三本鍬〔くわ〕     
 石黒では、昭和の初めごろまでは、三本鍬は主に田打ちに使われた。いわゆる備中鍬と呼ばれる鍬の一種である。
 柄が短く刃の角度の関係で前屈みの姿勢になること、その上、鉄製の鍬刃の部分が頑丈にできているため重量があり力を要する仕事であった。〔打ち下ろす時には楽であるが・・〕
 しかし、その後、石黒にもマンノウが普及すると三本鍬に代わって使われるようになった。マンノウは刃数が4本で、柄が長く、鍬刃が柄に対して直角に近い角度で取り付けられているために腰を曲げずに作業ができた。
 しかし、三本鍬は稲の株を掘り起こして手前に動かすので田打ち後も稲の切り株が上を向いているため、その後の田こぎりの作業はやり易かった。それに比べ、マンノウは稲の切り株をひっくり返すため株の部分を細かくする作業には適さなかった。
 とはいえ、石黒の田は天水田が多く一年中水を張っておくので土が柔らかくマンノウを使って田打ちをする人がだんだん多くなった。
 マンノウは、乾いた土を打つおこす時には三本鍬に比べて華奢なため刃が曲がるなど留意しなければならなかった。
 三本鍬は、その他サトイモやサツマイモ堀にも使われた。
 ときには、畑の土を打ち起こす時にも使うこともあった。
 また、ウマエゴ(馬の敷きワラから作った堆肥)を動かすときにも使った。
 ちなみに、このような鍬の原型は稲作の始まった弥生時代に作られていて、ほぼ同様な形であったことが出土品から分かる。