ウルシ〔ホンウルシ〕
暮らしとの関わり
 筆者が子どもの頃(1940代)には、ウルシカキ(ウルシの樹皮からウルシ液を採取することを仕事にする人)が、毎年6〜8月頃にやってきた。
 ウルシカキは、ウルシ鎌という道具で右上・中の写真のように木に切り目をつけて、そこからにじみ出るウルシ液をヘラでかき取った。
 採れたウルシ液(漆)は缶に集め、その代金を支払った。けっこう良い値段であったため、ウルシの木が多くの家で植えられた時代もあった。
 ウルシ液の採り方には、一度に採られるだけ採って木を枯らしてしまう方法と、加減して何年にわたって採る方法があるが、筆者の家の木は後者であった。
 とはいえ、数年で枯れてしまったが、その枯れ木をハサ竿に利用すると軽く、そのうえ驚くほど長い年月腐食することなく使えた。
 筆者の家でも数本使っていたが灰色がかった裸幹の上にウルシを掻き取った溝が残っていたことを憶えている。
 このように、ウルシの木は腐敗しにくく長持ちするので杭などにも使われた。
 しかし、ウルシにかぶれやすい人にとっては、ウルシは、木の下を通っただけで症状が現れることもある恐るべき木でもあった。
 ちなみに、ウルシは縄文時代以前に朝鮮を経て渡来し、7世紀にはすでに栽培されたと伝えられる。
 だが、もともと日本には自生していなかったと言われたが、実は日本に自生していたウルシがあって、漆器も中国最古の出土に先立つこと2千年、実に9千年前のものが北海道で出土したという記録もある。(下※参照)
 ちなみに、江戸時代、漆器などの漆工芸品はヨーロッパでは人気があり、日本の主たる輸出品の一つでヨーロッパにおいては、この日本の漆塗りの工芸品を「Japan」と呼ぶようになったと言われる。

 また、ウルシの実はロウソクの原料として暖地のヤマハゼとともに江戸時代から明治時代に至るまで貴重な産物であり、幕府は年貢としてウルシの実を徴収した。そのために各藩ではウルシの植林を推進し、会津藩に関しての資料によれば、1639(寛永16)年に203,109本であったウルシの木が、1738(元文3)年には1,750,192本と、8倍以上増加している。(参照−国史大辞典) 高蜥ャの山中の古文書に山蝋上納の受取り覚書が見られる。→古文書写真

 一昨日(2011.11.5)の新潟日報にも次の様な記事が掲載されていた。
 「福井県若狭町の鳥浜貝塚で出土したウルシの木片が、世界最古となる約1万2600年前のものであることが分かった。東北大学の鈴木三男教授(植物学)らの研究グループが6日、青森県弘前市で開かれた日本植生史学会の大会で発表した。
 これまでウルシは大陸起源で、大陸から日本に持ち込まれたとの見方が強かった。今回の発見で、その交流が縄文時代草創期から始まっていた可能性が出てきた。一方で交流がなかった場合、これまでとは逆に、ウルシが国内に自生していた可能性も出てくる。
 鈴木教授は「データが少ない現状では断定はできないが、日本の漆文化のルーツを考える上で重要な研究」としている。」

補説資料→ウルシかき
 昔からウルシが「四木三草-シボクサンソウ」の四木の一つに数えられていたことがうなづける。

 写真上2005.8.10上石黒・上右上2006.7.12下石黒・上右中2005.8.10板畑・上右下2006.10.17落合


             葉と花序の長さ

写真2005.8.10上石黒

            枝葉の様子

写真2005.8.10上石黒

             紅葉

写真2009.10.28大野

        種子をつけたウルシ

写真2009.12.8上石黒

解 説
ウルシ科
 北海道から九州まで分布する雌雄異株落葉高木。栽培種。
 高さは、やく10mほどになる。樹皮は灰色で表面は粗く、縦に不規則に割れ目が入る(下写真)
 葉は奇数羽状複葉互生し長さ25〜40p。小葉は9〜15枚で長さ7〜20p。先端は鋭く尖る。
 秋は紅葉が美しい。
 花は6月頃に葉の付け根につき花序の長さは12〜25pで小花がびっしりとつく。花序の長さは葉の半分くらい。
 果実はゆがんだ球形で房状に垂れ下がってつく(下写真)。径約7o。
 ヤマウルシとの区別は、大木になること、葉の最下部の一対が小さくならない、果実に短い毛がないことなどである。



       葉の形

写真2011.6.17下石黒

        幹の様子

写真2011.6.17下石黒

      種子拡大

写真2009.12.8上石黒

      果実と種子
写真2009.12.8上石黒

     果実期の姿

写真2011.11.4寄合