枝郷


天保4年












 

 尤も返済の儀は難渋村方故お詫び申し入れ
 五ケ年の内年々出精いたし相励み連々御返済
 申すべ候万々一五ケ年月返済埒明申さず候はぱ
 前書引き宛て田地我々立会い稲刈り場所相改め
 高帳切出し相違なく相渡し申すべく候その節少しも
 異乱申すまじく候後日の為五か年季連印形金子
 借用証文酔って件の如し
        門出村枝郷居谷村
   天保四年      百姓惣代
    巳十一月   
               長右衛門
               長五郎
               伝左衛門
               兵(云)左衛門
             庄屋代
               久(文)左衛門            久(文)左衛門

     松村亀(開)一郎殿
 
      備  考
 本文書の書かれたのは、天保の大飢饉の始まった天保4年で、この年から飢饉は天保10年まで続いた。その規模は寛永。享保・天明に続く四大飢饉と呼ばれるほどのものであった。
 主な原因は、天保4年から続いた大雨による洪水、冷害による大凶作であった。特に関東・奥羽地方の被害が甚大であったといわれる。
 しかし、越後でも三分作と言われたほどで、山間地の石黒村など被害は特に甚大であった。
 高柳地区でも各庄屋が出雲崎御役所に籾の拝借を申し出て翌5年から5ケ年賦で返納している。不作は6年間も続きで米価は高騰し各地に一揆、打ちこわしなどの騒動が起こった。中でも大塩平八郎は天保8年に大阪で飢饉で苦しむ民衆の救済と幕政の改革を訴え、門弟や農民ら約300人を率いて蜂起した。この影響をうけて、同年、郷土柏崎町でも「柏崎騒動」とも呼ばれる「生田万の乱」(天保8)が起きている。

※本サイトに掲載の関連文書
 定(凶作に付き物貰い受け入れ禁止の定め)
 
読み下し・用語の手引・備考文責 大橋寿一郎