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HPへのコメントに限らず皆様同士のコメントもどうぞ!
2017.1~

2016-コメント広場へ
いつもありがとうございます。
昨日(11月8日・板畑から群馬に移住した祖父喜作の月命日)板畑に行ってまいりました。この時期に伺うのは初めてでとても美しい紅葉に出迎えられました。例年より稲刈りがだいぶ遅れ、心配しましたが、お墓詣りもでき、おいしいお米もいただいてまいりました。                   紅葉の黒姫山

 その際、中村稔さんより、年代ははっきりしませんが板畑地区がもっともにぎやかだった(約65軒)ころの屋号が入った地図及び親家からみた分家の家系図を、現在私の住む群馬県の太田市新田町でお過ごしの親家の子孫中村治平さんの自筆でいただいたとのことで、見せていただきましたが、私の先祖の屋号「庄右衛門」は残念ながら見当たりませんでした。稔さんも「知り合いにいろいろ聞いてみたが、わからない」とのことでした。
 私の高祖父の庄三郎からは戸籍がありはっきりしていますがそれ以前は板畑地区の菩提寺である「安住寺」様が調べてくださり文書にて頂戴したのが、「庄右衛門」でありそこから庄三郎までは繋がっております。
 以前も不思議に感じたのですが、板畑の中村家の家紋は丸に上なのに、群馬の中村は丸に揚羽蝶であることに関係しているかもしれません。ただ、前橋の菩提寺の墓のすぐ近くに同じ中村家(私が子供のころは付き合いがあった記憶がある)は丸に上です。
 もっと早く若いうちに先祖様のことをお調べしたかったと悔やんでも・・・
 今年もあと2か月ありません。日ごと寒さが厳しくない雪の季節もまもなくやってくる頃になりました。故郷のみなさまお体をご自愛いただきお過ごしください。 
中村清さん  群馬在住 受信2017.11.9

中村様、いつもお便りありがとうございます。中村様の故郷とそこに数代にわたって暮らしてこられた先祖様に対する敬いの心にはいつも感動しております。歳を重ねるにつれ、自分の存在が数代にわたる祖先とのかけがえのない繋がりのもとにあることが実感できるようになりますね。
故郷石黒の山々は、錦模様となる紅葉と芽吹きの頃が一番輝く時期であります。この紅葉も間もなく木枯らしが散らし初雪のたより発信も間近かと思われます。どうぞ、中村様もご健康に留意されお元気にてお過ごしください。
編集会 大橋寿一郎




ありがとう!  アメリカに住んで30年以上、もう長くなり、69歳と、年もとったのですが、、ふと昔、お母さんが教えてくれた笹舟の作り方はどうだったかな、、、と思って、どうも思いつかないので、調べたらここにたどり着きました。   有難うございます。今の人はこういうのはやるのでしょうか?  おそらくだいぶ昔から伝わってきたものなのでしょうね

Kiyoshi Suzaki
 アメリカ在住 2017.10.18受信
※→ササ船の作り方



大橋洋子さんへ
 私の拙い寄稿文に関するご寄稿、ありがとうございました。ご拝読頂き、とてもうれしく思います。大橋洋子さんも言われている通り、「原発を考える時は」経済的に云々と言うことでなく、地球上の生物の存続の有無に係る問題だと思います。全く、比較するレベルが違うと言いたいですね。
 想像を超える遠い先の世代まで影響力を及ぼす原爆被害です。特に、原爆被害を身近に体験された福島県在住の方の生々しい現実味のある表現“黒いビニール袋、フレコンパック(汚染土など)は、大いに説得させられます。
 石黒HPに投稿されていない方からも、文章は苦手だからと電話でお話頂いた方もおられました。想像もしていなかった方々にも「石黒HP」が拝読されていることを知り、大橋寿一郎さんはじめ関係者の方々のご努力に感謝し、その成果にも感服しています。
「原発」の課題は簡単には片付けられない一面をもっているとしても、将来に向けた基本的な構想が大切かと思います。いろいろの立場で、それぞれの考えで、多くの皆さんに一考頂ければ幸いです。
 衆議院選挙が1週間を切りました。返信が、何とか間に合うようにと思っていましたが、叶いますように。
おわり

大橋末治(2017.10.17) 愛知県在住
→コラム-ひとらごとへ



大橋末治様へ
「ひとらごと」に投稿された記事を、とても共感しながら拝見させていただきました。柏崎刈羽原発は、石黒出身の私達には無関心でいられない問題ですね。色々と大橋末治さまが書かれている事に全く同感です。
やめられない、止められない理由や事情はいろいろ取り沙汰されておりますけれど、人の健康や命より大切なものが他にこの世にあるのでしょうか・・・?
原発がなければ人間は暮らせないのでしょうか・・・?
経済優先で、暮らしの便利さや楽をする事が人々の幸せに本当に繋がるので
しょうか・・・・・?
 刈羽原発を稼働させる理由も、素直に納得出来るものではありませんで、
体裁よくあしらわれているような感じを受けますねぇ・・・。

 福島原発から6年半経った現在、6年半過ぎたから大丈夫という事にはなりませんで、色んな問題が山積みです。健康面でもこれからが問題化すると思われます。その証拠に医大病院の傍に多人数を受け入れる巨大病棟が出来ました。
 散歩をすると黒いビニール袋に入ったフレコンパック(汚染土)が草に巻かれて見えなくなっています。その内劣化して中身は散らばってしまうのでは
ないでしょうか!?何気ない日常生活も、住民の頭の中は何かが住み付いていて、食に関する関心も、原発前とは違います。が、何事もないような気持ちで
見た目は普通に暮らしているのが現状です。
 原発は福島、柏崎だけの問題ではありませんから、福島の事故に学んで
同じ事が起こらないように・・・・
近づく衆議院選挙には、世の平和と人々の幸せの為に、
よ~~~~~く、人選を見極めたいと思います。
大橋洋子さん  福島在住 受信2017.10.81
→コラム-ひとらごとへ



石黒通信ご担当殿

台風18号がそちらも通過していきましたが被害はなかったでしょうか。
昨日、自宅から凡そ30分、自転車で収穫の秋を見てきました。稲美町という播州平野の東にあり灌漑用の溜池の数が兵庫県一という大昔から雨が降らないところです。
台風18号が9/18の22時頃、当地明石に再上陸して強風と雨が暫くあり通過していきました。
稲に被害があるのではと思いましたが、全く被害なしでした。
当地は、約8割方刈り取が終わっており、作業はキヌヒカリという品種でした。この後、ヒノヒカリ、最後にコシヒカリになると作業していた人から伺いました。当地は、田が肥えておりコシヒカリの背丈が高く育って倒れやすくなるので、色んな手間をかけ工夫をしながら作っているとのこと
でした。我が家の米は、ここの稲美農協が経営するファーミンショップで年間購入契約をしています。
風景写真(白い彼岸花、刈り取り作業、刈り取り後に餌を探すサギ、彼岸花と稲)を貼付します。此方の収穫も参考となればと思いお知らせしました。
よろしく。
2017.09.21.1055i
明石在住 中村 忠雄
 
 兵庫県加古郡稲美町の稲刈り風景
 
 
              珍しく白いヒガンバナもありました

 メールをいただき有難うございました。そちらも台風の被害がなく何よりでした。
石黒でも被害はなかったようでほっとしております。石黒でも年々農家の方か゜高齢化しており、忠雄さまの故郷、板畑の中村稔さんは私と同級で79歳、中村重治さんは1級上の先輩です。
 現在、何町歩もの水田を耕作されておりその体力気力に驚いております。その他の方々も同様80歳に近い方々が活躍されており敬を表しております。それだけに台風や雨で田が柔らかく刈り取り機が入らないなとということになると、我が事のように
心配になります。
 ところで御地の近くの稲美町は住宅地の増える前には。よほど見事な水田地帯だったのでしょうね。ヒガンバナもきれいですね。白色の種は珍しいですね。
また、お便りをお待ちしております。どうぞ、中村様、お元気にてお過ごしください。
編集会 大橋寿一郎




中村清様
 私の拙(つたな)い呼びかけ“戦争体験者の声を”に、2度に渡るご自身の貴重でかけがえのないご体験を寄稿頂き恐縮し、かつ感謝しています。戦中戦後の困難な中、様々な境遇下で懸命に生き抜いた方々がおられたことを改めて知ることが出来ました。私たちの一(ひと)世代前(せだいまえ)の戦中戦後を生き抜いた諸先輩の生きざまは、いくら頑張っても書き尽くすことは困難かと思いますが、これからを生き抜く人たちの精神面での崩れない土台になればと思います。“歴史は繰り返す”とも言われています。これからも、石黒HPをご拝読の皆様に一人でも多い方々の体験を寄稿頂き、これからを生き抜くため(昨今の物騒で舵取り困難な時代にも正しく判断できるため)の糧にして頂きたいものと念じています。
幸い、大橋寿一郎様のご努力で年々充実している石黒のHPです。皆さんで、大いに盛り上げていきましょう。
 蛇足になりますが、中村清様は昭和22年のご出身とのこと、7歳位の差なので、子供の頃をいろいろ想像するのですが私の記憶力では無理のようです。2~3歳上位の方は何となく思い出されますが。昭和20年代の板畑は道も悪く・遠く、板畑は学校行事の黒姫登山と遠足(?)の2度くらいしか訪れていなかったように思います。しかし、大橋寿一郎様のHPのお蔭で、板畑は歴史的に貴重なエリアであることを知りました。遅まきながら、板畑には大勢の良き友人を持ちながら、もっと訪れておけば良かったと後悔しています。
 大橋末治  愛知県在住  2017.9.10受信




 不順な天候のまま、8月も終わり、はや9月も三分の一になろうとしています。石黒通信をご覧の皆様、お元気でお過ごしのことと存じます。
 本年5月に「ひとらごと」に大橋末治さんの戦争体験のことが掲載され、私は母から聞いた話として、昭和20年8月5日の前橋空襲のことと、亡くなられた方たちのための慰霊碑を紹介させていただきましたが、8月31日の「NHKひるまえほっと」で慰霊碑とその経緯が紹介されました。慰霊碑からほど近い場所に「あたご歴史資料館」があり、そこに、鉄兜や水筒、飯盒、焼夷弾の残骸等展示されていること。また、地域の子供達に実際にそれらに触れさせ地域の方たちがボランティアで説明し、子供達もそのことの感想文を書いている様子も映し出されました。
 語る続けることの大切さを説いていました。そして、最後に見慣れたお寺で地蔵様をお参りしている様子が映りました。なんと当家の菩提寺(曹洞宗・教徳寺)でした。解説では、7歳の子供が親からはぐれ、慰霊碑の近くの防空壕に飛び込み、見ず知らずのご婦人に助けを求めたそうです。その方は「大丈夫、守ってあげるよ」と言ってくれたそうですがそのお子さんはその後のことは覚えていなかったそうです。空襲が終わり、その子供は助け出されましたが抱いてくれていたご婦人は焼死してしまったそうです。
 そのことを伝え聞いた教徳寺の住職が、近隣の方々から募金を募り「親子地蔵尊」を建立したそうです。お恥ずかしい話ですが、地蔵尊の存在は存じておりましたが、その経緯を知りませんでした。
 さっそく、お参りさせていただき、資料館にも伺いました。そして9月5日にはNHKローカルの群馬640という番組、よく6日には「おはよう日本」でも放映されました。

 不思議なご縁に驚いております。いづれにしろ、不穏な動きがある時代です。「絶対に戦争をしてはいけない」と強く感じました。
中村清さん  群馬在住 受信2017.9.8





素晴らしいホームページを長い年月継続して頂き有り難う御座います。
以前は時々拝見させて頂いて居りましたが、体調を壊し二年間程、入院生活を送って居た為、見せて頂く機会がありませんでした。
今日久し振りに拝見し、改めて長い年月を頑張っておられる事を知り心を打たれました。
以前購入した「ギリシャ・ラテン引用語辞典」載っていた「支配なくして忍耐しうることは広大なる支配なり。」の言葉が脳裏に浮かびました。
石黒も過疎化が進み寂しいものがありますが、その中でこのホームページは私達に取って掛けがえのない「宝」です。
どうか身体を御自愛のうえ、益々のご活躍をお祈り致します。
 大橋幸夫(下石黒出身)


久しぶりのお便りうれしく拝見しました。2年ほど前でしたか、体調を崩されておられるということを聞いて案じておりましたが、最近回復されたとお聞きし喜んで゛居ります。どうぞ、これからも御養生くださいますよう。
ところで、私も例の引用語辞典は今も時々パラパラとめくり出てきたところの引用語を読んで楽しんでおります。
貴兄の今日、お書きになった言葉の意味は、「強制された忍耐ではなく自ら自由意志による支配は真の支配である」という意味では?、というのが私の愚考でありますが、どうでしょうか。私も、この境地に達したいと思ってきましたが、とても、とてもという所です。まずは、この瞬間の動作の中でそれを意識して身につける努力が大切であるように思うのですが・・・・・・
 HPについて過分の御言葉を頂戴し恐縮しております。誤字脱字不適な表現など、見直しが、明日の命の分からない年齢に達した今、私が一番にやるべきことなのですが、貴兄の言葉、広大なる支配、忍耐が出来ず、興味のあることにかかずらっている始末です。
 どうか、これからもよろしくお願いします。
重ね重ねお体の方お大事にしてください。
 編集会 大橋寿一郎



大橋 様
先程(1230i)、中村恵治さんと電話連絡ができました。
石黒通信にあった住所と電話番号から連絡ができました。
と言っておられました。未だ石黒通信を見ていないということでした。
とりあえずお知らせします。
2017.08.21.1251i
中村 忠雄  明石在住 中村 忠雄



中村様。恵治様にご連絡いただき有難うございました。私も中村恵治様のメールアドレスを探しましたが見つからず、電話番号を、と頂いた手紙を探したのです見つからず困っておりましたところ、今日、忠雄さまよりメールをいただきほっとしているところです。有難うございました。今後もよろしくお願い申し上げます。
 編集会 大橋寿一郎


石黒通信ご担当
8/15に行われた盆踊りの動画を先程見せて頂きました。又、盆踊り歌の内容についてHPから見ました。江戸時代から歌い継がれたのですね。何処で踊っているのか気になったので、「石黒活動拠点」の住所からグーグルアースで検索しました。ペイントに落とし、JPEGにしてみました。地区の中心で市役所の出張所機能があると柏崎市役所HPにありました。
6月の運動会も同じ場所であったのではと、得られた写真から推定しました。
取材、編集、HP発信と大変なご努力に恐れ入ります。ありがとうございました。
写真を貼付します。
よろしく。


2017.08.16.2216i   明石在住 中村 忠雄

中村様、いつもありがとうございます。グーグルアースは便利ですね。
新潟県も今夏は日射量が少なく、籾の成熟が心配されましたが、今日は夏らしい陽射しで気温も30度近くまで上がりました。御地もぐずついた天気が続いているのではと思います。涼しいことは過ごしやすくてよいのですが、農作物には日光はやはり欠かせないものなのですね。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
編集会-大橋寿一郎




石黒通信ご担当殿
2017.4.12.高槻市在住の中村恵治様がコメント広場に書かれた事柄について
思い当たる節について。
イサミとあるのは、私の父で「中村 勇(イサム)」と思います。イサミ呼ばれていたことがある。
勇は、明治39年2月18日生まれで、板畑に住んでいて、澤(サワ:屋根の青い
色)の中村久雄さん(中村トクノさんのご主人)(お亡くなりになっておられます。)の妹と結婚し、男子2人をもうけた。昭和15年頃妻が病気で亡くなりました。小さな子供と生活をどうするかとなり、長男の源治(勇よりも6歳くらい?年長)が舞鶴海軍工廠に勤めていたので、父を舞鶴に呼び寄せた。その時、岡野町にいた私の母と簡単な式を挙げ子供二人と父の4人が板畑から舞鶴に移住、舞鶴海軍工廠に勤めることになった。その後、私(忠雄)は昭和17年に生まれました。
恵治様が47年前にイサミさんが恵治様の父上に会いに来たという話ですが、
その頃、造船所を定年退職した父は、知人の紹介で就職した尼崎のブロック製造の会社に勤務していました。それで、尼崎から高槻までJRで30分足らずで行けるので、恵治様の父上に会いに行ったと思います。
この時期(私が28歳)、私と父が、父の父の33回忌(?)法要で西ノ入の
安住寺でお経をあげてもらい、板畑の本家で村の人達に集まってもらいささやかな集いをしました。佐渡おけさを歌ったことが思い出されます。
ひょっとすると、この話をするために恵治様の父上に会いに行ったのではないでしょうか。父は、1994.12.7.(88歳)に亡くなりました。
中村トクノさんは、冬期には高槻の息子さんの所に行かれているということですが恵治様はご存じないでしょうか。トクノさんには、2009.6.6.板畑お墓参りに大変お世話になりました。石黒通信の雪景色に澤の家が印象に残ります。
よろしく。
  (2017.08.10.  明石在住 中村 忠雄さん)

昨日のメールに不確かなことがありますのでお伝えします。
中村久雄さん(中村トクノさんのご主人)(お亡くなりになっておられます。)
の妹と結婚し、男子2人をもうけた。⇒姉かもしれません。多分、年齢から
考えると姉では と思っております。

それから、運動会(6/8)ビデオに中村 トクノさん(?)と思われる人がありました。
動画からJPEGにしたのを添付します。
よろしく。

  2017.08.11.明石在住 中村 忠雄さん

中村様、中村恵治様への貴重な情報を有難うございました。中村恵治様コメントをご覧ください。 編集会2017.8.12




 「石黒の昔の暮らし」をご覧の皆様、お元気でお過ごしのことと存じます。
山陰地方に始まり、九州、北海道、東北、そして御地や北陸地方のゲリラ豪雨、被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
 関東地方は雨の被害はありませんが、7月上旬より梅雨明け前にもかかわらず猛暑日の連続でした。
 そんな中、7月9日~10日「日蓮宗身延山・久遠寺」にお参りに行ってまいりました。私どもの菩提寺は「曹洞宗」ですが、今年の4月に叔母が亡くなりその叔母が日蓮宗信徒でしたので参拝させていただきました。きつい参道を叔母の思い出に浸りながら足を運び本堂までたどり着きました。
 その後、梅雨明けとともに曇り空ベースにかわり、30度を下回る日が続いておりましたが本日は久しぶりにお天道様の顔を拝見し、高温注意報が発令されました。
 ただ、明日よりまた一週間ほどは曇りマークねなり、台風5号の動きも気になるところです。
 7月も本日で終わり、明日より8月(旧盆の月)。どんな月になるのでしょう。どうか大きな災害等起きないことをご先祖様にお願いしお盆を迎えたいと思います。
 暑さもこれからが本番です。皆様も自愛いただき実りの秋を迎えましょう(ちょっと気が早いですね)
中村清さん  群馬在住 受信2017.7.31

 中村様、いつもお便りありがとうございます。お元気の様子何よりと存じます。関東地方は梅雨明け後もぐずついた天気が続いているようですが、こちらは、未だ梅雨明け宣言は出ていませんが雨の日は少なく、明日からは晴れマークが続いていますので、いよいよ梅雨明けかと思います。
 近年は異常な高気温やけた外れの豪雨などに加え、北朝鮮をめぐるアジアの不安定な政治情勢と、なんだか物騒な世の中になったように思われます。
 HP石黒の昔の暮らしも立ち上げから14年目に入りましたが、管理人が心身ともに老化が進み皆様のご期待に沿えないことが多く申し訳なく思っております。中村様のように情報をお送り下さる方々の御蔭様でなんとか継続している状態です。何卒、今後ともよろしくお願い申し上げます。
編集会 大橋寿一郎




 5月10日投稿されました大橋末治さんの「ひとらごと」を拝読し、大橋さんのご意見に賛同しました。
 私は昭和22年、戦後の生まれです。戦争体験や留守を守られた方々のご苦労は知る由もありませんが、私の父は召集され終戦後帰国して間もなく結核を患い50歳で亡くなるまでほとんどを病院で過ごしました。たまに外泊が許された時や母と病院に見舞いに行く時に会えるくらいで父との会話はほとんど記憶に残っておりません。
 外泊時に親戚の家がお店をやっており、その店で饅頭を食べたこと、見舞い時に近くの小川で沢蟹を取ったことは覚えております。母は私、弟、舅、姑を抱え朝から夜遅くまで、父の入院費(いつごろかは忘れましたが、国が傷病手当という事で無償になりました)や生活費に苦労し、自分の親や兄弟にお世話になったことは幼心に焼き付いております。それでも、生活保護を受けると子供達がかわいそうだという事で、必死に働いておりました。
 そんな状況でしたので、戦争体験のことはほとんど話題にはでてきませんでしたが、母から昭和20年8月5日前橋大空襲の恐ろしさは度々聞かされておりました。B29戦闘機約90機が焼夷弾で前橋の65%が火の海と化し、約535名の尊い命が失われました。母の実家は町から少しはずれたところにあり難を逃れたそうですが、逃げ惑う人々の姿は脳裏に焼き付いて時々夢でうなされていたのを覚えております。
 母は平成22年に亡くなりましたが、年に何度か前橋の上を夜中に米軍機が訓練のため、轟音を響かせながら通過するとき、とても怖がっておりました。少し痴呆が入ってからもそのことは変わりませんでした。
 大橋さんがおっしゃる通り、二度と戦争はやってはいけないし。憲法9条の3項追加、とんでもありません。

 添付しました写真は昭和51年に空襲で亡くなられた方たちのために建てられた碑文です。私も母の代わりに散歩時にお参りをして、今生かされている者として、感謝申し上げ成仏されますよう祈願しております。
中村清さん  群馬在住 受信2017.5.16

 中村様、いつもお便りありがとうございます。8月5日の前橋空襲は長岡空襲の4日後だったのですね。御母上の空襲の体験、御父上の戦病死、その後の御苦労はいかばかりであったかと想うと心が痛みます。
こうした戦争体験も時代と共に薄れていきつつありますが、二度と戦争の悲劇は繰り返してはならないと思います。空襲で亡くなられた方の碑の写真を拝見し、各地にある戦争記念碑も住民みんなで大切に保存するとともに、御寄稿いただいたような戦争体験を文章や対話を通して語り継ぐこともとても大切なことを改めて痛感させた頂きました。
ありがとうございました。





昨日、大阪高槻市にお住まいの中村恵治さんの投稿で私の先祖に関する情報をいただきありがとうございました。いまある資料の中には残念ながら「馬蔵」さんに関することは発見できませんでした。「清蔵」「虎蔵」「嘉蔵」は確認できましたが・・・いづれにしろそのことを恵治さんが頭の中に入れていただき気にかけていただいたことがうれしく感謝いたします。

 また、明石市在住の「ほしば」中村忠雄さんからも平成27年にお墓の写真とともに情報をいただいたこともお礼申し上げます。これからも皆様のお力をお借りできればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

中村清さん  群馬在住 受信2017.4.13


 いつもお世話様になります。4月11日(火)に板畑に行ってまいりました。群馬は朝から本降りの雨で真冬並みに寒さでした。水上での気温は3度しかありませんでした。トンネルを抜け、湯沢あたりは8度もあり雨も小降りで助かりました。周りの山々はまだ雪化粧で迎えてくれました。
 昨年の10月に3年ぶりに伺って以来でとても楽しみにしておりました。残雪の街道を進み板畑の中村稔さん宅についたころは、みぞれ交じりの雨になっておりましたが、稔さんご夫妻がお墓の周りの雪かきをしておいていただいたのでご先祖様にご挨拶ができ感謝いたしました。今回は、今まで一緒に伺っていた私の友人夫妻も、親の介護も終わり、久しぶりに同行してくれ、稔さん夫妻も喜んでくれました。また、今ひとつ稔家との関係がはっきりしていませんでしたが、私の叔母の中村キヨが嫁いだ中村健治さんと稔さんが従弟関係であるということでまた一つ糸がほぐれたようですがすがしい気分になりました。秋に伺えることを約束 し板畑を後にしました。
 添付写真は中村稔宅から、残雪の黒姫山をバックに写したもので、隣りにいますのが私の家内です。
  また、もう1枚は、群馬が生んだ詩人萩原朔太郎の生家の一部を今まであった場所から前橋文学館の近くに移転したものです(4月8日にお披露目する前、完成時に写したものです)一番手前が書斎、真ん中が客間、後ろの土蔵は作品を火災等からまもるためのものだと案内がありました。
 
 今年の春は日により、また朝晩の温度差が激しいようです。みなさん体調管理にお気を付けいただきお元気でお過ごしください。
中村清さん  群馬在住 受信2017.4.13

 中村様、いつもお便りありがとうございます。この度は、板畑に、ご夫婦でおいでになられたとのこと、お元気でなりよりとうれしく思います。石黒も、今日(4/14)より漸く気温か上がりましたので、草木の芽吹きも急速に進むものと想われます。
 板畑は残雪は多いのですが、ブナの若葉が今春は他集落より早いとの稔さんの奥さんがお聞きししました。私も昨日、石黒に行ってきましたがブナは上・下石黒や寄合では早生のブナの数本が開いているのが見られたばかりでした。
 ところで、この度、中村恵治さんの話題提供から、皆様の先祖の話が展開しましたこと、私も興味をもって読ませていただきました。
 私は今石黒の古文書の読解掲載に努めておりますが、残念ながら板畑の庄屋中村治平家の文書は拝見しておりません。機会を見て是非お願いして見せていただきたく思っております。
 もともと、コメント広場は、皆様からこのような情報交換をしていただきたく開設したページですので編集会ではうれしく思っております。
 どうか、中村様、奥様ともどもお元気似てお過ごしください。
    編集会 大橋寿一郎



 いつも、石黒通信を楽しみに見せていただいており有難うございます。
 石黒の懐かしい人たちの映像を見せていただくと、皆さんのお元気なことには感心させられます。
 そして、大阪にいながら、上石黒は○○㎝、板畑は○○㎝と積雪量まで知らせていただき故郷の状況がよくわかります。
 実は、昨年10月頃にランを取りに板畑に行ったとき、積雪計を立ててほしいとの要望があり、ちょっと長すぎる積雪計を立てて来ました。長すぎる(6.5m)ので短くすると言いましたら、せっかくだからそのまま立ててほしいとのことで
そのまま立てて来ました。この目盛の最上まで雪が降ったら、ここには住んでは居られないね、などと談笑しながら立ててきた次第です。さいわい、石黒だよりでお知らせくださる積雪は今年は少なく胸をなでおろしております。
 ところで、私は趣味で洋ランを育てていますが、その中には夏の高温を嫌う種類もあり(リカステ-下写真)、板畑の嶽を借りてそこで避暑栽培(山あげ)をしてきました。気候にあったのでしょう。非常によく成長していました。板畑に感謝の意を表そうと東京ドームの世界ラン展に出品しようと思っていたのですが、開催時期と開花満開のタイミングが合ず出品を断念しました。是非、今年も挑戦をと思っています
                     リカステ

 ちょっと、我が家の庭の春を紹介します。
 ジザクラの紹介が「ふるさと石黒の春の妖精たち」でありましたが私も20株前後ありますが花は終わりました。板畑産のものが5~6株、地蔵峠で採取したものは純白でお気に入りの株でしたが残念ながら枯らしてしまいました。同好会の人いわく山採り株は気候に慣らせるのが大変であり枯らすことが多いとのことでした。
 他にゼンマイ、ショウジョウバカマ、イワカガミ、シュンラン、黒姫神社下のイタカイデ、地蔵峠のアカマツ(石黒の山を荒らしてすみません)それから、上石黒の屋号アタシャのオンコのことが紹介されていたのを見て、それからオンコに魅せられ集めておりますが園芸屋さんいわく大阪では育ちにくいとのことです。(暑すぎ)雪割草も同じと思います。
→スライドショー「わが家の庭の草木」
 余談で、すみませんが中村忠雄さん、今までマツエヤ(屋号)の忠雄さんとばかり思っておりました。母が岡野町から嫁いでこられたとありましたのでそう思っていました。いつか、ホシバさんと知りああそうかと思いました。私が大阪に来た頃、イサミさんが私の父と板畑の同級生ということで父の所に遊びに訪れられた事を思い出しております。47年前です。
 それから、中村清さん、中村馬蔵という名を聞いたことはありませんが、馬蔵さんは私の母(明治38年生まれ-実家は八右衛門)がおじさん(馬蔵さんの弟)が前橋に行ったということは聞いております。(まったく根も葉もないような余談ですみません)
 次号の石黒だよりを楽しみにしております。山菜取りを兼ね積雪計のペンキ塗りの帰郷を楽しみにしております。
 中村恵治さん  大阪高槻市在住 受信2017.4.12


中村様、お便りありがとうございます。お元気でご活躍の御様子何よりであります。
先年は地蔵峠の御堂の抜本的な修復をしていただき有難うございました。お手紙によりますと昨年10月に帰郷され、板畑の積雪計を立てくださったとのことご苦労様でした。
 新潟地方も桜の満開の一歩手前で、ここ数日冬並みの低温で今週の週末が見どころとなるのではないかと思っております。先刻、板畑の区長の中村稔さんに電話で問い合わせたところいまだ残雪が70㎝もあるとのことでした。
 なお、お送りいただいた御宅の庭の現在の草木の紹介は枚数が多いので、簡単なスライドショーにして紹介させてもらいました。ご了承ください。
 大阪から故郷石黒を愛して色々ご奉仕を下さる貴兄には心より敬意を表しております。
そのうちお会いできることを楽しみにしております。
どうぞ、お元気にてご活躍ください。
編集会 大橋寿一郎






 いつも、HP石黒の昔の暮らしをご覧いただきありがとうございます。
 4月に入り、石黒の残雪も急激に減少しております。とはいえ、4月7日現在、上石黒20㎝、板畑100㎝ほどで昨年より10日ほど遅れております。ブナの芽吹きも間もなくとは思いますが来週には開き始める事と思います。
 ところで、今日、PC勉強会の方で、昨年の石黒地区のカラムシ街道市のビデオを作ってくださった方おられました。さっそくお願いをしてリンクさせていただきましたので、ご覧いただければ幸いです。
 来週には、春の故郷だよりをお届けする予定です。皆様からも御地の春だよりをお待ちしております。
2016カラムシ街道←クリックしてご覧ください。
 なお、サイト表紙にても紹介しましたが、「ふるさと石黒の春の妖精たち」もご覧いただければ幸いです。

   編集会 2017.4.8 発信


 いつも古里の情報をありがとうございます。
 昨年の今頃は群馬の山間部は、小雪でしかも雪解けが早く、田植えや、夏の水不足(実際取水制限がありました)が心配とお便りしましたが、今年は山間部の雪は例年より多く、その心配はなさようですが、逆に私どもが生活している群馬県南部は年明けから、雨らしい雨が降らず、平年の3~6%の降水量とのことです。インフルエンザやノロウイルスも猛威をふるっております。
 ここにきて、先週に少し雨が降り、きょうはまとまった雨になりホッとしております。葉物野菜には本当に惠の雨です。
 石黒地区はいかがでしょうか、ゆっくり春に向かっているでしょうか。HPを楽しみにしております。皆様健康に注意されお元気でお過ごしください。
中村清さん  群馬在住 受信2017.3.22


 中村様、お便りありがとうございます。お元気の御様子何よりと存じます。いつもHPをご覧いただき、こうしてお便りを頂戴することが編集会にとっては何よりの励みとなります。
 お便りによりますと、御地では例年にくらべ今冬は極端に少ない降水量とのこと、3~6%とは驚きました。柏崎地方は海岸部は小雪で、除雪機が家の前の道を通ったのは1回だけでしたが、石黒では上石黒でも最高積雪が2mを越えたので、いわゆる山雪だったようです。ようやく、彼岸の中日も過ぎこれからは石黒も一日一日と春の訪れが感じられることと思います。一昨日、石黒に行きましたが、満開のマンサクの花に出会いしばらく見とれていました。
 インフルエンザが流行っているとのことですが、どうぞ中村様、ご家族の皆さまご健康に留意してお過ごしください。


   マンサクの花 2017.3.20 下石黒



石黒通信ご担当 様
 遅れての新年おめでとうございます。石黒通信を継続発信して頂き父や母の生まれ育った土地の出来事を知ることができ大変感謝しております。
 昨日、日本列島全体が寒波に襲われ各地で積雪があり困っていると
TV 報道でした。
 多分、父が生まれ育った板畑は雪に埋もれているのではないかと気に掛かりました。私の住んでいる明石市の西端(JR土山駅の直近)では、昨朝
7時頃から9時頃まで小雪が舞い薄い雪景色となりました。この冬初めての
雪でした。
 自宅の通路(6F)から撮った写真を添付します。(下写真)
此方は、この様な景色が冬に2回位で雪をみることがありません。
今年も石黒通信の発信よろしくお願いします。


中村 忠雄さん 明石市在住  2017.1.16受信


 あけましておめでとうございます。
 いつもお便りをいただき感謝申し上げます。本年もよろしくお願い申し上げます。
なお、おたよりの掲載が遅れ申し訳ありません。
 柏崎市も去る14日から降り出したドカ雪で市街地も50㎝ほど、石黒では150㎝を越える雪となりましたが、その後、陽気が緩み現在では大分少なくなりました。
 御地では、珍しく降雪があったとのこと、太平洋側の冬は私たちには羨望の至りであります。
 今回の降雪についての石黒の詳しい情報を石黒通信で発信しておらず申しわけありません。明日にでも情報を得て発信したいと思います。
 そちらも降雪はなくとも寒さは厳しいことと存じます。どうぞご健康に留意されてお過ごしください。
編集会 大橋寿一郎


 



「明けましておめでとうございます。
 本年も宜しくお願いいたします」。
 珍しく降雪の少ない年明けですが、これからが本番ですからねぇ!
 今年に入って、お身体の調子はどうですか?大腸の直腸が良くないそうですけど、立ってお仕事されているのはとても難儀でお辛いでしょうね!!気を付けてはおられるでしょうが無理をなさらないようにしてください。
冬休みも終わり子供達は今日から学校や園が始まりました。
明日は主人が予約で病院に行く日ですので、私も付いて行きます。
私達も、年齢的に持病がなくても貴方さまが言われるように老化と共に
大なり小なり、体のあちこちに不具合が出てくるのは仕方ないですねぇ・・・
 センダンの実は初めて見ました。この辺にもあるのかどうか?
気を付けて見直したいと思います。
 釜坂峠の改装道路はえらく立派になりましたね。荷物を背中に背負って
峠越えした昔が懐かしいですねぇ~~~~~~!笑み
ではまた。
大橋洋子さん  福島在住 受信2017.1.11



 あけましておめでとうございます。
 いつも、HPの制作ではお世話様になっております。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 当方も、今冬は「平成の年表」を是非まとめたいと思っております。古代・中世・近世・明治・大正・昭和・平成と通した年表をつくり、石黒地区、高柳地区、柏崎市、新潟県、日本、世界の主な出来事を記載し、備考欄には関連資料のリンク表題をセットできたら結構楽しい故郷の歴史年表ができるのではないかと思っています。
 勿論、素人が作る年表にすぎませんが、故郷石黒の歴史を楽しく見ることができれば何よりと思っています。もともと、本サイトそのものが、このような発想で作られております。どんなに学問的な価値のある内容であっても、読んだり見たりしてくれる人がいなければ、これだけの労力をかける気力も体力も出ないと思います。
 御心配いただいている持病も、立座でPCに向かって悪化を防いでおります。一日8時間を越えますので入浴時に足を見ると、大きくむくんで他人の足のようにに見えます。

 実は、上写真の左側に立ってノートのキーボードから入力しています。PCはこのほかタブレット型のサーフィスを携帯用に使っています。数台を同時に使うと仕事の能率は上がりますがトラブルも多くなります。とくにWindows10に変えてから、厄介な問題が度々生じて時には丸1日修復にかかることも珍しくありません。年々、歳とともに細かな仕事ができなくなりつつあり心配です。
 余計で詰まらいなことをことを書いてしまいましたが、お尋ねの庭木のセンダンはよく見られる木なので御地にもあると思います。大豆のような白い果実が沢山ついている今が探すにはよい時期かと思います。
 寒さの厳しくなるのはこれからですが、どうぞ、お二人ともどもお体を大切にお過ごしください。
 編集会 大橋寿一郎




  謹賀新年
  新春のお慶びを申し上げます
  本年もよろしくお願いいたします

 平成29年は静かで暖かな三が日でした(三月中旬の頃の気候とのことです)。昨年は11月に積雪を記録したりしてどうなるかと思いましたが、今のところ暖冬傾向です。
 昨年は久しぶりに墓参りができ、12月18日~19日は新潟市行ってまいりました。湯沢あたりから雪景色でしたが、燕三条からは全く雪はありませんでした。想像以上に暖かな日でした。中村稔さんに電話しましたら板畑もまだ40㎝くらいの積雪で助かると申しておられました。

 今年も「石黒の昔の暮らし」でいろいろな情報をいただくことを楽しみにしておりますのでよろしくお願いいたします。
 添付しました写真は以前紹介していただいた、熊野神社の正月桜の映像です。
  中村清さん  群馬在住 受信2017.1.1

あけましておめでとうございます。
昨年中はお便りをいただきありがとうございました。
 今年もよろしくお願い申し上げます。編集会も皆様に故郷情報をお届けするとともに故郷の昔のくらしの記録の充実に努めたいと思います。
 何卒、ご指導、ご協力をくださいますようお願い申し上げます。
編集会 大橋寿一郎


 明けましておめでとうございます。
 昨年は色々お世話になりました。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 ホームページの更新、楽しみにしております。


大野るみえさん  神奈川在住 受信2017.1.1

 あけましておめでとうございます。
 昨年中はHP「石黒の昔の暮らし」をご覧くださってありがとうございます。
 大野様のように特に石黒とかかわりのない方に本サイトをご覧いただいていることは、本当にありがたいことと感謝しております。
 今後もよろしくお願いいたしますと共に忌憚のないご指導をお願い申し上げます。
編集会 大橋寿一郎


 
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