通 信 当時、郵便局は上石黒の屋号「ハツカビロウ」にあった。そこは、エビスヤ商店の脇から入り、神社参道の右手の坂道を上った、上石黒を一望できる高台であった。写真下の向かって左の玄関が郵便局であった。(後に屋号インキョ前の県道沿いに移転)
郵便物と新聞の配達は、下石黒、上石黒、落合、居谷、寄合を上石黒の郵便屋さん(屋号ゴロゼェン)が、板畑、大野は板畑の郵便屋さん(屋号チョウキチその後上石黒の屋号宮ノ下が引き継ぐ)が配達した。 また、石黒、門出間の郵便物の運搬は、下寄合の郵便屋さん(屋号ハッツェン)が請負い、小荷物は村人が駄賃取りで運んだという。
だから、冬季は、郵便屋さんによって石黒・門出間の道つけが行われたと言ってもよかった。「郵便さんが行ったすけ、門出まで買い物に行ってくらぁ」などと頼りにされた。村内でも、とくに学校が休業中など集落間の道つけ役となった。 しかし、厳冬期に猛烈な吹雪が続くと、郵便物は数日にわたり滞ることが珍しくなかった。新聞も1日遅れが普通であり、時には2日以上の遅れが続くこともあった。(当時、新聞を購読している家は数えるほどしかなかった) 電話(写真上)は、役場、農協、学校、郵便局の外、各集落の商店などに1基あるかないかで通信手段としては普及していなかった。 従って、電話を利用することは殆どなく、緊急の通信には電報が使われた。 しかし、昭和42〜44年に農集電話の方式で町内のほとんどの家に電話が架設された。 資料→昔の電報用紙 |