ケイヌビエ | |
暮らしとの関わり 古老の話によると、昔〔1920代〕、石黒では田に生えるケイヌビエの外に「オカべエ-オカビエ」と呼ぶヒエが見られ強害草であったと伝えられる。 このオカビエは、種子も大きく茎も太く高かったが、その後はだんだん減少して今では見当たらない種であるといわれる。 古老からの聞き取りによるとこのオカビエは栽培種のハタビエに近い種であるように思われるが、昔に栽培されたものが野生化したものとも想像される。 栽培種のヒエ(ハタビエ)は、明治初期には日本中で10万ヘクタールも栽培され終戦頃も3万ヘクタールほど作らていたと伝えられる。干ばつや寒冷に耐え病虫害にも強かったため救荒作物としても優れていたのであろう。 村の古老が祖父母から聞いたという話では石黒でも昔は栽培され、主に粉にひいて団子などにして食べたものだという。筆者も中学生の頃に祖母からヒエを食べた話は何度か聞いたことがある。 ちなみに、その時に祖母は「ヘイ」ではなく「ヒエ」と呼んだように記憶している。今にして思うと、雑草のイヌビエなどは「ヘイ」と呼び、栽培種は「ヒエ」に近い発音で呼んで区別していたように記憶している。この点について、今後、聞き取りをしてみたい。石黒の古文書を読むと稗田という言葉がしばしば登場する。今日(2017.3.12)、読んだ文書の表題は「丑暮より二年季に売渡申す稗田の事」である。 ところで、田の害草であるケイヌビエは、姿と生長が稲と酷似しているため田の草取りで取り残されるものが多かったので「ヒエ拾い」という農作業が行われた。→参照 四季の農作業 (写真上2005.9.10大野 右上下2005.8.24) イネに混じって生えるケイヌビエの様子 撮影2009.9.5撮影地不明〔市街地周辺〕 雌しべと雄しべ 撮影2005.8.25大野 小穂のつくり 撮影2009.9.30下石黒 放棄田に生えたケイヌビエ 撮影2009.10.3上石黒 群生 写真2014.9.20 市街地周辺 写真2015.9.23国道八号線バイパス予定地藤井地内 背景黒姫山 |
解説 イネ科 北海道から九州の水辺や湿地や水田に多く見られる一年草。形はイヌビエより大型で高さが80〜100p。 葉は、互生しやや線状皮針形で先は次第に細まって尖る。縁には細かい鋸歯があり基部は長い鞘〔さや〕となる〔下写真〕。葉舌はみられない〔下写真〕。 花期は8〜10月。茎の先端に15〜20pほどの粗大な花〔円錐花序〕をつける。小穂には極めて長い芒〔のぎ〕があり、紫褐色で目立つ〔上写真〕。小穂は1花からなり第一包穎は細小で、第二包穎と護穎は硬質である。雄しべ3個と1個の雌しべがある〔左写真〕。 イヌビエ、タイイヌビエなどとの中間種もあり区別は容易でない。 名前の由来は、毛のあるイヌビエ(食用にならないヒエ)という意味。 葉の基部の鞘-葉舌はない 撮影2009.8.23下石黒 株の様子 撮影2009.8.26下石黒 果実期 撮影2008.11.5下石黒 |