デイ〔出居〕とガンギ
 筆者の生家のデイ〔→参考写真〕についての概略を記憶をたどって書いてみたい。
 私の生家のデイは12畳とその奥に10畳のもう一間あり、そこには書院障子戸のついた床の間と仏間があった。
 今、思うに私の家のデイは屋敷の中で南向きの最も条件のよい場所を占め、最も費用をかけて造られた部屋であった。しかし、普段はほとんど使うことのない部屋でもあった。
 デイが使われるのは、冠婚葬祭時か、菩提寺のお講の時くらいなものであった。寒い冬に御客がデイを使うときには、いくつもの火鉢を置いて御客を迎えた。また、普段、畳が敷いてあるのはこのデイだけであった。
 ザシキに近いデイの間には大神宮様が祀られてあった。また、二間の長押しには弓張り提灯ホラ貝などが掛けてあった。

 デイの屋外に面した場所には幅2mほどのガンギがあり、デイとの間は障子戸であった。また、ガンギには雨戸があり、朝晩に戸袋から6枚もの雨戸を引き出して閉めるのは子どもの役目であった。

  デイに面したガンギ
 また、ザシキに面した部分のガンギは4mほどの幅の出入り口で二段式に造られていて、庭からガンギのタタキに上って靴を脱いで一段上り、更に一段上ってザシキに入るような造りであった。(左写真)
 しかし、ガンギから家族以外で出入りするのは僧侶や医者などの他、本家の主人などに限られており、一般の訪問客はトマグチ(玄関)から出入りした。
 その他、出入りはしないが、富山の薬売りやお茶屋、下駄屋などはガンギに腰掛けて品物を広げて商いをした。ただし、魚の行商はトマグチ(玄関口)の方から入り、ニワの上がり口で荷を広げた。
 また、葬式のときのお棺は冬でもガンギから出した。積雪期には中門と本屋のダキ(屋根の斜面が接合する場所)となり、特に雪が多くたまる場所であったため、掘り出すのは大変な仕事であった。嫁どりで嫁の出入りはこのガンギからであった。
〔文責 大橋寿一郎〕


資料1
 「刈羽郡内の伝統的民家では、居住部を3部屋か4部屋に間取りして、その下手に土間〔ニワ〕や流し〔ミンジョ〕などをもうけます。3室の民家を「広間型」、4室の民家を「田の字型」です。家によっては、中門や中の間などの部屋が加わりますが基本的にはこの二種に分けられます。
 柏崎市と高柳町では広間型が一般的で、一番大きな部屋には囲炉裏〔シンナカ、ジロ〕があります。そして各部屋の用途は、土地が変わっても変化しません。ところが、出入り口としてのゲンカンとトマグチに地域差があったように用途が共通していても部屋の名称が全く異なっています。
 たとえばの、一番大きな部屋をヨコザやヒロマとする柏崎に対して高柳ではデイです。そしてデイの背後には寝室に用いる部屋、ヘヤ〔オオヘヤ〕を配します。柏崎では、寝室はヘヤではなくネマと呼びます。この違いは何を示すのでしょうか。
 
      部屋の呼称の比較
 ここで、デイとヘヤの語彙が注目されます。デイ〔出居〕とは本来寝殿造りで主人が出座して来客や家臣と会見を行った場所を意味しました。一般の民家では、地方により広間の上り口や台所の一部であったりし、一様ではありませんが「客が寄りつく所」という点では共通します。〔中略〕
 そしてこの言葉は柏崎市など海岸部の町村には聞かれず、津南町、松代町など山側の魚沼郡方面に散見されます。
 ザシキ
〔※柏崎市での呼称〕やデイの部屋は、普段は使われることは少ないのですが仏壇や床の間をしつらえ費用をかけて造られていて婚礼や葬式など特別の日に使用します。つまり、家の祭り用であって、機能的には接客・儀礼用の屋内の「ハレの場」なのです。〔後略〕」
 
抜粋 - 「刈羽民家考2」 三井田忠明著


  資料→石黒と鵜川の民家について



資料2
「平安時代、建物の中から外に近い方に出ることを一般に出居〔いでい〕と言ったが、やがて人が常の場所から何らかの用件で一定の場所に移る動作を出居と言い、ついでにそれが転化してその一定の場所を指すようになったと考えられる。
 その場所は通常平安時代の貴族の邸宅では、主人の居間及び客間として用いられたところを言う。寝殿や対〔寝殿の左右に作られる建物→対屋〕が主として公的な儀礼の場であったのに対して出居は日常的な、相対的に見て私的な場所であった。平安時代末期の貴族の日誌によって出居の用い方をみると、私的な面談、着替え、儀式の控え室、和歌の会、元服や着袴のようなその家の子弟にかかわる行事などに用いられていることが分かる。
 また出居は室町の貴族や武家住宅でも用いられており居間兼客間としての性格を失うことはなかった。一方、民家の中の一つの部屋を指す呼称としてもデイ〔出居〕は全国的に分布する。地域によってはデイは最も奥の座敷、その次の座敷は「中の間」などその位置は著しく異なるが基本的には「客と応接できる部屋」であることは共通する。」
〔国史大事典〕