田打ち・田こぎり
                            田辺雄司
 当時(昭和30年代まで) は、雪消えを待って田の水を払い田打ち作業を始めるのでした。田打ちは三本鍬万能で、前年の稲株を1株か2株ずつ起こすのですが、三本鍬は稲株が上になるように打ち、万能はひっくり返すようにして打ちました。
 三本鍬と万能では柄と刃の角度に違いがあります。具体的には、万能の方が直角に近い角度であり、この角度の違いが上記の打ち方の違いと関係があるのです。(※上記の三本鍬、万能をクリックして比較してみてください)つまり、三本鍬は打った株を自分の前に持ってくるように打ち、万能はその場にひっくり返して置くように打つのでした。田打ちの時の姿勢も刃の角度の直角の万能は腰をかがめずに仕事が出来るので楽でした。
 その後、
馬耕による田打ちも一部の農家で、一時行われましたが耕耘機が普及するまでは、おおかたの家では、すべて鍬を使って手で田打ちをしたのでした。
 田打ちが終わると再び水を張って雪に押されて堅くなった田の土を柔らかくしておいて小切るのですが、これを「田こぎり」と呼びました。
 田こぎりは水を張っておいての仕事ですから水が手前にはねて泥水でびしょびしょになります。そのためヒロロで作った前回しをつけて作業をしたものでした。それから、数人で作業をするときには必ず調子を合わせて行い、とにかく株の根の土をまんべんなく落とすようにしました。この作業をしておくと後日の田かきが楽にできたのです。
 しかし、馬や牛が行けない田は土を詰めた小型の俵を作り2、3人で引っ張って田かきをしました。土がどろどろになったところで田ならし板で平らにするのですが、小さな田は鍬でこすってすませたものでした。
 一方、馬耕で田打ちをしする時には下図のような「小切れマングワ」という道具を馬にひかせて縦横1回ずつ行い、続いて田かき用のマングワに付け替えて作業をしたのではかどりました。

田かきは、田かきマングワを馬に引かせて縦横2回ずつおこない最後に2mほどの板をつけて田の土を平らに仕上げるのでした。
 しかし、昭和37年頃から耕耘機が普及して1人で各作業ができるようになり大変楽になりました。忙しい時には暗くなってもライトをつけて仕事をしたものでした。
 耕耘機による作業は、馬を使った作業より仕事がはかどるばかりでなく、馬の餌にする毎日の草刈りの必要がなくなったことも大きな仕事の軽減となりました。