干し草(家畜の飼料)刈り
                            田辺雄司
 朝、4時半、起きて庭に出る。東の空は紅く今にも陽が山の端に現れる寸前だ。頭上の空は晴れ上がって雲一つ無い。今日も暑いぞ。家に入って朝飯を食べる。いつもの通り雑炊に地炉(囲炉裏)で焼いた粉餅だ。
 食べ終わると庭で鎌を研ぎ、冷たい水を入れた一升ビンを2本背負って草刈り場の山を上る。朝露でひざ下はぐっしょりと濡れる。草刈り場に着くと一ぷくしてから2mにも達した草を刈り始める。
 堅い草を根元の方を左手で押さえて右手で鎌で叩くようにして刈り取った。
 刈り取った草はそろえて横にして置く。こうして2mほどの幅で山の斜面を水平に刈って行くのだった。草刈り場の傾度は急なところは80度もあり、そんな場所は鎌の先で足場の穴を掘りながら滑り落ちないように注意しながら刈っていく。こんな所はボロボロの地下足袋は中に泥が入り滑るので、素足で作業をすることもあり足の平は草の切り株で傷だらけになった。
 また、昼近くになり気温が上がると上半身裸で作業をすることも多かったが、怪我をしたり日射病になることはなかった。
 ただ、蜂が草に巣をくんでいて、体のあちこちを差されることはあったが、そんな時はヨモギドクダミをもんだ汁をつけておいた。草刈りで、みんなが一番おそれたのはマムシに噛まれることであったが草刈りで噛まれたという人は希にしかいなかった。順番に草を刈っていくとマムシは人の近づく気配を感じて逃げ去るからだろう。
 しかし、時には、2〜3匹のマムシを捕まえることもあった。捕まえたマムシは生かしたまま一升瓶に入れて持ち帰り一週間ほど水を毎日入れ替えてマムシの腹のなかをきれいにしてから焼酎を入れて「マムシ焼酎」を作った。マムシ焼酎は涼しい縁の下などに長年保存しておいて、腫れ物や歯痛などの薬として使った。今日でもマムシ焼酎を腫れ物の薬として使っている人もある。
 また、山に行くときには、ズンギリ(タバコ道具)の中に六神丸(富山の薬売りが置いていく薬の一つ)を入れて行く人もいた。
 こうして、草を刈り倒して3日ほど置くと夏の天日で草はカリカリに乾燥した。それを4日ほど後の午後から沢山のツナギを背負って草刈り場に行き乾燥した草を集めてツナギで束ねて山の斜面をコロコロ頃がして落として一個所にあつめ馬や牛の通れる農道まで運び出すのだった。
 真夏の炎天下のこの作業は今でも、灼熱の太陽とむせかえるような干し草の香り、バリバリとした干し草の感触などマザマザとよみがえるほど辛い作業であった。背負いだすにも背負った干し草の草丈が長いため斜面に作られたせまい道を歩くには横になって歩かなければならなかった。
 一夏に刈った干し草の束は1000束にも及んだが、それを全部茅葺き屋の自宅のオオソラ(屋根裏)まで家人4、5人が手渡し作業で上げるのだった。暑い頃の作業でみんな汗まみれになって数時間かかって終えるのだった。
 こうして、屋根裏に収納した干し草は草の上部の柔らかなところは牛馬の餌に、下部の堅いところは囲炉裏の燃料として一冬で使い果たした。
関連資料→刈り干し刈り