民具補説
                 ドウスとセンゴク
 私たちの子どもの頃(昭和のはじめ)は、秋の天気のよい日に日当たりの良いところにワラを敷いた上にムシロを15〜20枚ほど敷き、ムシロが日光で温まった頃に家の中のタテ(ムシロをつないで輪にしたモミ入れ)からモミを運び出して広げた。
 モミは背負い桶で背負って運んだ。広げたモミは夕方前に早々に家の中に背負い入れた。このような籾干しは天気のよい日は毎日のように親たちがやっていたものだ。
 干したモミは歯でかみつぶして「カリッ」と音を立てて砕けると「よくシタ(乾燥)なぁ」と言って臼ひきに取りかかるのだった。
 ウス敷きはトウド(当働)を2〜3人頼んでドウスという臼にかけてモミガラを取り除いて米にするのだ。ドウスは土で出来ていて周りは竹の皮を細かく割って編んだ物で覆われていたので大変重いものであった。上下の臼の間にモミが入ると滑りがよくなるとはいえ1人で仕事をすることはとても出来ないので3人で回すことが多かった。
 仕掛けは臼の柄を長くして天井に打ち付けた板の円い穴に入れて3人で柄をもって回した。→参照 臼の上の口からモミを入れると上下の臼の間からモミガラと米がバラバラと落ちてくるのだった。それを女衆が箕に入れてトウミにかけてモミがらを飛ばして米だけにするのだった。更にそれをセンゴク(千石)にかけて粒のそろった米とクズ米に分けるのだった。
 供出米に少しでもクズ米が混じっていると等級が落ちるので供出米は特に注意した。選別の善し悪しはセンゴクの傾き(傾斜度)で決まるのでその調製が大切であった。センゴクの左右には1人ずついてそれぞれ落ちてくる米を箕の中にかき込み良い米は俵の中に、屑米は二度がけといってもう一度センゴクにかけて分けた。センゴクの前の方に落ちたモミはもう一度ドウスにいれてひくのだった。
 ドウスをひく頃は冬の寒い頃だったのでノノコ(綿入れ)を着ているのだったが、臼ひきが始まるとみんなが汗ばんで片袖ぬいだ出で立ちで臼を回していたことを憶えている。


 その後センゴクを改良した「タテセン−縦線」と呼ばれる選別機が普及した。タテセンは面が網ではなく鋼の線で出来ていて、その線の間隔も調整出来る様式であるのでセンゴクに代わって広く使われるようになった。



            文・図 田辺雄司(居谷)