明治4年(1871年)にイギリスで郵便事業を視察した前島密は、帰国すると駅逓頭を任命され、翌年に全国に郵便網を整備し、6年には全国を同じ料金で配達する均一料金制度を実施した。
とくに、国家財政に直接経営の余裕がなかった当時、地方の元庄屋や資産家などから無償で住宅の一部を郵便局舎として提供してもらい、取扱人及び、取扱所とする画期的な制度の創設は、歴史的な快挙ともいうべき事業であった。
当時 の風潮として、民間人が国家の仕事にかかわることは名誉に思われ、また郵便事業の社会的役割が認 められていたので、この特定郵便局のシステムはスムーズに整備されたものと思われる。
しかし、 その職の世襲が認められていたため、その後批判もあったが、2007年の郵政改革により 法的には改正された。
※この古文書は「壬申」または「柏崎県庁」とあることから明治4年の文書であろう。
高柳町の岡野町に郵便物取扱所が開設されたのが明治7年でありその普及の速さは、注目にあたいする。
石黒には昭和11年に上石黒屋号ハツカブロウに設置。
(文責-大橋寿一郎)
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