ヤマユリ
暮らしとの関わり
 ヤマユリは、夏になると山道沿いの草ヤブに普通に見られるがその花は美しい。まさに夏を彩る花の王者といえよう。→参考画像
 花は、野草の花の中では最も豪華であり、昔から田畑のまわりの草刈りをするときは、コオニユリやヤマユリは残しておいたものだ。
 球根は、コオニユリとともに食用にされた。正月の祝い膳では吸い物のツマにヤマユリの鱗片が使われた。〔年中行事〕 食用に育てるためには、あらかじめ蕾を摘み取っておくと球根が大きく成長した。
 昭和20年(1945)前後、全然、砂糖のなかった頃、筆者の子どものころは、ヤマユリの花を争うように取り、花弁のつけ根の蜜をなめた。花弁のつけ根には、小さなしずくのように蜜がついていた。強い香りとともにさっぱりした甘みが今も記憶にある。
 また、花粉を衣服につけないように注意したことも忘れない。白いシャツなどに付着すると、洗濯してもなかなか落ちないので親に叱られるからだった。
 かつて石黒の山小屋の周りに数株のヤマユリを移植したことがある。3〜4年ほどで植え替えをしたところ、鱗茎は2〜4個に分かれるため数十株に増えてしまった。
 夏にはいっせいに開花し日中にはキアゲハやクロアゲハが集まってきた。開花時に庭に出るとあたりにヤマユリの香りが漂っていた。
 特に夜は香りが強烈であった。これは暗いために人間の嗅覚が本能的に鋭敏になるためであろうと思っていたが、最近、ヤマユリ自体が夜は特に香りを多く発散させる性質があるというデータに接して意外であった。夜に訪花するのはスズメガの類であろうが、一度も見た記憶がない。
 〔※ これらのヤマユリも、花粉が衣服に付着するため、ほとんど掘り起こして周りのブナ林の縁に移植したが数年で衰えて今では数株のこっているのみである〕
 また、ヤマユリは柏崎市の市の花に指定されているだけにほぼ全市にわたって自生しているようだ。
 今日、石黒の生家の屋敷跡に育てたヤマユリの球根を堀あげた。茎の高さは225pほどあり球根の直径は13pほどあった。よく見ると球根の基部にムカゴのような形のものが2個並んでついていた。(下写真)

(写真上・右上2005.7.26板畑 右下2005.1.8下石黒 )


             つぼみの頃

写真2014.7.23下石黒

                 花-1 

写真2005.7.25大野

                  花-2

写真2014.7.21米山小潮風フラワーズヒル

              葉の様子

写真2007.1098下石黒

       茎の高さが225pに達したヤマユリ

写真2015.11.12下石黒

種子の散った後の果実 秋の球根
写真2004.12.29下石黒
写真2008.11.6下石黒
   
開花から3〜4年ほどで大きく生長した鱗茎は手で割ると下写真のように2〜4つに分かれる。このくらいに成長した鱗茎球根をそまま植えておくと、球根は自ら世代の交代を行いマッチの軸ほどの太さの芽が1〜2本出て古い鱗茎は自然消滅するようだ。〔筆者の観察から〕
  写真2008.11.6下石黒 ※半分にした鱗茎

  球根の基部にムカゴのようなものが見られる

写真2015.11.12下石黒

             さく果と種子

写真2009.11.29板畑 政栄


解 説
ユリ科
 本州近畿地方以北の地方に自生する日本特産のユリ。
 鱗茎は径6〜10p〔左下写真〕。食用となり縄文時代にすでに食用にされていた伝えられる。発芽から開花までには5年ほどかかる。
 茎の高さは高さは1〜1.8m。
 葉は、茎に散在してつく深緑色で細長く、長さ15〜20pで短い柄がある。
 花期は7〜8月。径15〜20p。茎の先に1〜20個ほど花を横向きにつける。花披片の先端は外側に反り返り白色で内側には赤褐色の斑点と中脈に沿って黄色の帯がある〔下写真〕。基部の内面には多くの突起がある(下写真)
 雄しべ6個、雌しべ1個、雄しべは花披と同じ高さでは長さ2pほどある〔上写真〕。花は強い香りを発する。
 さく果は長楕円形で長さ5〜8pで多数の種子を入れる〔左下写真〕
 名前の由来は山中に生えることによる。



 花披の黄色帯と斑点と突起

写真2009.8.3下石黒


    ヤマユリの若芽

写真2006.5.15落合

      葉の大きさ

写真2014.10.10上石黒

       蕾の頃

写真2008.7.6下石黒

    ヤマユリの草姿

写真2005.7.25大野
※これくらい花がつくと花の重みで傾いたものが多い。

        さく果

写真2011.10.8下石黒

        さく果
写真2009.11.29板畑 政栄

 
 昨日(2017.8.26)に読んだ北条村佐藤家の古文書の中に、西方寺に高柳産の百合根の譲受願いの文があったので、その部分の抜粋を参考までに掲載した。→参考資料
 今日(2018.7.10)読んだ石黒資料館所蔵「覚」(居谷村文書)の中にもユリの代金を御用金から差し引いて清算してほしいとの文面が見られた。→参考文書