刈り干し刈り
                            田辺雄司
 私が小学生の頃(昭和のはじめ頃)は、ほとんどの家で、稲刈りの始まる前だと思いますが刈り干し刈りをしていました。
 刈り干し刈りはボイ山や雑木林を多く持たない家では、どうしても必要な作業でした。中には、大きなニオを2つも作る家もありました。
 オオヒゲナガカリヤスモドキの群生(上石黒)

 刈り干しは、ドウヌゲ(オオヒゲナガカリヤスモドキ)と呼ぶカヤより細く背の低い草で、その中に細い低木が沢山混じっていました。(毎年刈るので低木も細くて短い)ですから、刈り干しを刈る鎌はナタ鎌と呼ぶ、普通の鎌より厚く重くて丈夫な鎌でした。刈るときには力を入れて木も草もいっしょに刈り取り、そのまま広げておいて4、5日干してから、ツナギで束ねてニオに積んでおきました。そして雪の降る前に家の中に背負って運んで取り入れました。
 刈り干しを囲炉裏で燃やす時には、火が元の方へめらめらと伝うので囲炉裏を離れないで燃すように注意しました。囲炉裏のすぐ側には焚き物小屋もあり危険なので、子どもには刈り干しや藁は燃さないようによく言われていたものでした。
 それに、藁や刈り干しを燃すと、御飯の中に燃えがらや刈り干しの葉などが入ることもありました。朝早いので秋などは未だ暗いうちの御飯作りでしたから、仕方のないことでした。石油ランプはありましたがどんなに暗くても朝からランプをつけるようなことは決してしませんでした。
 その後、刈り干しを燃す人は年々少なくなりました。その一つの原因は、火災の危険があったことと、ボイ山を持たない人は村に申し出て重立5人が立ち会いで共有地の山の上から下まで縄を張って区分けをして抽選で分けてボイ切りをするようになったことでした。

 今日では、その共有林も久しくボイを切らないので雑木の中には大木に成長したものもあり、ボイ山の面影もありません。
 それから刈り干し刈りをした山も雑木が繁茂してドウヌキの姿など見られません。