HPへのコメントに限らず皆様同士のコメントもどうぞ! 2018.1~ |
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茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 受信12/19 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 受信12/1 東結子様 何時もの絵手紙、石黒HPがとても和みます。自然をとらえる感覚とその表現の素晴らしさに感服しています。昨年、店で観て懐かしく、柿木の根元に植えた“ほうずき”が、今年はしっかりと身を付けました。 大橋洋子様 普通では、中々拝見できない写真の数々に見入っています。写真を拝見しながら、かけがえのない自然界の美しさを改めて考えさせられています。プログの多くの素晴らしい写真も時折り拝見させて頂き元気を頂いています。 中村忠雄様 貴重な戦争に関わるお話、とても興味深く拝読させて頂きました。具体的で鮮明な描写に引き込まれるものを感じます。石黒だけでなく舞鶴市での生活状況まで知ることが出来、「それぞれの居場所で、それぞれの方々が懸命に戦後の混乱期を乗り越えるべく、必死に頑張った先に現在があったのだ」と、戦争が与える酷(むご)さを再認識しています。 年々、戦争経験者は限られてきています。世界も我が国の指導者も、雲行きが危ぶまれる昨今ですが、「戦争で解決できることは絶対ない」と、肝に銘じ、ことに当たって欲しいものですね。 大橋末治さん 愛知県在住 2018.11.12受信 季節の移ろいの速さに命の長さを重ねてみると・・・ 干からびそうな今年の猛暑をどうにかこうにか乗り越えました。歳のせいか時間の使い方が下手なのか、あっという間に11月になってしまいました。少々夏バテ気味でも石黒HPを開いて皆様から元気を貰いながらお陰様で寝込まずに一夏を乗り越えることが出来ました。 途切れることのない更新作業を継続される大橋寿一郎さまには本当に何時も頭が下がります。特に石黒通信は直に故郷と繋がれる感じで元気の源になっております。それから、大橋末治さまの暖かい励ましのお便りや、東結子さまの素晴らしい素敵な絵手紙にも大きな元気力を頂きました。又、結子さまもご主人様を亡くされたそうで心中お察し申し上げます。そして結子さまのように私も4人の孫やひ孫にかまけながら子供達からも元気をもらっています。こうした中でお返事が気になりながら、時と日にちだけが夏から晩秋へ突風のように通り過ぎてしまいました。 大橋寿一郎様、大橋末治様、東結子様、元気の出る暖かい励ましのコメント便りを本当に有難うございました。お返事が遅くなりました事と、各々への返信を怠る横着をどうかお許しくださいませ。
昨日のお茶飲み話から・・・ 昨日の午後、近所の透析歴13年余りの85歳のご主人が遊びに来られて、元気な内に3,11被災地の相馬港に是非行ってみたいということで、息子さんが連れて行ってくれたそうです。かってそこにあった街は消えてなくなり、船も人気も震災前とは全く違う光景に大変驚いたという話でした。 親の望みを叶えてあげた息子さんが私にはとても羨ましく思えました。「親孝行をしたい時に親はなし」 85歳以上の高齢まで父や母が生きていてくれたら、私もせめて親孝行の真似事くらいは出来ただろうに ・・・と思ってしまいました。親孝行は親の為というより自分の喜びや幸福感でもあるように思います。
中村忠雄様 岩国市の須川上沼田の神楽舞の写真、興味深く拝見しました。上から3番目の写真は、おっしゃる通り、故郷石黒の風景(私には大野原の元屋敷あたり)を連想させますね。 また、添付くださいました「父の故郷-板畑ま思い出」の文章は、敗戦前後の生活を後世に伝える資料として貴重なもので、達文であり一気に読ませていただきました。 昭和20年前後の生活を中心に編集した本サイト「石黒の昔の暮らし」にとって、特に有難い内容で御寄稿に感謝しております。 日に日に寒さが増しておりますが、どうぞお元気でお過ごしください。 (編集会 大橋寿一郎) 異常天候だった今年の夏も過ぎ去ればあっという間に朝夕は冷え込みが増してきてもう10月も終わりをむかえようとしています。「石黒の昔の暮らし」の編集会のみなさま、ご覧のみなさまお変わりございませんか。 昨日(10月28日)板畑に墓参り方々おいしいお米を買い求めに行ってまいりました。途中、山々の紅葉を楽しみながら古里へ向かいました。幸いお天気にも恵まれ無事ご先祖様にご挨拶できました。 あと少しで中村稔さんのお宅に到着する少し手前に「中村工務店」の社名が入ったトラックと習志野ナンバーの軽ワゴンが止まっておりました。稔さんにお伺いすると中村恵治さんと親戚の方が家の改修に来ているとのことでした。以前恵治さんから、私が先祖のことを調べていることを気にかけてくれていて「馬蔵さん」という人はいないかとの情報をコメント広場に寄せていただいたことがありました。そのお礼方々ご挨拶に伺いました。「お会いするのははじめてですが、群馬の中村と申します」とお話しかけましたら「ああ、中村清さんかい」と名前を呼ばれたのには驚いたと同時にうれしさがこみ上げてきました。28日という日は私の先祖が板畑の出身だということを教えてくれた、叔母の月命日です。なにか、恵治さんに引き合わせてくれたことに因縁を感じました。 帰り道、湯沢から見る谷川岳の紅葉が夕日に染まり、一層美しい光景を心に焼き付け前橋へと向かいました。 日一日と寒さに向かっていきますが、みなさまお元気でお過ごしください。 中村清さん 群馬在住 受信 2018.10.29 中村清様 お便りありがとうございました。28日に板畑にお出でとのこと遠路ご苦労様でした。お便りによりますと、偶然、中村恵治さんとお会いできたとのこと良かったですね。中村恵治さんも、地蔵峠の地蔵尊堂の寄進工事以来、故郷板畑がすっかりお気に入りのようで度々お出でのようですね。 ところで貴殿の御先祖のことでありますが、手がかりがあるとすると、菩提寺の安住寺か中村治平家文書と思われますが、昨年のお便りによりますとど、どちらにも手がかりがないとのこと残念ですね。 私は、未だ中村家の文書は見せてもらっておりませんが、大抵は村方文書の中に嘆願書など村中連印の文書があると思われますが、勿論、治平さんはそちらもお確かめのことと思います。 とすると古文書の場合は所蔵の寺ないし庄屋が火災に遭い焼失したということも考えられますね。 いずれにせよ、お墓が現存することはなにより先祖の慥かな証でありますので、早く解明されることをお祈りします。村方古文書読解などでお手伝いできれば幸いと思いますのでその際はお申し付けください。 寒くなりますが、どうぞお元気にてお過ごしください。 編集会 大橋寿一郎 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 受信9/30 大橋 様 メールありがとうございます。時々、石黒通信を見せて頂いております。 私は7月4日で満76歳になりました(午歳です)。生まれたのが戦争中で、舞鶴に住んでいたので舞鶴湾に停泊中の海軍艦艇と海軍工廠に米海軍の艦載機の激しい攻撃があり、家族疎開させるために岡野町の母の実家の近くの空き家を準備されていたそうでしたが8/15の日本の降伏で疎開をしなくてもよいようになったと両親から聞いたことがありました。防空壕に避難しましたが、地上砲火(高射放や機関銃の音)や、B-29が工廠に1トン爆弾(原爆の模擬爆弾という)の攻撃での爆発音と地揺れの生々しい体験を今もはっきりと記憶にあります。 丁度今、NHKの朝の連続ドラマの「まんぷく」を見ながら日本の困難であった時代を自分に重ねて観ております。 1か月前に高齢者検診をうけましたが、悪玉コレステロール値が若干低く、中性脂肪がやや高めということだけでした。 毎日ジムに行き、エアロビックス、ズンバ、ベリーダンス、ヨガ、ボクシング、プールエクササイズ等女性のインストラクターのもと多くの女性達と、とんだりはねたりして汗をかいております。いつまで続くかは分かりませんがーーー。 何か参考になることを見つけましたら、メールをさせていただきます。明朝早くに岩国を目指し車で出かけて行きます。約350kmの運転です。 退職前に勤務していた関係で、自衛隊OBの集まりに会社OBとして参加するためです。 お気遣いありがとうございました。 明石在住 中村 忠雄さん 中村忠雄様 超猛暑の夏もようやく過ぎ去り、やれやれと思いながら気が付けば、最早11月も目の前、月日の過ぎ去る速さが信じられないほどに思われます。 その後、中村様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。お便りがしばらくないので心配しております。 私もお陰様で何とか元気にしております。とはいえ、80才を過ぎると、やはり、体力の減退を痛感しております。 板畑では、同級生の中村稔さんや一歳上の重治さんが数町歩の水田を耕作しておられることを思うと、弱音を吐いている場合ではないと自己を叱咤激励して居ると ころです。 どうぞ、中村様もご健康に留意されお元気にてお過ごしください。 編集会 大橋寿一郎 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 受信9/30 いつも、素敵な自作絵葉書有難うございます。此の度の台風被害は御地ではなかったでしょうか。こちらは御蔭様で強風も吹かず、故郷石黒も無事に稲刈りが、ほぼ終わったようです。 上の写真は、元石黒校の跡地から上石黒集落を写したものです。この景観は石黒校で学んだ私たちにとっては、原風景といってよい景色です。 季節の変わり目、どうぞお元気でお過ごしください。 編集会 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 8/5受信
ご主人さまの一周忌を迎えられたとのこと、様々な想いでが、脳裏を埋めていることでしょう。出来ることなら、夢ある明日につながる想い出を糧に健やかに前進して頂きたいものと念じています。まだまだ厳しい暑さが続きそうです。 東結子さまへ 拙い文章ですが、身に余るお言葉を頂き恐縮しています。何かのお役に立てたとすれば、とても嬉しく思います。また、寿一郎様の「石黒HP」にかけるご努力やご配慮にも感謝しています。 何時も掲載頂く「絵」・「句」ほんとにスゴイと思います。称える言葉に窮しています。素晴らしいですね。特に、ウドは実家に帰ると何時も兄が山から採ってきてカバンに入れてくれたかけがえのない田舎の土産でした。もう何年間も口にしていません。絵を見ていると、生のウドに味噌をつけて食べた幼き頃の味覚を感じ口の中が潤ってきます。 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 8/5受信 |
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茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 7/23受信 「皆さま、お暑うございます。」 毎日猛暑が続いておりますが、石黒在住の皆さまやHPをご覧の皆さま方は 如何お過ごしでしょうか?又、全国各地で地震や水害などで被災された方々には心よりお悔みとお見舞いを申し上げます。テレビで悲惨な状況を見るたびに福島の3,11震災が重なって切なく心が痛みます。一日も早く生活環境が復旧する事を願っております。
私事ですが、早いもので主人が亡くなってから一年が経ち、先日7月6日に一周忌法要を済ませました。まもなくお盆ですが、新盆ということで近年はお寺さんで合同供養がなされるそうですので参列することにして来ました。7月に入ると、ゆかりの方々が「早いね!もう一周期だねぇ~~!」と言いながら自宅にお線香を上げに来てくださいますので有難いと思います。福島盆地の夏は独特の暑さで故郷では体感することのない蒸し暑さなのです。そんな暑さの中でナメクジか半病人状態で日中を何とか、しのいでいる矢先にコメント広場へご投稿いただいた大橋結子さまの西瓜の絵手紙を観たとたんに、大きな感動と沢山の元気を貰いました。今年はまだスイカを食べていません。結子さまの西瓜は初物なので東を向き大口あいてニッコリ笑って美味しくいただきました。笑み素敵な絵手紙をこれからも楽しませてくださいね!宜しくお願いいたします。 夏本番、どなた様もどうぞ健康第一にお過ごしくださいませ。・・・洋子 大橋洋子さん 福島在住 2018.や.16受信 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 7/12受信 東結子さま 少し時間が過ぎてしまい、間が抜けてしまいましたが、ご容赦下さい。 ドクダミの絵、素晴らしいですね。 まさに画面からドクダミ特有の香りがするようです。 過日、近所に住む義理の姉がドクダミを煎じての飲むのに手に入れたと喜んでいました。 子供の頃、使われていたドクダミが思い出されます。 描かれた西瓜は、実際にごちそうになった作品でしょうか? さわやかで味まで伝わってくる感じがします。 私も、今年は小さな庭に西瓜を植え日々芽が伸びています。 何時の日か絵のような西瓜を夢見ていますが? 大橋末治さん 愛知県在住 2018.7.14受信
年頭のご挨拶以来、約半年ぶりの投稿になりご無沙汰をして申し訳ありませんでした。また、このたびは、板畑の現在の様子を取り上げていただき、とてもうれしく感動いたしました。タニウツギや花ショウブ、生活道路である街道の修復工事の現場、そしてまだ行ったことのない嶽、ありがとうございました。
先日、中村稔さんとお電話で話をしましたが、今年の田植えは順調に終わったと伺い安心いたしました。昨年は、水不足でたいへんなご苦労をされてから、もう一年が過ぎたのですね。稔さんご夫婦もお変わりないとのことで安堵いたしました。
今年も早半年が過ぎ、時の流れの速さに翻弄されてしまいます。異常にに早い気温の上昇、「春」があったのかと思うほどでした。こちら群馬でも、桜の開花が10日以上早く、また、県花であるツツジも本来、ゴールデンウイークが見ごろなのに、今年は散ってしまいました。そして、明日にも梅雨入りの予報が出ております。合わせたように、紫陽花が見ごろをむかえております。散歩途中の広瀬川畔の紫陽花を添付いたしました。
同じく広瀬川畔に「大阪万博」に展示された、岡本太郎さん制作の「太陽の鐘」が移築され、市民の憩いの場所になっておりますので添付いたしました。
今年は梅雨の時期が短く、猛暑が予想されております。編集会のみなさま、HPをご覧の皆様、熱中症等に注意されお元気でお過ごしください。
大橋末治(20180425) 旧石黒村の一年を通して最高の輝く季節の光景をビデオで拝見させて頂きました。ビデオ内容は7部落とその周囲の広範囲にわたるもので、とても内容のあるものでした。残雪の中に草木の芽吹くこの季節は、石黒を故郷とする者には、懐かしくもあり五感に響くものも多く、感激一入です。何時ものことですが、タイムリーで的確な季節情報を報じて頂く石黒HP編集関係者の方々のご努力には、幾重に感謝しても尽きない思いです(大橋洋子さんからも同様な寄稿文が投じられていますが、全く同感です)。 ビデオには、新しく建設された道路も多く映されている。昔の風景が一変しているところも少なくない。ビデオに映し出される風景を観ななら、風景のみならず、生活様式まで、今昔問わず様々な想いに浸っています。石黒村に固定電話が4台(郵便局、役場、農協、学校)しかなかったこと、自転車に乗って走る看護婦さんを仕事の手を休め、ズ~と目で追っていたこと、昼食のため、あぜ道を友と走りながら家まで往復したこと、雪解け時の泥んこ道路で進路を選んで歩いたこと、赤毛の山へウドや野の葉を取りに行き味噌と雪とで採り立てのウドをたべたことなど挙げればきりがない。全て懐かしく思い出され、しかも、ついこの間のような気がする。 しかし、このような郷愁ばかりに浸かっていてはいけませんね。今は石黒村の出来事が瞬時に世界中に知れ渡っている。科学・技術の進展の速さに今更ながら驚嘆しています。“歩きながらの電話“など生きている内に実現するとは想像もしていなかった。この先、半世紀後は、どんな生活が待っているのであろうか? そのためにも、石黒HPのように史実を後世に伝えていくことが重要なことと思っています。支援も出来ず激励ばかりで誠に恐縮ですが、ご健康に留意され、お励み頂きたく。
今日、散歩に出かけるとみかん畑のミカンの花(写真貼付)が咲いていました。周囲に甘い香りを漂わせ、何とも例え難い春の陽気を味わうことが出来ました。また、田んぼには稲の苗が添えられ数日の内に田植えが始まりそうです。この辺でも例年に比し、1週間ほど早いようですね。石黒とは約1カ月位早いかも知れませんね。寒暖の差が厳しい昨今です。石黒HP愛読者の皆様、どうぞ、ご自愛ください。 東結子さま 早速、新しい絵手紙のご投稿を頂きありがとうございました。私の拙い感謝文の気持ちが、少しでも結子さまの作品づくりの励みになったとすれば、とても嬉しく思います。これからも、沢山の素晴らしい作品が掲載されることを楽しみにしています。どうぞ、よろしくお願い致します。
私が子どもの頃は、屋号「なかね」を通り過ぎ墓場の入口あたりから屋号「西」のあたりまでは、鬱蒼とし林と深い谷があり昼間でも薄暗い道で私のの姉たちの仲間で、この道路にまつわる怪談めいた話が語られていたことを憶えております。
大橋洋子(大野出身) 福島在住 2018.4.21受信 〇コメント有難うございました。石黒の新緑が福島より早いとは驚きました。ブログでは美しい写真を見せていただき、自分もこのような写真を撮ってみたいと思っています。既に撮った写真の数は100万枚を超えていますが、使える写真は1パーセントにも満たないと思われます。 PCの買い替えとのこと、楽しみですね。6、7年前に比べると機能、容量とも格段に進歩していますよ。 ブログを拝見することを楽しみにしております。今後もよろしくお願い致します。 編集会 大橋寿一郎 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 4/16受信 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 3/16受信 いつも、手作りの美しい絵葉書をいただきありがとうございます。最近は「コメント広場」も皆さんからのお便りが少なく淋しく思っておりましたので、私宛ての葉書も掲載させてもらいました。どうぞ、時々、コメント広場に絵葉書をお寄せください。 編集会 大橋寿一郎 大橋末治様 春を感じる良い季節になりました。桜の満開も、もう少しですね。 この度は石黒HPへ、あたたかい励ましと声援のお手紙をご投稿くださいまして、まことに有難うございました。 お便りにもありました福島の3,11大震災は今年7年目を迎えました。復興が進む一方で、新たに難題も多発しているようです。 特に原発関連は、世界全体の問題としても末治さまが言われるように原発ゼロに向かって具体策を望み、実現を強く願うばかりですねぇ・・・。福島県の廃炉作業も長期化しそうです。 その後の私共の暮らしですけれども、当地は幸い避難区域から外れましたので、まぁ見た目は皆さん普通に暮らしておりますから、どうぞご休心下さいませ…!色んな情報が飛び交っているのも事実ですが、我が町にも被災者住宅が結構立ち並んでおります。 ***変わって、拙い私のブログも見て頂き有難うございます。 ブログを始めた目的が…実は、ボケ始まった自分がどう変わってゆくのか?その過程を知りたいと思い、備忘録として始めましたので人様に披露するような内容ではないのです。又PC操作も何時まで出来るか??ボケの進み具合を知る為のバロメーターになりそうだという思いで現在に至っております。ブログは、私も分からない事だらけなので「やっとこすっこと」が正直な気持ちです(苦笑) **日頃石黒HPへのご投稿を心より重ねて感謝申し上げます これからも宜しくお願い致します。 ***おねだりです**** 故郷の方大歓迎!!差し支えなければ気の向いた時にでもブログにコメト頂けると大変嬉しいです。・・・・・・・・・・・・・・笑み 大橋洋子(大野出身) 福島在住 2018.3.26受信クリック→大橋洋子さんのブログ「古希からの再挑戦」 石黒HPへの思い 石黒HP編集会さま 3月14日付きの石黒HPを拝見すると、故郷石黒では残雪2m以上もある中でマンサクの花が咲き、いよいよ「ふるさと石黒の輝く春の幕開け間近」とある。厳しい冬季から春が一気に近づいていることが添付されている写真などからも伺うことができ、心温まる思いに駆られます。また、石黒HPも15年目を迎えられた由、寿一郎様はじめ編集会のみなさまのご努力の賜物と、心より感謝しています。 寿一郎様におかれては、ご老体(失礼ながら)にムチ打ち石黒HPの充実化に日々ご努力頂いていますこと、日々の石黒HPを拝読させて頂き、その労のほどを察するところ多く、感謝に堪えません。確か4月がご誕生日でしたね。その坂に到達してこそ見えてくる景色も多いかと思いますが、どうぞ、ご健康に留意されると共に、その卓越した五感と才能で石黒HPの愛読者全員を今まで同様、ご指導頂きたいものと願っています。 石黒のHPは、故郷石黒の四季折々の素晴らしい自然、懐かしい催事の情報などをタイムリーで的確に報じて頂いています。その上、石黒の古文書の解読やその手引き、石黒の動植物の紹介など広範囲にわたる内容となっており、他に類を見ない充実したHPに成長していると思います。特に、解説では「石黒では・・・」と地域の事情・生活面との兼ね合いを絡ませ、かつ石黒弁を入れて丁寧に分かりやすく説明されている。拝読後は「こんなものがあったっけ」と子供の頃を思い出したり、“しょんがいなー”に何とも言えぬ郷愁を感じたり、史実への無知を恥じたり、名も知らなかった身近な植物に詫びたり、ひょっとしたら石黒も素晴らしい地域へと発展をしていたのでは?などと勝手に空想したりしています。 蛇足になります。既に拝読されている方も多いと思いますが、寿一郎様が日々感じられたことを記されている「黄昏」も併せてご覧頂くと、より幅広く石黒HPを感じて頂くところがあると思われます。老婆心ながら、石黒HPを拝読されている皆様にご紹介させて頂きます。 大橋洋子さま 過日、TVで放映される数々の3.11震災7周年行事を観ました。その後、いかがお暮しでしょうか? 被災地の方々の生活は、未だに厳しく大変な日々のようですね。放映の中には、自分の家があっても故郷に帰れないと分かっていながら、被災後の自分の故郷を想うあまり、制限領域一杯まで出かけ、懐かしい故郷の光景を眼前に、もう一歩のところで引き返さなければならない方々の姿がありました。その心を察する時、こんなことが決して二度とあってはならない、と強く感じました。近い将来、必ず「原発ゼロの時代」が到来することを信じ、念じています。 「ブログ-古希からの再挑戦」を拝見させて頂きました。“babaanessa”という魅惑的な暗号?に魅せられて、つい、・・・。ブログの活用法も分からず的外れの感想と思いますが、洋子さまの幅広い活躍やご努力、沢山の素晴らしい写真と共に多岐にわたる情報交換の手法にも感服しています。 東結子さま 俳句や書道のことは、全くの素人で分かりませんが、一読して感銘し、失礼ながら記させて頂きました。ご投稿された句には、誰をもが待ちわびている雪国の春の野の光景を実に鮮やかに表現されているのに驚嘆しています。素朴な絵や美しく、のびのびとしたしなやかな文字は、更に人の心を引き付けているように感じます。そして、石黒に関係ある方が、このような素晴らしい才能の持ち主であることを誇りに思います。句集などございましたら、石黒HPにてご紹介下さい。ご活躍を祈念しています。 大橋末治さん 愛知県在住 2018.3.21受信お便りありがとうございました。いつも石黒通信にご投稿いただき感謝しております。お手紙では、編集会への過分のお言葉を頂戴して恐縮しております。 頂きましたお言葉に少しでも近づくことを目指して、これからも努力していくつもりであります。 また、貴兄のお手紙から、HPをご覧いただいてい方々に、絵手紙や写真、また俳句、短歌など寄せていただくこともよいアイディアだなと感心しました。早速みなさまに御願いしたいと思います。 編集会 大橋寿一郎 茨城在住 東結子さん(旧姓大橋) 3/16受信 いつも素敵な絵手紙を頂戴して感謝しております。柏崎市は今年は市街地、山間地どちらも降雪が多く、例年に比べ本格的な春は遅いのではないかと思っております。(下写真上石黒国道353号線-3/16撮影) とはいえ、昨日は街では半袖の若者も見られるほどの季節外れの気温でした。ところが今日は一転して2月並みの寒い日となり、アノラック着用というほどの寒さでした。 編集会では、今年はHPを立ち上げてから15年目であり、これまで継続できたのは、皆さまのご協力あってのこと、何とか健康を維持できたことの御蔭様と感謝しております。 今後も、せめて3年ほど、できれば5年継続しHPの継続発信20年を果たせるならこの上ない幸せと思っております。 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。 編集会 大橋寿一郎
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