凶作に付き物貰い受け入れ禁止の定め〔田辺重順家文書〕 | |
備 考 天保年間は初めから天候不順が続き、同4年には大洪水、冷害、大風で亨保、天明の飢饉と並ぶ稀なる大飢饉であった。此の年の仙台藩は飢餓による死者は数万人に及んだと伝えられる。 越後では三分作と言わたが、山間地の石黒村など被害は特に甚大であった。 高柳地区でも各庄屋が出雲崎御役所に籾の拝借を申し出て翌5年から5ケ年賦で返納している。不作は6年間も続きで米価は高騰し各地に一揆、打ちこわしなどの騒動が起こった。 その窮状を物語るものとして、山中庄屋文書には「カボチャ一つ盗み取り一件」の文書が見られる。 また、8年には柏崎町生田万の乱が起きている。 参照-国史大辞典・高柳町史 (※本古文書は下書き) 〇勧進 〇天保4年 |
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読み下し文・備考文責 大橋寿一郎 |